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第百十一号哨戒特務艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第百十一号哨戒特務艇
基本情報
建造所 西井造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 特務艇
級名 第一号型哨戒特務艇
建造費 1,350,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
進水 1945年6月12日
最期 1945年8月17日船体工程100%で工事中止[注釈 1]、戦後浸水坐洲
その後 1947年11月22日解体指令
要目(計画時)
基準排水量 238トン
水線長 28.50m
水線幅 6.14m
吃水 2.35m
機関 400型中速ディーゼル1基、1軸
出力 400bhp
速力 9.0ノット
燃料 重油26トン
航続距離 8ノットで4,000カイリ
乗員 34名
兵装 25mm機銃 連装1基、単装2基
12センチ噴進砲2門
爆雷12個、魚雷落射機2基
搭載艇 短艇1隻
レーダー 13号電探1基
ソナー 三式水中探信儀三型1基
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第百十一号哨戒特務艇[注釈 2](だいひゃくじゅういちごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の47番艇[注釈 3]

艇歴

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マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の111番艇、仮称艦名第2231号艦として計画。1944年11月5日、第百十一号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の44番艇に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。1945年6月12日、西井造船所で進水。船体完成後は西井造船所で繋留[注釈 4]

終戦時未成。8月17日、工事中止が発令される。戦後は西井造船所で繋留されていたが、艤装品の破損による浸水のため坐洲した[注釈 4]

1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められる。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から日本に対し、本艇の解体が指令された。

脚注

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注釈
  1. ^ 進捗率は昭和22年2月1日付 二復総第49号(原文では「完成」と表記)による。福井静夫『昭和軍艦概史III』 p. 66でも100%としている。
  2. ^ 本来の艇名表記は第百十一號哨戒特務艇。
  3. ^ 本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇第33号哨戒特務艇第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は44番艇、これら3隻を含めると通算で47番艇となる。
  4. ^ a b 世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 114では「20年7月25日横須賀工廠へ引き渡し、兵装工事中終戦」とあるが、宇治山田から横須賀へ回航された記録が無く、1947年2月1日時点で西井造船所に所在して大阪地方復員局管下となっており、戦後横須賀から宇治山田へ回航された記録も存在しない。また福井静夫『昭和軍艦概史III』p. 66でも所在は「西井(宇治山田)」としている。
脚注

参考文献

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  • 海軍省復員庁
    • 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
    • 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。
  • 在東京アメリカ極東海軍司令部
    • 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
      • (a) 解撤スベキ艦船ノリスト。
      • (b) 民需用トシテ内務省ヘ引渡スベキ艦艇ノリスト。
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。