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秋月古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
秋月1号墳から転送)
秋月古墳群
地図
種類複合遺跡秋月遺跡内の古墳群前方後円墳1基・円墳3基・方墳8基、計12基)
所在地和歌山県和歌山市秋月
座標北緯34度13分40.07秒 東経135度11分59.25秒 / 北緯34.2277972度 東経135.1997917度 / 34.2277972; 135.1997917座標: 北緯34度13分40.07秒 東経135度11分59.25秒 / 北緯34.2277972度 東経135.1997917度 / 34.2277972; 135.1997917
秋月古墳群の位置(和歌山県内)
秋月古墳群
秋月古墳群
秋月古墳群の位置

秋月古墳群(あきづきこふんぐん)は、和歌山県和歌山市秋月にある古墳群2009年平成21年)時点で12基が確認されているが、いずれも後世に破壊され、地上に墳丘としては存在しない埋没古墳である。

概要

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和歌山県北西部、紀の川河口部の和歌山平野の紀の川自然堤防上に営造された古墳群である[1]日前國懸神宮を中心に東西550メートル・南北550メートルの範囲に広がる秋月遺跡(弥生時代-中世期の複合遺跡)のうちにあり、日前國懸神宮の西側の和歌山県立向陽中学校・高等学校周辺における発掘調査で発見された[2]。これまでに前方後円墳1基・円墳3基・方墳8基の計12基が確認されている[2]

12基の古墳は、墳丘周囲に巡らされた周溝から存在が認められているが、いずれも墳丘は削平されており詳細は明らかでない。特に群中唯一の前方後円墳である1号墳は、周溝内出土の古式土師器から和歌山県内では最古級の前方後円墳になるとして注目される[3]

この秋月古墳群では、古墳時代前期に前方後円墳1基・方墳2-4基が、中期に方墳4-6基・円墳2基が、後期に円墳1基が築造されたと推定される[2]岩橋千塚古墳群に先行して始まり長期間に渡って営造されており、岩橋千塚古墳群の出現・日前國懸神宮との関係・紀国造家との関係を考察する点で重要視される古墳群になる[2]

遺跡歴

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  • 1985年昭和60年)、秋月遺跡の県第2次調査で6基(1-6号墳)を確認(和歌山県文化財センター、20052012年に概報刊行)[3]
  • 1992年平成4年)、秋月遺跡の県第5次調査で2基(7-8号墳)を確認(和歌山県文化財センター、1994年に報告書刊行)[4]
  • 2009年(平成21年)、秋月遺跡の県第9次調査で4基(9-12号墳)を確認(和歌山県文化財センター、2011年に報告書刊行)[2]

一覧

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秋月古墳群の一覧[2]
古墳名 形状 築造時期 発見 主な出土品
調査 年度
1号墳 前方後円墳 前期 県第2次 1985 土師器 小型丸底壺
2号墳 方墳 前期頃 土師器 直口壺・てづくね土器
3号墳 方墳 前期 土師器 二重口縁壺
4号墳 方墳 前-中期 土師器 直口壺・高坏片
5号墳 方墳 中期 初期須恵器 はそう・甕片
6号墳 方墳 中期 初期須恵器 はそう・甕片
7号墳 方墳 中期 県第5次 1992 土師器 鉢
8号墳 方墳 中期 初期須恵器 はそう・甕片
9号墳 円墳 後期 県第9次 2009 須恵器 蓋坏
土師器長胴甕
滑石製臼玉
紡錘車
骨片
10号墳 円墳 中期末 土師器 直口壺・高坏
11号墳 円墳 中期後半頃 須恵器片
12号墳 方墳 前期 土師器 小型丸底壺・二重口縁壺

脚注

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参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 地方自治体発行
  • 事典類
    • 辻林浩「秋月遺跡」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 「秋月遺跡」『緊急雇用対策特別基金事業に係る発掘調査資料整理概報 -和歌山県内6遺跡の概要報告書-』和歌山県教育委員会・公益財団法人和歌山県文化財センター、2005年。 

関連項目

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外部リンク

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  • 秋月遺跡 - 和歌山市教育委員会「和歌山市の文化財」