落合町 (樺太)
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(落合町 (樺太庁)から転送)
おちあいまち 落合町 | |
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廃止日 | 1949年6月1日 |
廃止理由 |
国家行政組織法施行 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 樺太地方 |
都道府県 | 樺太庁 豊原支庁 |
郡 | 豊栄郡 |
面積 | 1,249.263[1] km2. |
総人口 |
25,135人 (1941年12月1日) |
隣接自治体 |
豊栄郡栄浜村、豊北村、川上村 真岡郡清水村、野田町、小能登呂村 泊居郡泊居町 |
落合町役場 | |
所在地 | 樺太庁豊栄郡落合町 |
特記事項 | 1943年4月1日以降は北海地方に所属。 |
ウィキプロジェクト |
落合町(おちあいまち)は、日本の領有下において樺太に存在した町。
当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を、現状に関してはドリンスクを参照の事。
概要
[編集]この土地に集落が存在したのは日露戦争以前からであるが、急速に発展したのは日本領有後の1917年に製紙工場が建設されて以降の事である。
付近には肥沃な農耕地がある。樺太東線栄浜支線と敷香方面との分岐点であり、大谷には飛行場も存在した。
1908年1月19日に最低気温-45.6°Cを観測し、それが戦前の日本における気温の最低記録であった。[2]
歴史
[編集]- 1915年(大正4年)6月26日 - 「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)の施行により、南内淵村、北内淵村が行政区画として発足。栄浜郡に所属し、豊原支庁が管轄。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 南内淵村・北内淵村が合併して落合町となる。
- 1929年(昭和4年)7月1日 - 樺太町村制の施行により一級町村となる。
- 1937年(昭和12年)7月1日 - 豊原支庁が豊栄支庁に改称。
- 1942年(昭和17年)11月 - 所属郡が豊栄郡に、管轄支庁が豊原支庁にそれぞれ変更。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」(大正9年勅令第124号)が廃止され、内地編入。
- 1945年(昭和20年)8月22日 - ソビエト連邦により占拠される。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 国家行政組織法の施行のため法的に樺太庁が廃止。同日落合町廃止。
町内の地名
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地域
[編集]教育
[編集]以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[4]。
国民学校
[編集]- 樺太公立落合第一国民学校
- 樺太公立落合第二国民学校
- 樺太公立大谷国民学校
- 樺太公立円山国民学校
- 樺太公立深草国民学校
- 樺太公立山中国民学校
- 樺太公立黒川国民学校
- 樺太公立川南国民学校
- 樺太公立東内淵国民学校
- 樺太公立内淵国民学校
- 樺太公立美保国民学校
- 樺太公立西内淵国民学校
- 樺太公立小谷国民学校
中等学校
[編集]- 樺太公立落合高等女学校
- 樺太公立落合商業学校
脚注
[編集]- ^ 日本合同通信社『躍進興亜維新展望 : 東亜新秩序建設資料』(1941年)p. 36に「面積八十一方里に及ぶ」とあり。
- ^ 『氣象學講話』岩波書店、1928年12月。NDLJP:1170938。 岡田武松著 p21
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
- ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1678、p. 1693