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笠岡町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
笠岡村から転送)
かさおかちょう
笠岡町
廃止日 1952年4月1日
廃止理由 新設合併
笠岡町金浦町笠岡市
現在の自治体 笠岡市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
小田郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 15.2 km2
総人口 22,006
国勢調査[1]、1950年)
隣接自治体 金浦町、城見村神島内村大井村大島村里庄町
笠岡町役場
所在地 岡山県小田郡笠岡町大字笠岡
地図
旧・笠岡町役場庁舎位置
座標 北緯34度30分25秒 東経133度30分27秒 / 北緯34.507056度 東経133.507625度 / 34.507056; 133.507625座標: 北緯34度30分25秒 東経133度30分27秒 / 北緯34.507056度 東経133.507625度 / 34.507056; 133.507625
特記事項 町役場は笠岡市発足後、市役所として使用[2]。現在は笠岡市議会棟となっている[3]
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笠岡町(かさおかちょう)は、岡山県小田郡にあった自治体である。

概要

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現在の笠岡市笠岡・中央町・富岡(旧笠岡町)、絵師・馬飼・広浜・今立・園井(旧今井村)、および春日台(一部)[4]に当たる。

明治4年に深津県(のちに小田県と改称)が発足するとその県庁が置かれたが、その後岡山県に合併されると、発展途上の笠岡は深刻な影響を受け人口が激減したと伝えられる[2]

沿革

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行政

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歴代町長

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氏名 就任年月日 退任年月日 備考
妹尾寿太郎 1889年(明治22年)8月12日 1892年(明治25年)7月30日 1891年10月22日までは笠岡村長
2 明石安蔵 1892年(明治25年)8月14日 1896年(明治29年)8月13日
3 丸山久太郎 1896年(明治29年)8月27日 1899年(明治32年)2月22日
4 原田吉平 1899年(明治32年)4月11日 1902年(明治35年)5月22日
5 伊沢元八 1902年(明治35年)10月13日 1903年(明治36年)3月19日
6 原田吉平 1903年(明治36年)6月19日 1907年(明治40年)6月18日
7 柴田覚一 1907年(明治40年)10月1日 1911年(明治44年)8月24日
8 柴田覚一 1911年(明治44年)11月11日 1914年(大正3年)6月22日
9-10 丸山久右衛門 1914年(大正3年)7月1日 1919年(大正8年)8月23日
11 丸山久右衛門 1919年(大正8年)10月15日 1923年(大正12年)8月21日
12 丸山久右衛門 1923年(大正12年)12月17日 1924年(大正13年)11月8日
13 葛城最太郎 1925年(大正14年)9月1日 1926年(大正15年)8月13日
14 寺尾哲之 1927年(昭和2年)1月9日 1931年(昭和6年)1月8日
15 丸山久右衛門 1931年(昭和6年)1月9日 1934年(昭和9年)7月14日
16-18 鶴田簑助 1934年(昭和9年)8月17日 1943年(昭和18年)10月10日
19 北村実 1943年(昭和18年)11月13日 1946年(昭和21年)11月8日
20 小野博 1947年(昭和22年)4月5日 1951年(昭和26年)4月4日
21 小野博 1951年(昭和26年)4月23日 1952年(昭和27年)3月31日 笠岡市発足後、市長に就任
参考文献 - [2]

教育

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(参考文献:[9]

交通

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脚注

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  1. ^ 旧笠岡町18,897人、旧今井村3,109人
  2. ^ a b c d e f g h i j 岡山県市町村合併誌 市町村編161-196頁(岡山県、1960年)
  3. ^ 笠岡市議会(笠岡市)
  4. ^ 1974年に小平井・笠岡・園井の各一部から設置(角川日本地名大辞典 岡山県「春日台(近代)」)
  5. ^ a b 岡山県市町村合併誌 総編(岡山県、1960年)
  6. ^ 教育時報 令和2年8月号岡山県教育委員会
  7. ^ 学校案内
  8. ^ 学校案内
  9. ^ 山陽年鑑 昭和27年版山陽新聞社、1951年)

関連項目

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