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歌川国盛 (2代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
胡蝶園春升から転送)
二代目 歌川国盛
ヒト
性別男性 編集
国籍日本 編集
読み仮名うたがわ くにもり 2だいめにだいめ うたがわ くにもり 編集
生年月日1827不明な値 編集
死亡年月日1899不明な値 編集
職業画家芸術家浮世絵師 編集
活動地日本本郷 編集
活躍期1850 編集
活動開始1848 編集
活動終了1860 編集
コレクション所蔵者オークランド美術館国立世界文化博物館国立国会図書館 編集
作者の著作権状態著作権保護期間満了 編集

二代目 歌川国盛(にだいめ うたがわ くにもり、生没年不詳)とは、江戸時代から明治時代にかけての浮世絵師

来歴

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三代目歌川豊国の門人、俗名仙太郎。歌川の画姓を称し、はじめ春升、胡蝶園、のちに一宝斎、一龍斎、一麗斎、春暁斎、蝶園と号す。本郷四丁目に住む。弘化3年(1846年)版行の「丙午歳五月十六日土水性の人うけに入」に「春升改一宝斎国盛画」の落款があり、この年に春升から国盛に改名している。作画期は天保後期から万延の頃にかけてで、錦絵美人画のほか、合巻噺本挿絵などを数多く描いた。生没年は不明だが、明治14年(1881年)3月出版の『浮世画手本』には「故人」とあるので、これよりさほど遡らぬ時期に没していたのがうかがえる。

作品

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  • 江戸名所古跡物語』1冊 合巻 ※自画作、表紙に「胡蝶園作」、「春升画」。序文に「天保十六巳立春」とあるが、天保15年12月2日には弘化に改元しているので、それ以前に翌年一月の刊行を見越して製作されたものと見られる。
  • 『縁取ばなし』1冊 噺本 ※鼻山人作、弘化2年(1845年)刊行
  • 『おとしばなし一口茄子』1冊 噺本 ※嘉永2年(1849年)刊行
  • 女郎花五色石台』 合巻 ※安政2年(1855年)第七編の挿絵を国盛が担当
  • 児雷也豪傑譚』 合巻 ※国盛が二十九編から三十一編までの挿絵を担当(安政3 - 4年)
  • 『伊呂波文庫』初編・2編 合巻 ※柳煙亭種久作、安政6年(1859年)刊行
  • 『落咄流行尽』1冊 噺本 ※鼻山人作、万延2年(1861年)刊行
  • 『落はなし』1冊 噺本 ※鼻山人作。春升改国盛画
  • 「六玉川」 中判錦絵揃物 ※天保末期頃
  • 「横綱秀ノ山土俵入之図」 大判錦絵3枚続 ※弘化・嘉永頃
  • 近江八景之内 堅田落雁」 錦絵 大英博物館所蔵
  • 「近江八景之内 瀬田夕照」 揃物
  • 日々倹約一年の積高」 錦絵 ※刊行年不明
  • 若紫由可理双禄」 錦絵、絵双六 ※立亭光彦作、一宝斎国盛画。刊行年不明
  • さかなのはんじもの」 錦絵 ※刊行年不明

参考文献

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  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年
  • 国際浮世絵学会編 『浮世絵大事典』 東京堂出版、2008年

外部リンク

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関連項目

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