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肇敏 (練習艦)

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肇敏丸から転送)
春風丸/肇敏
明治10年から19年の練習艦時代と推定される肇敏[1]
明治10年から19年の練習艦時代と推定される肇敏[1]
基本情報
建造所 (カナダ)[2]
運用者  大日本帝国海軍[3](兵部省[4])
艦種 運送船[2] → 練習船[5](練習艦[6])
艦歴
就役 明治4年6月27日(1871年8月13日)購入[7]
除籍 1886年3月15日廃艦[7]
その後 1896年11月19日売却認許[8]
改名 ユトラー[9](ユドーラ[2])
春風丸[2]
肇敏丸[10]/肇敏艦[9]
要目
排水量 650英トン[2]
トン数 1871年:446トン[2]
1878年:470トン[11]
長さ 211余り[11](38.21m強)
全身長:137[2](41.52m)
4間1尺[11](7.58m)
または 29尺7[2](9.00m)
吃水 1878年:前部1丈5尺(4.55m)、後部1丈6尺(4.85m)[11]
帆装 3バーク[2]
乗員 明治4年(1871年):30名[2]
1883年8月定員:124名、練習員約80名[12]
兵装 砲 4門[13]
1874年:無し[14]
搭載艇 1878年10月-:30ft大艇1隻、27ftホエールボート1隻、24ftギグ2隻、14ftディンギー1隻[15]
その他 船材:[2](材)[11]
甲板1層[11]
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肇敏(ちょうびん、旧仮名でてうびん[9]てょうびん[10])は日本海軍練習艦[13]

艦名は「事を開き始めてすみやかに行う」という意味[16]。 『詩経』に「肇敏戒公用賜爾祉」とあり[6]、 これから艦名を採ったと思われる[16]

概要

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カナダで建造された木造帆船[2]、 竣工年等は不明[6]。 明治4年(1871年)に日本海軍が購入して春風丸(しゅんぷうまる[9])と命名[7]、 運送船として使用された。 1873年(明治6年)に肇敏丸(ちょうびんまる)と改名[7]西南戦争では輸送任務を行った[9]1877年(明治10年)以降は練習船任務に就き[17]1879年(明治12年)に肇敏(艦)と改名した[9]1886年(明治19年)廃艦、船体は海兵団などで使用され[7] 1896年(明治29年)11月に売却が認許された[8]

艦型

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3バーク型の帆船[2]。 要目表の値は主に公文書(『記録材料・海軍省報告書第一』[2] など)による。 その他の文献での要目は以下の通り。

  • 『日本近世造船史 明治時代』:排水量885英トン[3]、またはトン数885トン、長さ137 ft (41.76 m)、幅29 ft (8.84 m)[4]
  • 『日本海軍艦船名考』:排水量885英トン、長さ137尺(38.49m)、幅29尺(8.79m)[6]
  • 『日本海軍史 第7巻』:排水量885トン、長さ42.8m、幅9.1m[17]

艦歴

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明治4年

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ロシア(またはプロシア[17])帆船ユトラー[9]明治4年6月27日(1871年8月13日)にイギリス人(ヘーア[9])から購入し春風丸(しゅんぷうまる[9])と命名した[7][18]。 『海軍省報告書』によると6月27日(1871年8月13日)に英国バルク船ユドラー号をベーア氏から購入し春風丸と改称した、とする[19]

7月9日(新暦8月24日)に暴風に襲われたが、春風丸に被害は無かった[20]

7月18日(新暦9月2日)石炭輸送の為に唐津[要曖昧さ回避]への回航が命令された[21]。 11月10日(新暦12月21日)再び唐津への回航命令が出され[22]、 11月18日(新暦12月29日)出港した[23]

明治5年

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明治5年1月25日(1872年3月4日)、春風丸に対し唐津から兵庫への石炭輸送と同時に、鹿児島からの火薬輸送も命ぜられた[24]

1873年

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1873年(明治6年)2月2日、大坂丸、春風丸は軍務局所管から提督府所管となったが[25]、 3月13日に軍務局に戻された[26]

1873年(明治6年)に御召小舟が宮内省から海軍省へ移管、船名は無かったが[27] 明治天皇の意向で[28] 5月2日春風丸と命名された[29]。 そのために同日、運送船春風丸肇敏丸に改名された[7][10][30]

