竹村藤兵衛
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(竹村藤兵衞から転送)
竹村 藤兵衛(藤兵衞、たけむら とうべえ、1831年(天保2年2月[1][注釈 1])- 1901年(明治34年)11月14日[1][2])は、幕末から明治期の実業家、公吏、政治家。衆議院議員、京都府下京区長。幼名・宇之松[3]。
経歴
[編集]山城国京都、のちの京都府[1]京都市[4]で生まれる。立田玄龍、山本永吉に師事し漢学を修めた[1][3][4]。
1867年(慶応3年)兵庫港開港を契機に[3]、神戸で金巾類を買付て京都で販売する洋反物商[2]「福藤」を開業して資産を築き[3]、大坂伏見町(現大阪市中央区)にも店を開いた[3]。1874年(明治7年)隠退して養子・弥兵衛に家督を譲り別家を設けた[3]。
1869年(明治2年)通商司為替会社貸付方並貿易商肝煎に就任し神戸で勤務[3]。1870年(明治3年)京都第二商会用掛に転じた。以後、下京副区長、博覧会監護副長、惣区長助勤、博覧会監護長などを歴任[3]。1879年(明治12年)下京区長に就任し1889年(明治22年)非職となるが[3]、同年、再度下京区長となった[3]。その他、徴兵参事員、勧業諮問委員、地方衛生会委員、所得税調査委員なども務めた[1][4]。
1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙(京都府第2区、無所属)で初当選し[1][5]、第5回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続4期在任した[1][4]。
その他実業界では、中京銀行頭取、明教保険取締役、日本貿易銀行取締役、日本貿易倉庫監査役、日本生糸貿易監査役、京都銀行監査役などを務めた[1][4]。
1901年11月、病のため京都で死去した[2]。
国政選挙歴
[編集]- 第2回衆議院議員総選挙(京都府第2区、1892年2月、無所属)当選[5]
- 第3回衆議院議員総選挙(京都府第2区、1894年3月、無所属)当選[5]
- 第4回衆議院議員総選挙(京都府第2区、1894年9月、大手倶楽部)当選[6]
- 第5回衆議院議員総選挙(京都府第2区、1898年3月、山下倶楽部)当選[6]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『京都府下人物誌 第1編』171頁では天保2年10月。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 桜井敬太郎等『京都府下人物誌 第1編』金口木舌堂、1891年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。