糸井光彌
表示
(糸井光弥から転送)
いとい こうや 糸井 光彌 | |
---|---|
本名 | 紺井 輝也(こんい てるや) |
生年月日 | 1899年4月9日 |
没年月日 | 不詳年 |
出生地 | 日本・東京府(現・東京都) |
職業 | 歌手・俳優 |
ジャンル | ジャズソング・テレビドラマ |
活動期間 | 1920年代 - 1960年代 |
所属劇団 | 豆の木座 |
糸井 光彌(いとい こうや、1899年4月9日 - 没年不詳)は、日本の声楽家、歌手、俳優。
本名は紺井 輝也(こんい てるや)。東京府(現・東京都)出身。以前はユニオンプロに所属していたが、妻とともに自ら設立した豆の木座の座長を務めた。
経歴・人物
[編集]大正時代は浅草オペラで活躍。1925年、佐々紅華の歌劇協会に参加した後、1929年には大阪の小さなレコード会社、国歌レコードにて『青空』、『アラビヤの唄』、『草津節』、『出船の港』、『俺はルンペン』などジャズ風歌謡曲から本格的なジャズソングを多数吹き込んだ。同年、糸井自ら作詞作曲で服部良一編曲の『富世モボモガ』がヒットする[1]。戦後1950年代後半からは俳優に転職し、NHKをはじめ多数のテレビドラマに出演した。また妻とともに『豆の木座』という一座を組んで地方巡業をしていた。すでに故人ではあるが亡くなった年、死因は不明である。
代表曲
[編集]- 『青空』(昭和4年、国歌)
- 『アラビヤの唄』(昭和4年、国歌)
- 『出船の港』(昭和4年、国歌)
- 『木曽節』(昭和4年、国歌)
- 『草津節』(昭和4年、国歌)
- 『串本節』(昭和4年、国歌)
- 『乃木大将の歌(湊河原の五月雨)』(昭和4年頃、国歌)
- 『敵は幾万』(昭和4年頃、国歌)
- 『歓楽の夜』(昭和4年、オリエント、菊地博 編曲、井上起久子との歌唱)
- 『欲はおやめ』(昭和4年、コッカ、服部良一 編曲)
- 『富世モボモガ』(昭和4年、コッカ、糸井光彌 作詞・作曲、服部良一 編曲)
- 『俺はルンペン』(昭和5年、コッカ)
出演作品
[編集]テレビドラマ
[編集]人形劇
[編集]脚注
[編集]- ^ 当時大阪にいた服部良一は、国歌ジャズバンドを指揮編曲をすることが多かったという。