10月2日に肇敏丸は暴風に遭い損傷、11月以降長崎製作所で修理を行った[31]。 11月4日、肇敏丸は会計局の所轄となった[32]。 翌1874年(明治7年)1月9日に修理は完了した[33]

1874年

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1874年(明治7年)5月、修理の申し出が有り[34] 5月31日肇敏丸石川島へ曳航された[35]。 当時の石川島は工事が輻輳しており、修理完了は9月以降になった[36]

1875年

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1875年(明治8年) 2月3日、肇敏丸は練習船と定められ提督府所轄となった[37]

10月28日、日本周辺を東部と西部に分け、東部指揮官は中牟田倉之助少将、西部指揮官は伊東祐麿少将が任命され[38]日進春日浅間第二丁卯孟春千代田形、肇敏丸、快風丸は西部指揮官所轄となった[38]

1876年-1877年

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1876年(明治9年) 2月20日、練習船から輸送船と変更された[9][39]

熊本県下に陸軍省の物品を輸送することになり[40]肇敏丸は10月24日熊本に到着した[41]島原では熊本の鎮台で火事が起きたなどのデマがあり、肇敏丸は同地に回航した[41]。 11月に鹿児島に回航したが、損傷箇所があり鹿児島造船所で修理を行った[42]。 その帰路には坐礁した雲揚の大砲などを運搬することになった[40]1877年(明治10年)1月17日午前に神戸港を出港し[43]、 18日午後に那智勝浦に到着した[44]。 2月3日、機器の搭載を終わり、雲揚乗員も便乗し午前8時30分に加田村(現紀北町長島加田)を出港、下田港を経由し[45]、 2月13日午前11時50分に横浜港に到着した[46]。 2月16日に横須賀ヘ回航[47]、 同地で雲揚の機械類を揚陸した[48]。 肇敏丸は同地で修理を行い、3月17日完成した[49]

西南戦争

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1877年(明治10年)の西南戦争では輸送任務に従事した[9]

3月後半、肇敏丸は鹿児島造船所の地金などを輸送するために回航することになり[50]、 4月15日横浜港を出港した[51]。 なお『恩給叙勲年加算調査』では4月16日に出港(出地不明)としている[52]肇敏丸は5月6日午前に長崎を出港、5月10日午後4時に鹿児島に投錨した[53]肇敏丸は鹿児島を8月17日午前1時に出港、8月28日(または8月20日[54])午後8時に品海に到着した[52][55]。 9月11日横須賀に回航、搭載物件を揚陸した[56]。 ここでコレラの疑いのある乗員が出て、9月24日に肇敏丸横浜港に回航[57]、 10月14日改めて横須賀に入港した[58]

練習船

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1877年(明治10年)9月25日に東海鎮守府所轄の運送船肇敏丸は練習船に指定された[5][59]

1878年(明治11年)1月17日、当分間兵学校所轄の練習船に指定され[60][61]、 1月22日に東海鎮守府から海軍兵学校に引き渡され[11]、 1月23日午後1時に横須賀を出港し[62] 品海に回航、2月3日海軍省内堀に到着した[63]

修理

ただ練習船とするにはマストを3本とも交換するなどの大規模な修理が必要とされ[64]、 修理着手から完成までは4カ月が見積もられた[65]。 肇敏丸は3月19日から横須賀造船所で修理に着手[66]、 また6月21日に修復艦と指定された[67]。 なお4月11日、肇敏丸用の板葺き小屋2棟を陸上に建築することになり[68]、 10月に端艇5隻を搭載することになった[15]

練習艦

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1879年(明治12年) 中は修理を続けた[69]。 7月4日(または7月7日[9])肇敏丸(造船所修復船)を肇敏(艦)と改称した[70][71]1880年(明治13年)1月22日(または1月21日[70])五等艦に定められた[9]。 9月17日に肇敏乗員は東海鎮守府所轄とされた[72]

航海練習艦

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1882年(明治15年)2月24日、肇敏は東海鎮守府所轄の航海練習艦に指定された[73][74]。 4月27日、艦位を四等に改められ[74]、 定員116人(内練習水兵13人)とされた[75]。 6月7日、練習艦時の定員は乗員124名、練習水兵約80名と変更された[76]

水兵募集航海

水兵募集のために、6月25日品海を出港、7月20日佐賀関に到着した[77]。 佐賀関を9月11日出港、9月18日長崎港に入港した[77] 10月3日から11月30日まで長崎工作分局で修理を行った[78]。 12月19日長崎港を出港し、12月27日品海に帰着した[77]

