難波春水
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(芳賀武から転送)
難波 春水 なんば しゅんすい | |
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別名 | 芳賀 武[1] |
生誕 | 1915年3月30日[2] |
出身地 | 日本 鹿児島県川辺郡知覧村(現:南九州市)[2] |
死没 | 1947年10月(満32歳没)[1] |
学歴 | 大阪高等工業学校 卒業[2] |
ジャンル | 社歌、軍歌、市歌 |
職業 | 作詞家 |
活動期間 | 昭和前期 |
難波 春水(なんば しゅんすい、1915年3月30日[2] - 1947年10月[1])は、昭和時代前期日本の作詞家。別名義に芳賀 武(はが たけし)がある[1]。
来歴
[編集]1915年(大正4年)、鹿児島県川辺郡知覧村(現在の南九州市)に生まれる[2]。村立知覧小学校高等科を卒業後、県立薩南工業学校建築科を経て大阪高等工業学校を卒業した[2]。
帰郷後の1940年(昭和15年)、華北交通が懸賞募集した社歌で一等入選[3]。1942年(昭和17年)には鹿児島日報(南日本新聞の前身紙)が真珠湾攻撃で戦死した横山正治を顕彰する歌の選定を企画し、懸賞募集を行った「あゝ軍神横山少佐の歌」に「芳賀武」名義で入選した[4]。戦後は広島県の「三原市々歌」に本名、大阪府の「高槻市歌」および鹿児島県の「川内市民歌」に「芳賀武」名義で相次いで入選したが、このうち「高槻市歌」の発表演奏が行われたのと同時期の1947年(昭和22年)10月に急逝した[1]。享年33(満32歳没)。
主な作品
[編集]- 華北交通の歌(作曲:岡崎二郎、1940年)[3]
- 三原市々歌(作曲:中村忠)
- 芳賀武名義
脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 福寿十喜「川内市民歌について」(藤山一郎「川内市民歌」、日本コロムビア、1980年) 規格品番:PES-7984-CP
- 華北交通社史編集委員会 編『華北交通株式会社社史』(華交互助会、1984年) NCID BN00896974
- 知覧町立図書館 編『知覧文化』(1964年 - 2007年) NCID AN00147731
- 松元清志「知覧文人の作歌二題」(第9号、1972年)
- 松清五男「胸を病んだふるさとの才人たち」(第41号、2004年)