共同浴場

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総湯から転送)
日本最古の共同浴場といわれる『つぼ湯』(湯の峰温泉

共同浴場(きょうどうよくじょう)とは、主に温泉地に存在する、地元の人々が管理する温泉を利用した浴場。このような温泉地の施設には外湯施設などとして一般入浴開放とする施設と特定の地元住民専用の入浴施設がある[1]

概要[編集]

共同浴場は、広義には「不特定多数の人々が共同で入浴する浴場」と定義され、銭湯などの公衆浴場のほか、旅館の大浴場、スーパー銭湯、公共立ち寄り温泉などを広く含む[2]

狭義には「温泉湧出地域にみられる、主に地域住民向けの温泉浴場」と定義される[3]。この温泉湧出地域にみられる主に地域住民向けの温泉浴場は、自治体や地域の管理組合(旧慣上の温泉権や惣有財産にもとづく財産法人や財産区地縁団体など)により維持・管理・運営が行われているものが多く、地域住民の共同資源となっている[3]

「共同湯」という呼称もあり、「共同浴場」とほぼ同じ対象や中身で用いられることもあるが、「共同浴場」で網羅される対象が広くなりすぎたために「共同湯」の言葉に伝統的な共同管理や共同利用の意味を持たせるようになったという指摘もある[4]。広義の共同浴場に対して、地域住民が自主的に維持・運営する共同浴場を「共同風呂」と呼んで区別する文献もある[2]

なお、温泉場において旅館の外部に位置する共同浴場は総湯(そうゆ)と呼ばれることもある[5]

運営[編集]

大分県別府市には2001年(平成13年)現在で源泉数は総数2,850孔の源泉があり(『別府市統計書』)、別府温泉では「市有市営温泉」が18施設、「市有区営温泉」が65施設、「区有区営および組合営温泉」が19施設あり、公共の入浴場が圧倒的に多い特徴がある[6]

野沢温泉では温泉権を地元の団体である財団法人の野沢会が持ち、温泉のほか山林や水利権なども保有している(祭りなどの運営は野沢組が行っているが財団法人の野沢会とほぼ同じメンバーである)[7]。一方で共同湯の維持管理は湯仲間と呼ばれる地域住民の団体が行っており、源泉所有者としての野沢組(野沢会)と利用者団体としての湯仲間が並立する制度がとられている[7]

山中温泉では江戸時代以前から共同浴場で温泉場唯一の浴場であった「惣湯」を守り、1876年(明治9年)に泉源と浴場の権利の一切を山中村有(後に山中町有)とした[4]

ジモ専[編集]

観光客に共同浴場を開放している温泉地があるかたわら、地元の人のみに利用を制限している場合もある。そのような浴場の事を、温泉愛好家の間では「ジモ専」(「地元専用」の略語)と呼んでいる。例えば、別府温泉の羽衣温泉などが「ジモ専」として紹介されている[8]

ただし、地元の人以外に宿泊客のみに開放する場合、特定の曜日のみ一般開放する場合、なども存在する。また、かつては共同浴場に宿泊客が入ることができるようにするため、住民と旅館の覚書が交わされた地区もある。例えば、湯田中温泉では、9軒の共同浴場のうち一番湯である大湯のみを観光客に開放している。ほかは特定曜日のみ開放する浴場や、通年宿泊客と地元の人にのみ利用を制限した浴場となっている。

各地の共同浴場(ギャラリー)[編集]

各地の共同浴場例[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 石川理夫「温泉利用の公衆浴場数全国一の長野県における共同湯の現状」『温泉地域研究』第19号、日本温泉地域学会、2012年、1-10頁。 
  2. ^ a b 白石太良「白浜温泉の共同浴場と地域の関わり」『流通科学大学論集-人間・社会・自然編-』第24巻第1号、流通科学大学、2011年、55-56頁。 
  3. ^ a b 黒澤俊平、𠮷野広人、柿沼由樹、肖錦萍ほか「長野県浅間温泉における共同浴場の利用変化とその要因」『地域研究年報』第45巻、筑波大学大学院地球科学学位プログラム地球環境科学領域、2023年、1–13頁。 
  4. ^ a b 石川理夫「温泉地における共同湯の意義の再評価-惣湯考察を受けて-」『温泉地域研究』第12号、日本温泉地域学会、2009年3月、1-12頁。 
  5. ^ 総湯とは コトバンク(デジタル大辞泉・大辞林)、2017年12月22日閲覧。
  6. ^ 第7章 温泉・湯けむりの利用実態”. 別府市. 2024年5月26日閲覧。
  7. ^ a b 野沢温泉村の湯仲間と野沢組”. ミツカン水の文化センター. 2024年5月26日閲覧。
  8. ^ 路地裏散歩 in 別府”. 大分大学理工学部理工学科. 2024年5月26日閲覧。

関連項目[編集]