1883年(明治16年) 2月9日から6月20日まで横須賀造船所で修理[79]

9月22日に品川を出港し、午後館山湾に到着した[80]。 9月26日同所発、28日清水着[80]。 10月13日清水発、浦賀や品川などを航行し、11月13日館山湾に到着した[80]。 11月18日館山湾発、同日浦賀に帰港した[80]

廃艦

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「艦体が腐朽し軍艦の用に堪え難」くなり[81]1886年(明治19年)3月15日に廃艦にされた[7][82] (除籍[6])。 その後、船体は浦賀屯営の付属とされた[16]1889年(明治22年)5月13日には航海運用術練習艦筑波の付属[83]1890年(明治23年)1月8日に武蔵の付属、同年8月27日に横須賀海兵団付属とされた[7]

1896年(明治29年)11月5日に旧肇敏売却の上申があり[84]、 19日認許された[8][注釈 1]

艦長

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春風丸船長
  • 植田吉蔵:明治4年7月(1871年8月から9月)[85] -
肇敏丸船長
  • 上田吉造:1873年10月時[31]
  • (心得)上田吉蔵(雇):1876年3月15日[86] -
艦長

※『日本海軍史』第9巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 伊月一郎 少佐:不詳 - 1884年1月21日
  • 三浦功 少佐:1884年1月21日 - 12月16日
  • 木藤貞良 少佐:1885年6月1日 - 1886年2月2日

脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本海軍史 第7巻』p465によると1888年(明治21年)に売却となっているが、#M21公文備考4/艦船売買譲与画像8-9によると、この年に売却されたのは春風丸(御召端舟)になる。

