コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

藤枝雅之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤枝雅之

藤枝 雅之(ふじえ まさゆき、1855年12月16日(安政2年11月8日[1])- 1922年大正11年)3月17日[1][2])は、明治・大正期の神職宮内官、政治家奈良華族貴族院男爵議員。旧姓・飛鳥井[1]

経歴

[編集]

山城国京都権大納言飛鳥井雅典の二男として生まれる[1][3][4]元治元年(1864年興福寺清浄院を相続し[1][3][4]慶応2年2月1866年3 - 4月)得度して住職に就任[1][3][4]慶応4年4月1868年)復飾を命ぜられ[1][3][4]春日社神勤・新神司となる[3]明治2年3月1869年4-5月)、堂上格に列し、同年5月29日7月8日)元服して昇殿を許された[1][3][4]。同年11月12月)家号を藤枝に改名[1][3]1875年(明治8年)3月28日、華族に列し[3]1884年(明治17年)7月8日、男爵を叙爵した[1][5]

明治5年7月4日1872年8月7日)春日神社禰宜に就任[2][3]。以後、兼権中講義、剣池島上陵(孝元天皇)兼檜隈坂合陵(梅山古墳)陵掌・檜隈大内陵(野口王墓)陵掌・檜隈安古岡上陵(文武天皇)陵掌・檜隈墓陵掌、楊梅陵(市庭古墳)陵掌、奈良県出仕、淑子内親王家祗候、京都宮殿勤番、殿掌、歌会始奉行などを務めた[2][3][4][6]

1890年(明治23年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[2][7]、1897年(明治30年)7月9日まで在任[注釈 1]。1904年(明治37年)7月10日に再選され[8]1911年(明治44年)7月9日まで[2]貴族院議員に通算2期在任した。

親族

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』83頁では当選としているが、『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂(8頁)の明治30年当選者に記載なし。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 霞会館 1996b, p. 229.
  2. ^ a b c d e 衆議院 & 参議院 1990, p. 83.
  3. ^ a b c d e f g h i j k 藤枝雅之差出 1875.
  4. ^ a b c d e f g 杉謙二 2011, p. 679.
  5. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  6. ^ a b 人事興信所 1921, p. ふ25.
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、2頁。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、14頁。連続再選の〇印の記載なし。
  9. ^ 霞会館 1996a, p. 31.

参考文献

[編集]
  • 藤枝雅之差出『藤枝家譜』1875年。  - 東京大学史料編纂所所蔵。
  • 人事興信所 編『人事興信録』(6版)人事興信所、1921年。 
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 霞会館 編『平成新修旧華族家系大成』《上巻》吉川弘文館、1996年。 
  • 霞会館 編『平成新修旧華族家系大成』《下巻》吉川弘文館、1996年。 
  • 衆議院; 参議院 編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。 
  • 杉謙二 編『華族畫報』《下》吉川弘文館、2011年。  - 華族画報社大正2年刊の複製
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
藤枝家初代
1884年 - 1922年
次代
藤枝雅脩