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神田松鯉 (2代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2代目 神田かんだ 松鯉しょうり
本名 玉川たまがわ 悦太郎えつたろう
生年月日 1885年9月8日
没年月日 (1967-04-22) 1967年4月22日(81歳没)
師匠 2代目神田伯山
名跡 1.神田悦山(1896年 - 1905年)
2.神田小伯山(1905年 - 1921年)
3.2代目神田松鯉(1921年 - 1967年)
活動期間 1896年 - 1967年
家族 父:初代神田松鯉

2代目神田 松鯉(かんだ しょうり、1885年(明治18年)9月8日 - 1967年(昭和42年)4月22日[1])は、明治時代から昭和時代にかけて活躍した講談師。本名、玉川悦太郎[1]初代神田松鯉の子。

来歴

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東京港区芝源助町に生まれた後、京橋五郎兵衛町に転居[1]1895年、父の門下として高座に上がり、神田悦山を名乗る[1]1905年から神田小伯山を名乗り、1921年、2代目神田松鯉を襲名[1]1965年勲五等双光旭日章受章[1]

道楽者として有名であり、講談の途中に駄洒落を入れるのが特徴だった[1]阿部主計は「単調でダラダラと粘った口調のリズムや、抑揚も立体感もない退屈な演技」と評した[1]。6代目三遊亭圓生は「なぜ落語家にならなかったのか」と惜しんだ[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、125-130頁。