出典

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  1. ^ #日本海軍全艦艇史p.491,No.1246の写真解説
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n #M1-M9海軍省報告書画像23-24、明治四年辛未艦船総数表
  3. ^ a b #造船史明治(1973)p.444、艦船年表軍艦
  4. ^ a b #造船史明治(1973)p.191、兵部省所管運輸船
  5. ^ a b #M10布達/9月画像12、#M10布達/10月画像1、明治10年9月25日丙第104号
  6. ^ a b c d e #浅井(1928)p.30、肇敏 てうびん Tyôbin.
  7. ^ a b c d e f g h i #M29公文備考6/富士山肇敏浅間他売却下付等(2)画像4、肇敏略歴
  8. ^ a b c #M29公文備考6/富士山肇敏浅間他売却下付等(2)画像1、明治19年11月19日官房第4868号「横鎮第四〇四二号旧肇敏売却処分ノ件認許ス」
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.10、肇敏『ちょうびん・てうびん』
  10. ^ a b c #M6公文類纂15/省中布告原因 海軍省達 肇敏丸改称の件画像1、明治6年5月2日甲第97号「当省所轄運船春風丸之義肇敏テヨウビン丸ト改称候事」
  11. ^ a b c d e f g #M11公文類纂16/雷電肇敏2艦兵学校引渡(2)画像19-20、肇敏丸請受の証
  12. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.159-161、明治16年8月18日(丙71)迅鯨艦外四艘ノ乗員
  13. ^ a b #近世帝国海軍史要(1974)p.884
  14. ^ #M7公文類纂13/管轄(2)画像44-48、各艦内ノ砲銃及其種類幾許に記載無し
  15. ^ a b #M11公文類纂後編20/肇敏丸備付大艇等新製画像1-2
  16. ^ a b c 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p199。
  17. ^ a b c 『日本海軍史 第7巻』p465
  18. ^ #M4公文類纂24/春風丸と名称定の件画像1
  19. ^ #M1-M9海軍省報告書画像17-18、明治4年6月。
  20. ^ #M4公文類纂48/7月9日烈風雨軍艦其他傷損調画像79
  21. ^ #M4公文類纂24/春風丸唐津出帆用意の達画像1
  22. ^ #M4公文類纂24/春風丸唐津表石炭廻送の達画像1
  23. ^ #M4公文類纂24/春風丸唐津出帆用意の達画像3
  24. ^ #M5公文類纂24/春風丸鹿児島県にて火薬積込画像1
  25. ^ #M1-M9海軍省報告書画像37-38、明治6年2月。
  26. ^ #M1-M9海軍省報告書画像38-39、明治6年3月。
  27. ^ #M6公文類纂15/甲3套4番送達大日記 宮内省え掛合 肇敏丸改称の件画像1、明治6年4月10日720号「当省御預リ御召小舟之儀是迄船名無之候処昨八日御掛合中ニ春風丸ト有之右ハ何日頃ヨリ御唱来相成候儀ニ候哉当省ヘ別段御達無之候ニ付不心得候条此段及御問会候也 第四月十日 海軍省 宮内省御中 追テ当省運送船中春風丸ト唱ル舟アリ同名ニテ不都合之義有之候間旁及御問合候条迅速御回答有之度候也」
  28. ^ #M6公文類纂15/甲1番大日記 宮内省回答 肇敏丸改称の件画像1、附箋「此儀取糺候処真田大丞ヘ遠藤中録面話ニ而春風丸ト御名付相成候ハ全ク叡慮ヨリ出候儀ニ付可成ハ据置度云々申聞候儀ニ有之候」
