穆顗
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穆 顗(ぼく ぎ、生年不詳 - 466年)は、北魏の軍人。本貫は代郡。
経歴
[編集]穆崇の子として生まれた。明元帝のときに中散となり、侍御郎に転じた。太武帝が赫連昌を攻撃すると、穆顗は従軍してその勇戦ぶりは抜きんでていた。侍輦郎・殿中将軍に転じ、泥陽子の爵位を受けた。北燕に対する征戦に従軍して、功績により司衛監に任じられ、龍驤将軍の号を加えられ、長楽侯の爵位に進んだ。
あるとき太武帝の崞山での田猟に従うと、虎が突然に現れたため、穆顗はこれを打って捕らえた。太武帝は「『詩経』に『有力如虎』といっているが、顗はそれ以上である」といって感嘆した。穆顗は太武帝に従って山胡の白龍を討ち、北方の柔然を討つなど、功績を重ねて散騎常侍・鎮北将軍の位を加えられ、爵位は建安公に進んだ。北鎮都将として出向し、平城に召還されて殿中尚書に任じられた。涼州に駐屯して、名声が高かった。また平城に召還されて、散騎常侍の位を加えられ、太倉尚書を兼ねた。
460年(和平元年)、陽平王拓跋新成とともに南道をとって吐谷渾の拾寅を撃破したが、疫病の蔓延のために追撃できず、官爵を剥奪されて辺境に流された。文成帝は穆顗の前朝での功績を勘案し、平城に召還して内都大官とした。466年(天安元年)、穆顗は死去した。征西大将軍の位を追贈され、建安王に追封された。諡は康といった。