大量虐殺
大量虐殺(たいりょうぎゃくさつ、英: Mass killing[1])とは、人間を意図的に大量に虐殺(英: Massacre)すること。
大量虐殺はジェノサイドの訳語でもある[2][3][4]が、ジェノサイドはジェノサイド条約などで、政治共同体、人種、民族、宗教集団を意図的に破壊することと定義されている[5][6]。
また、本項では、大量殺人(英: Mass murder)とは異なるものとして説明する。ただし、Mass murderを大量虐殺と翻訳する場合もある[7]。
概念
[編集]大量虐殺は、英語のMass killing[1]やGenocide (ジェノサイド)[2][3]、Mass murder (大量殺人)[7]の訳語でもある。オランダの社会学者アブラム・デ・スワーンは、大量虐殺(mass annihiliation)、大量絶滅(mass extermination)、大量破壊(mass destruction)、大量殺人(mass murder)とは互換的に使われると指摘している[8]。
ジェノサイドはジェノサイド条約第2条で、「国民的、人種的、民族的又は宗教的集団を全部又は一部破壊する意図をもって行われた」「集団構成員を殺すこと」(集団殺害)や、「重大な肉体的又は精神的な危害を加えること」「肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること」「集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること」「集団の児童を他の集団に強制的に移すこと」と定義される[6]。ジェノサイド条約が採択された1948年時点では、絶滅の意図のない偶発的虐殺や、戦争による殺戮も除外されており、さらに条約の適用は第二次世界大戦の敗戦国に限定されていた[9]。その後、オランダの法学者Pieter N.Drost ドゥロストは、ジェノサイド条約が「政治的集団」を除外したことに異議をとなえ、社会学者アーヴィング・ホロヴィッツは「Genocide: State Power and Mass Murder (ジェノサイド:国家権力と大量殺人)」(1976)でジェノサイドを、国家による民衆の構造的体系的破壊として定義し[9]、ヘレン・ファインは戦争による殺戮もジェノサイドに含めた[9]。
大量虐殺の研究者松村高夫は、ジェノサイドを、国家犯罪としてのマス・キリング(mass-killing、大量虐殺[1])と定義し、これに戦時下における無差別殺戮を含めた[9]。大量虐殺(マス・キリング)には、ジェノサイド、ポグロム、エスノサイド、アトロシティーズ、医療による国家犯罪も含む[9]。マス・キリングの本質は、国家権力による殺戮であるが、国家の指令でなくても、国家が扇動した民衆間の対立が、宗教的対立や民族的対立という形態をとることもある[9]。松村によれば、近現代では、ナチス、スターリン、ポルポトのように、全体主義イデオロギーによるものが多い。マルクス主義者のなかには、社会主義国での虐殺を認めようとしない傾向があったが、社会主義国でもマスキリングが広範囲に実行されていることを踏まえ、松村は、資本主義国だけでなく、社会主義国、発展途上国でのマスキリングをも考察すべきであるという[9]。松村と矢野は、国連のジェノサイド定義では不十分であるとし、大量虐殺(マスキリング)とは、「自国の政府・軍隊などの国家権力主導による、あるいはその執行機関による大量殺戮」であると定義し、政治集団や社会階級に対する虐殺も含めた[10]。
ジェノサイド研究者アーヴィン・ストウブ(Ervin Staub)は、政府や国家によって行われた非戦闘員の殺戮事件を定義するために Mass killing (大量虐殺)概念を提唱した[11]。
大量殺戮とは、集団全体を抹殺する意図を持ったジェノサイドと異なり、集団全体を抹殺する意図なしに集団の構成員を殺害すること、あるいは集団の構成員が明確でないまま多数の人々を殺害することと定義される: "Mass killing means killing members of a group without the intention to eliminate the whole group or killing large numbers of people without a precise definition of group membership."