  29. ^ #M6公文類纂15/省中布告原因 海軍省達 肇敏丸改称の件画像1、明治6年5月2日甲96号「宮内省ヨリ被預候御召小舟之儀春風丸ト被称候段同省ヨリ申越候条此段為心得相達候事」
  30. ^ #M1-M9海軍省報告書画像40、明治6年5月。
  31. ^ a b #M6公文類纂16/甲7套大日記 会計局申出 肇敏丸修復画像1-2
  32. ^ #M1-M9海軍省報告書画像44-45、明治6年11月。
  33. ^ #M7公文類纂15/航泊出入(1)画像27
  34. ^ #M7公文類纂16/修覆(4)画像23
  35. ^ #M7公文類纂16/修覆(4)画像27
  36. ^ #M7公文類纂16/修覆(6)画像1-2
  37. ^ #M1-M9海軍省報告書画像62、明治8年2月。
  38. ^ a b #M1-M9海軍省報告書画像68-70、明治8年10月。
  39. ^ #M1-M9海軍省報告書画像77-78、明治9年2月。
  40. ^ a b #M9公文類纂11/肇敏丸を以て雲揚艦諸品運漕画像1
  41. ^ a b #M9公文類纂11/肇敏丸島原へ回船画像1-3
  42. ^ #M9公文類纂12/肇敏丸横置轆轤修復画像1
  43. ^ #M10公文類纂前11/肇敏丸兵庫出港画像1-2
  44. ^ #M10公文類纂前11/肇敏丸兵庫出港画像3-4
  45. ^ #M10公文類纂前11/肇敏丸兵庫出港画像5-6
  46. ^ #M10公文類纂前11/肇敏丸兵庫出港画像7-8
  47. ^ #M10公文類纂前11/肇敏丸兵庫出港画像9-10
  48. ^ #M10公文類纂前11/肇敏丸兵庫出港画像11
  49. ^ #M10公文類纂前11/第1丁夘艦沈没兵器運漕の件画像7-8
  50. ^ #M10公文類纂前11/第1丁夘艦沈没兵器運漕の件画像17
  51. ^ #M10公文類纂前11/鹿児島造船所地金積込画像1
  52. ^ a b #S9.12.31恩給叙勲年加算調査(下)/船舶特務艇(1)画像36、肇敏丸
  53. ^ #M10公文類纂前11/肇敏丸長崎より鹿児島へ入港画像1-2
  54. ^ #M10.7-M11.6海軍省報告書画像6-7、明治10年8月沿革
  55. ^ #M10公文類纂後14/肇敏丸品川入湾東海鎮守府届画像1-2
  56. ^ #M10公文類纂後14/肇敏丸横須賀入湾1画像1-2
  57. ^ #M10公文類纂後14/肇敏丸横浜へ出帆画像1、明治10年9月24日電報「肇敏丸乗組2、3人コレラ病に類似の病に罹りし者あるに付鎮守府へ掛け合いの上回船横浜へ向け本日出帆取り計らいそろ」
  58. ^ #M10公文類纂後14/肇敏丸横須賀入湾2画像1-2
  59. ^ #M10.7-M11.6海軍省報告書画像8-11、明治10年9月沿革
  60. ^ #M11布達/1月画像6、明治11年1月17日丙第9号
  61. ^ #M10.7-M11.6海軍省報告書画像19-22、明治11年1月沿革
  62. ^ #M11公文類纂前編19/肇敏丸出湾他4件画像1「肇敏丸出湾御届 肇敏丸本日午後第壱時出湾相成申候此段御届仕候也 横須賀造船所所長海軍少将中牟田倉之助 十一年一月廿三日 海軍大輔川村純義殿」
  63. ^ #M11公文類纂前17/肇敏雷電本省側等え引入他4件画像5-6、11年2月4日肇第19号「当船横須賀○品海回航及品海○本省○川内迄回船乃届」
  64. ^ #M11公文類纂前編19/肇敏丸出湾他4件画像3-4「肇敏丸三檣引抜方等之義上申」
  65. ^ #M11公文類纂前編19/肇敏丸出湾他4件画像5-6「肇敏丸修復之義ニ付上請」
  66. ^ #M12.7-M13.6海軍省報告書画像20-21、艦船修復
  67. ^ #M11.7-M12.6海軍省報告書画像24、所轄並在任
