畠中城
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(神前是光から転送)
畠中城(はたけなかじょう)は、大阪府貝塚市畠中にあった日本の城。
歴史
[編集]奈良時代
[編集]- 神前連(かむさきのむらじ)賈受君。
721年、正六位下受位。「新撰姓氏録」の788年の項に記載されている。神前氏の始祖。百済からの渡来人。
平安時代
[編集]- 当主 神前清実:神前連(かむさきのむらじ)。源行家を匿った当主。
1186年、源行家が斬首される直前に潜伏していた屋敷。
戦国時代
[編集]1543年頃、神前清実の屋敷のあった場所に、根来衆の支城として畠中城を築城。
- 城主 神前要人:1565年(永禄8年)没。
- 城主 神前宗行(要人):秀吉の根来攻めの時の城主。
- 主将 神前是光(是之):宗行の妹婿。
1570年、野田城・福島城の戦いで織田軍により落城。 1577年、織田信長の紀州雑賀討伐戦に雑賀衆に味方して篭城。 1585年、秀吉の根来攻めの際、中村一氏・福島正則らにより落城。
江戸時代
[編集]- 当主 要源太夫(?代):神前宗行の子孫。江戸時代初期の当主。神前村・畠中村の庄屋。庄屋屋敷は、畠中城の本丸跡。
1635年~1658年頃、要源太夫の一族で堺の豪商・帯屋道寿が神前氏・要氏の菩提寺として長楽寺を創建。
- 当主 要源太夫(?代):享保期の当主。
1710年、岸和田藩に由緒書を提出。1718年、岸和田藩より、郷士代官・七人大庄屋の一人に列せられる。1719年、藩主・岡部長泰が屋敷を訪問する。
- 1738年、数奇屋風書院造の離座敷を建造(現存)。