オランダの社会学者アブラム・デ・スワーンは、大量虐殺とは、つりあいのとれない、近距離の暴力であり、それは、たいてい、戦争、内乱、革命、クーデタという状況で起きると定義する[8]。デ・スワーンの大量虐殺概念では、戦争のように力の均衡のとれた正規軍同士の暴力の使用は除外され、力の不均衡のある虐殺は、力の均衡のとれた戦争とは分離される[14]。力の不均衡のある虐殺とは、たとえば、組織化された兵士が、非武装の組織化されていない無数の人々を殺害するといった場合である[14]。
主な大量虐殺
[編集]一般的に、1つの人種・民族・国家・宗教などの構成員に対する計画的大量虐殺等の行為は、ジェノサイドと言い、その一部はジェノサイド条約において集団殺害罪(国際法違反)として規定されている。
古来、戦争・征服においては大量虐殺は付き物である。ここでは歴史上注目されているものを列挙する。なお、ジェノサイドの項目と一部重複するが、同項目の分類方法とは別に、いわゆる「大量虐殺」と呼ばれている事件の中でも歴史的な大量虐殺と見られるもの[誰によって?]を列挙する。
斜体は犠牲者100万人以上、太字は犠牲者1000万人以上のもの。史料の解釈や実在性・数字の正確性の疑われるものも含まれる。
- ユダヤ人による占領地カナンでの先住民虐殺
- 秦による長平の戦いにおける事後処理
- 秦の始皇帝による坑儒
- 項羽による新安での降伏した秦兵の虐殺
- 共和政ローマにおける諸戦役
- 西ローマ帝国の滅亡
- 唐の安史の乱におけるソグド人虐殺[15][16]
- ムハンマドによるクライザ族虐殺事件
- アラブ人の奴隷貿易
- 十字軍におけるキリスト、イスラムおよびユダヤ各教徒の被害
- 南フランスにおけるアルビジョア十字軍
- モンゴル帝国によるユーラシア大陸の征服
- レコンキスタ達成後、イスラム教徒、ユダヤ教徒に対する虐殺(スペイン異端審問)
- ティムールによる西アジアの征服(エスファハーン包囲戦 (1387年))
- ヨーロッパにおける魔女狩り
- イヴァン4世(雷帝)によるノヴコロド虐殺
- ユグノー戦争
- 織田信長による長島一向一揆の殲滅ほか
- イギリスのクロムウェルによるアイルランド侵攻
- 文禄・慶長の役における朝鮮民被害
- ドイツにおける三十年戦争
- 大坂の陣
- 島原の乱
- 清による中国の征服
- 大西洋奴隷貿易
- ヨーロッパ人によるアメリカ大陸先住民・オーストラリア州先住民の殲滅・征服
- スペインのインカ帝国における虐殺
- インディアン戦争(サンドクリークの虐殺、ウンデット・ニーの虐殺など)、南米インディアンの虐殺
- イギリスのタスマニア人虐殺(オーストラリア)
- マニフェスト・デスティニー
- アメリカ合衆国の南北戦争における焦土作戦
- ヨーロッパ・ロシアにおけるポグロム(古代 - ホロコースト前)
- フランス革命時の王党派の処刑・恐怖政治
- ナポレオン戦争
- イギリス東インド会社及びイギリス領インド帝国における飢饉・虐殺
- 太平天国の乱
- 回民蜂起
- パラグアイにおけるブラジル軍による虐殺(三国同盟戦争)
- トルコのアルメニア人虐殺
- カヌードス戦争
- コンゴ自由国における虐殺
- 米比戦争でのフィリピン人の虐殺
- 義和団の乱でのロシア帝国による江東六十四屯居留民の虐殺(海蘭泡事件、黒龍江・璦琿事件)
- ロシア帝国の赤軍パルチザン・朝鮮人・中国人による日本人とロシア人の虐殺(尼港事件)
- ヘレロ・ナマクア虐殺
- 第一次世界大戦
- ロシア革命(ロシア内戦)
- 関東大震災直後の日本人による朝鮮人・中国人虐殺
- ソビエト連邦スターリンによるウクライナ人への飢餓(ホロドモール)
- ソビエト連邦におけるスターリン治世下での大粛清
- 済南事件
- 平頂山事件
- 日中戦争及び、日中戦争期間の国共内戦
- スペイン内戦
- フランコ将軍による人民戦線派粛清
- 第二次世界大戦
- ソビエト連邦によるバルト諸国占領、フィンランドとの冬戦争、ポーランド分割
- ナチス・ドイツ及び対独協力者によるホロコースト。ユダヤ民族のほか「危険分子」、スラブ民族、共産主義者、身体障害者、同性愛者等の殲滅、強制労働
- ナチスの移動虐殺部隊アインザッツグルッペンによる虐殺
- ドイツ系民兵部隊ヴェアヴォルフ(Werwolf、人狼部隊)、ヤークトフェアベンデ(Jagdverbände、狩猟部隊)、ブントシュー(Bundschuh、紐靴部隊)による虐殺
- 独ソ戦
- ソビエト連邦戦争捕虜に対するナチスの犯罪行為(捕虜・協力者・政治犯の大量虐殺、ホロコーストの一部)
- ソビエト連邦による戦争犯罪(捕虜・協力者・政治犯の大量虐殺)
- レニングラード包囲戦
- ウクライナ蜂起軍によるポーランド人虐殺