  68. ^ #M10.7-M11.6海軍省報告書画像28-30、明治11年4月沿革
  69. ^ #M12.7-M13.6海軍省報告書画像43(p.76)、航泊表
  70. ^ a b #M12.7-M13.6海軍省報告書画像16-17、艦船所轄並在任附改称及等級
  71. ^ #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.133。
  72. ^ #M13.7-M14.6海軍省報告書画像17、艦船所轄竝在任附改称及等級等
  73. ^ #M15達/丙第12号「肇敏艦自今東海鎮守府所轄航海練習艦ニ相定候條為心得此旨相達候事」
  74. ^ a b #M14.7-M15.6海軍省報告書画像18、艦船所轄並在任附改称及等級
  75. ^ #M15達/丙第28号画像1-6。「肇敏艦定員 少佐1人、大尉或中尉ノ中2人、大尉或中尉ノ中(測量)1人、少尉或少尉補ノ中2人、少尉補(測量)1人大軍医或中軍医ノ中1人、大主計或中主計ノ中1人、小軍医或軍医副ノ中1人、小主計或主計副ノ中1人、掌砲長1人、水兵長1人、木工長1人、警吏1人、警吏補2人、艦内厨宰1人、掌砲長属1人、水兵長属2人、艦長端舟長1人、甲板次長1人、按針次長2人、木工長属1人、塡筎工長1人、鍛冶次長1人、艦内割烹1人、甲板長属3人、檣楼長属4人、帆縫長属1人、塗工長属1人、桶工長1人、看病夫長1人、一等水兵3人、一等木工1人、一等帆縫手1人、一等兵器工1人、二等木工1人、一等鍛冶1人、二等水兵ヨリ四等水兵マテ(内尺八手1人)39人、艦長厨宰1人、艦長割烹1人、士官室厨宰1人、士官室割烹1人、士官次室厨宰1人、士官次室割烹1人、下士厨宰1人、士官割烹31人、艦長附二等厨宰1人、士官室従僕4人、厨宰使丁1人、若水兵13人」
  76. ^ #M15達/丙第37号画像1-6。「練習艦肇敏號定員 少佐1人、大尉或中尉ノ中(内副長1人)4人、大尉或中尉ノ中(測量)1人、少尉或少尉輔ノ中3人、少尉輔(測量)1人、大軍医或中軍医ノ中1人、大主計或中主計ノ中1人、小軍医或軍医副ノ中1人、小主計或主計副ノ中1人、艦内教授役1人、筆記1人、水兵長1人、警吏1人、掌砲次長或長属ノ中2人、水兵次長或長属ノ中2人、甲板次長2人、按針次長2人、木工次長1人、鍛冶長1人、艦内厨宰1人、警吏輔2人、艦長端舟長1人、大端舟長1人、檣楼長2人、船艙長1人、艦内割烹1人、小端舟長1人、甲板長属2人、檣楼長属3人、帆縫長属1人、塗工長属1人、桶工長1人、看病夫長1人、一等水兵4人、二等水兵ヨリ四等水兵マデ(内尺八手2人)48人、帆縫手1人、鍛冶1人、兵器工1人、木工2人、守燈夫1人、看病夫1人、裁縫手1人、艦長厨宰1人、艦長割烹1人、割烹夫3人、士官室厨宰1人、士官室割烹1人、士官次室厨宰1人、士官次室割烹1人、三佐従僕1人、士官室従僕4人、下士厨宰1人、下士割烹1人、厨宰使丁1人、若水兵約80人」
  77. ^ a b c #M15.7-12海軍省報告書画像20、艦船航海 肇敏艦
  78. ^ #M15.7-12海軍省報告書画像17、部内艦船修復
  79. ^ #M16海軍省報告書画像21、艦船修理
  80. ^ a b c d #M16海軍省報告書画像25、艦船航海、肇敏艦
  81. ^ 『公文類聚』第10編(明治19年)第15巻、「肇敏艦ヲ廃艦トス」、リンク先の2コマめに廃艦理由としてある。
  82. ^ 『官報』第807号(明治19年3月15日発行)、海軍省令第15号、リンク先の2コマめ。
  83. ^ #M22達(上)/5月画像19、明治22年5月13日達第136号
  84. ^ #M29公文備考6/富士山肇敏浅間他売却下付等(2)画像4、明治19年11月4日横鎮第4024号
  85. ^ #M4公文類纂11/植田吉藏春風丸船長の達画像1
  86. ^ #M1-M9海軍省報告書画像78-80、明治9年3月。

