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岐阜県立船津高等学校

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船津高等学校から転送)
岐阜県立船津高等学校
地図北緯36度18分29.2秒 東経137度18分16.1秒 / 北緯36.308111度 東経137.304472度 / 36.308111; 137.304472座標: 北緯36度18分29.2秒 東経137度18分16.1秒 / 北緯36.308111度 東経137.304472度 / 36.308111; 137.304472
過去の名称 船津実科高等女学校
岐阜県立船津高等女学校
国公私立の別 公立学校
設置者 岐阜県の旗 岐阜県
学区 飛騨学区
併合学校 岐阜県立飛騨神岡高等学校に併合
設立年月日 1924年
閉校年月日 1997年3月31日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
設置学科 普通科
高校コード 21164J
所在地 506-1143
岐阜県吉城郡神岡町小萱2138番地2[注釈 1]
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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岐阜県立船津高等学校の位置(岐阜県内)
岐阜県立船津高等学校

岐阜県立船津高等学校(ぎふけんりつ ふなつこうとうがっこう、: Gifu Prefectural Funatsu High School)は、かつて岐阜県吉城郡神岡町小萱にあった公立高等学校神岡町立神岡工業高等学校と統合して岐阜県立飛騨神岡高等学校(当校所在地に設立)となり、1997年平成9年)3月末に閉校した。

設置学科

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沿革

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  • 1924年大正13年)6月 - 吉城郡船津町に船津実科女学校として開校。船津第一尋常高等小学校の南舎2階を仮校舎とする[1]
  • 1925年(大正14年) - 岐阜県船津実科高等女学校に改称[1]
  • 1942年昭和17年)9月25日 - 実科を廃止。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 岐阜県船津高等女学校に改称する。
  • 1944年(昭和19年)
    • 4月1日 - 岐阜県立船津高等女学校に改称する。
    • 11月11日 - 船津町大字船津字スルスワ2142-1[注釈 2]に校舎を新築し、移転。
  • 1945年(昭和20年) - 専攻科設置。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 岐阜県立船津高等学校に改称する。同時に男女共学となる。
  • 1949年(昭和24年)4月 - 寄宿舎竣工。
  • 1950年(昭和25年)6月10日 - 船津町阿曽布村袖川村が合併し、神岡町が発足。
  • 1954年(昭和29年) - 青雲寮竣工。
  • 1967年(昭和42年)5月 - 体育館竣工。
  • 1975年(昭和50年)7月 - 神岡町小萱2138-2に新校舎を建設開始。
  • 1978年(昭和53年)5月 - 神岡町小萱2138-2に新校舎を新築し、移転。
  • 1984年(昭和59年) - 寄宿舎も小菅へ移転。
  • 1991年平成3年)7月 - 高原郷高校教育懇談会を設置。
  • 1992年(平成4年)2月 - 高原郷高校教育懇談会により、高原郷(神岡町・上宝村)の高校の統合について報告書が神岡町に提出される。
  • 1993年(平成5年)
    • 岐阜県内の公立学校で初めて、普通科にスポーツコースを新設。
    • 8月 - 高原郷高校問題対策審議会を設置する。
  • 1995年(平成7年)
    • 11月 - 岐阜県教育委員会が神岡町内の2つの高校(船津高校、神岡工業高校)の統合を決める。
    • 11月21日 - 総合学科設置合同準備委員会を校内に設置。
  • 1997年(平成9年)3月31日 - 閉校。

所在地

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〒506-1143 岐阜県吉城郡神岡町小萱2138番地2

脚注 

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注釈 

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  1. ^ 現・飛騨市神岡町小萱2138-2
  2. ^ 現・飛騨市神岡町船津2142-1。跡地は三井金属鉱業神岡工場となっている。

出典

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  1. ^ a b 『神岡町史 写真編』(2010年10月、飛騨市教育委員会発行)248頁。

参考文献

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  • 『神岡町史 通史編Ⅱ』(飛騨市教育委員会 2008年)P.268 - 280

関連項目

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