参考文献

[編集]
  • 官報』。国立国会図書館デジタルコレクション を閲覧。
  • 公文類聚』。国立公文書館デジタルアーカイブ を閲覧。
  • アジア歴史資料センター(公式)
    • 国立公文書館
    • 『記録材料・海軍省報告書第一』。Ref.A07062089000。  明治元年から明治9年6月。
    • 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062091300。  明治10年7月から明治11年6月。
    • 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062091500。  明治11年7月から明治12年6月。
    • 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062091700。  明治12年7月から明治13年6月。
    • 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062091900。  明治13年7月から明治14年6月。
    • 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062092100。  明治14年7月から明治15年6月。
    • 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062092300。  明治15年7月から12月。
    • 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062092500。  明治16年1月から12月。
      防衛省防衛研究所
    • 『公文類纂 明治4年 巻11 本省公文 黜陟部8/海軍所往復 植田吉藏春風丸船長の達海軍所申出』。Ref.C09090280800。 
    • 『公文類纂 明治4年 巻24 本省公文 艦船部/海軍所往復 帆前船春風丸と名称定の件海軍所申出』。Ref.C09090384100。 
    • 『公文類纂 明治4年 巻48 本省公文 法律2止征討 変災部附録/弁官往復 7月9日烈風雨軍艦其他傷損調方弁官通牒』。Ref.C09090688700。 
    • 『公文類纂 明治4年 巻24 本省公文 艦船部/海軍諸達 春風丸唐津出帆用意の達』。Ref.C09090388100。 
    • 『公文類纂 明治4年 巻24 本省公文 艦船部/戊1号大日記 春風丸唐津表石炭廻送の達』。Ref.C09090393700。 
    • 『公文類纂 明治5年 巻24 本省公文 艦船部1/丙3号大日記 春風丸達 鹿児島縣にて火薬積込兵庫着港等の件他1件』。Ref.C09110639600。 
    • 『公文類纂 明治6年 巻15 本省公文 艦船部1/甲3套4番送達大日記 宮内省え掛合 肇敏丸改称の件』。Ref.C09111572900。 
    • 『公文類纂 明治6年 巻15 本省公文 艦船部1/甲1番大日記 宮内省回答 肇敏丸改称の件』。Ref.C09111573100。 
    • 『公文類纂 明治6年 巻15 本省公文 艦船部1/省中布告原因 海軍省達 肇敏丸改称の件』。Ref.C09111573400。 
    • 『公文類纂 明治6年 巻16 本省公文 艦船部2止/甲7套大日記 会計局申出 肇敏丸修復に付長崎製作所へ依頼方工部省へ御掛合』。Ref.C09111607700。 
    • 『公文類纂 明治7年 巻13 本省公文 艦船部1/管轄(1)』。Ref.C09112101900。 
    • 『公文類纂 明治7年 巻13 本省公文 艦船部1/管轄(2)』。Ref.C09112102000。 
    • 『公文類纂 明治7年 巻15 本省公文 艦船部3/航泊出入(1)』。Ref.C09112104300。 
    • 『公文類纂 明治7年 巻16 本省公文 艦船部4止/修覆(4)』。Ref.C09112105600。 
    • 『公文類纂 明治7年 巻16 本省公文 艦船部4止/修覆(6)』。Ref.C09112105800。 
    • 『公文類纂 明治9年 巻11 本省公文 艦船部/徃入498 肇敏丸熊本より島原へ回船の件東海鎮守府届』。Ref.C09112168600。 
    • 『公文類纂 明治9年 巻11 本省公文 艦船部/徃入846 肇敏丸を以て雲揚艦諸品運漕の件東海鎮守府上申』。Ref.C09112170800。 
    • 『公文類纂 明治9年 巻12 本省公文 艦船部/往入805 肇敏丸横置轆轤修復の件鹿児島造船所届』。Ref.C09112174600。 
    • 『公文類纂 明治10年 前編 巻11 本省公文 艦船部1/往入184 肇敏丸兵庫出港の件東海鎮守府届』。Ref.C09112318400。 
    • 『公文類纂 明治10年 前編 巻11 本省公文 艦船部1/往入1306 肇敏丸長崎より鹿児島へ入港の件東海鎮守府届』。Ref.C09112321000。 
    • 『公文類纂 明治10年 前編 巻11 本省公文 艦船部1/往出663 鹿児島造船所地金積込として肇敏丸出発の件川村参軍へ上申』。Ref.C09112322100。 
    • 『公文類纂 明治10年 前編 巻11 本省公文 艦船部1/往入702 第1丁夘艦沈没兵器開拓使便船を以て運漕の件兵器局上申』。Ref.C09112322400。 
    • 『公文類纂 明治10年 後編 巻14 本省公文 艦船部/往入2145 肇敏丸品川入湾の件 東海鎮守府届』。Ref.C09112500000。 
    • 『公文類纂 明治10年 後編 巻14 本省公文 艦船部/往入2278 肇敏丸横須賀入湾の件 東海鎮守府届』。Ref.C09112500200。 
    • 『公文類纂 明治10年 後編 巻14 本省公文 艦船部/往入2408 肇敏丸横浜へ出帆の件 横須賀造船所届』。Ref.C09112500300。 
    • 『公文類纂 明治10年 後編 巻14 本省公文 艦船部/往入2684 肇敏丸横須賀入湾の件 東海鎮守府届』。Ref.C09112500400。 
    • 『公文類纂 明治11年 前編 巻16 本省公文 艦船部1/往入344 雷電肇敏2艦兵学校え引渡の件東海鎮守府届(2)』。Ref.C09112802400。 
    • 『公文類纂 明治11年 前編 巻17 本省公文 艦船部2/往入306 肇敏雷電両艦本省側等え引入に付水路目標取建の件兵学校届他4件』。Ref.C09112804900。 
    • 『公文類纂 明治11年 前編 巻19 本省公文 艦船部4止/往入261 肇敏丸出湾の件横須賀造船所届他4件』。Ref.C09112811300。 
    • 『公文類纂 明治11年 後編 巻20 本省公文 艦船部3止/往入3158 肇敏丸え備付大艇等新製の件兵学校上請』。Ref.C09113008600。 
    • 『明治21年 公文備考 艦船 巻4/艦船売買譲与』。Ref.C06090864600。 
    • 『明治29年 公文備考 艦船4止 巻6/旧石川農商務省へ譲渡1件并旧富士山旧肇敏旧浅間其他売却及下付等の件(2)』。Ref.C06091058800。 
    • 『明治10年 海軍省布達全書/9月』。Ref.C12070003000。 
    • 『明治10年 海軍省布達全書/10月』。Ref.C12070003100。 
    • 『明治11年 海軍省布達全書/1月』。Ref.C12070003700。 
    • 『明治15年 海軍省達 全/丙第12号』。Ref.C12070009800。 
    • 『明治15年 海軍省達 全/丙第28号』。Ref.C12070011400。 
    • 『明治15年 海軍省達 全/丙第37号』。Ref.C12070012300。 
    • 『明治22年 達 上巻/5月』。Ref.C12070025600。 
    • 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/船舶特務艇(1)』。Ref.C14010007000。 
  • 浅井将秀 編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 『近世帝国海軍史要(増補)』 明治百年史叢書 第227巻、原書房、1974年4月(原著1938年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 』第7巻、第9巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9
  • 造船協会 編『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書 第205巻、原書房、1973年(原著1911年)。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 横須賀海軍工廠 編『横須賀海軍船廠史』 明治百年史叢書 第170巻、原書房、1973年3月(原著1915年)。