- クロアチアファシズム組織ウスタシャによるセルビア人大量虐殺
- アメリカ軍、イギリス軍によるドイツへの空襲(ドレスデン爆撃・ハンブルク空襲など)
- ソビエト連邦による強制収容など(ヨーロッパにおける上記のほか、シベリア抑留など)
- 連合軍(米英仏ソ)による枢軸軍捕虜の強制収容など(アイゼンハワーによるDEF、ライン河畔収容所など)
- ドイツ人追放(民族ドイツ人の定住地、進出地からの強制移住、民族浄化)
- ズデーテン大虐殺[17]
- 太平洋戦争
- 中国によるウイグル・チベット(チベット動乱など)・東トルキスタン・南モンゴル・広西チワン族自治区での迫害・虐殺・民族浄化
- 国共内戦
- インド・パキスタン分離独立
- 二・二八事件
- コロンビアのラ・ビオレンシア(暴力の時代)
- 反右派闘争
- イスラエルによるパレスチナ人虐殺(第一次中東戦争における虐殺事件)
- 日本降伏後の南朝鮮における白色テロ
- 朝鮮戦争
- アルジェリア戦争
- スハルトによる共産主義者虐殺
- ベトナム戦争
- ビアフラ戦争
- カンボジア内戦
- 暗黒の5月事件
- ロン・ノルとアメリカ軍による無差別爆撃
- バングラデシュ独立戦争
- ポル・ポト派による虐殺(カンボジア大虐殺)
- 文化大革命
- アンゴラ内戦
- コンドル作戦
- モザンビーク内戦
- イラン・イラク戦争
- ソ連侵攻によるアフガニスタン紛争 (1978年-1989年)
- イサック虐殺
- 六四天安門事件
- イラクによるクルド人虐殺(ハラブジャ事件など)
- ルワンダ紛争
- ユーゴスラビア紛争
- ナゴルノ・カラバフ戦争
- ダルフール紛争における虐殺
- 第二次コンゴ戦争とそれに続く内乱
- シリア内戦
- 2022年ロシアのウクライナ侵攻
- 2023年パレスチナ・イスラエル戦争
脚注
[編集]- ^ a b c 松村 & 矢野 2007, p. 6.
- ^ a b 添谷 2011, p. 23, 57.
- ^ a b C P.Scherrer代表「大量虐殺と集団暴力の比較研究:その普遍的形態の分析と防止策の考察」科学研究費助成事業,広島市立大学,2004 – 2007
- ^ バシール,ハリマ/ルイス,ダミアン著、真喜志順子訳「悲しみのダルフール : 大量虐殺 (ジェノサイド) の惨禍を生き延びた女性医師の記録」PHP研究所(2010)
- ^ 西井正弘「ジェノサイド」『世界大百科事典 12 シ―シャ』平凡社、2007年9月1日 改訂新版発行、51頁。
- ^ a b “集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約”. データベース「世界と日本」. 政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所. 2024年5月4日閲覧。
- ^ a b Abram de Swaan, The Killing Compartments: The Mentality of Mass Murder, 2015日本語訳アブラム・デ・スワーン、大平章訳『殺人区画 大量虐殺の精神性』法政大学出版局、2020.
- ^ a b デ・スワーン 2020, p. 9.
- ^ a b c d e f g 松村高夫「マス・キリングの社会史 : 問題の所在」三田学会雑誌 94 (4), 565(1)-580(16), 2002-01,慶應義塾経済学会
- ^ 松村 & 矢野 2007, p. 10.
- ^ Staub 2011.
- ^ Staub 1989, p. 8.
- ^ Staub 2011, p. 100: "In contrast to genocide, I see mass killing as 'killing (or in other ways destroying) members of a group without the intention to eliminate the whole group, or killing large numbers of people' without a focus on group membership."[12]
- ^ a b デ・スワーン 2020, p. 6.
- ^ ...その際の混乱にあたり燕京におった胡人が大虐殺に遭った..., 前嶋信次『東西文化交流の諸相』, 東西文化交流の諸相刊行会, 1971年, 110頁
- ^ ...盧竜にソグド系武人の史料がほとんど残っていないのは,安史の乱末期に安史軍を構成していたソグド人が大量に虐殺されたことと関係しているという指摘がある...(栄新江「安史之乱後粟特胡人的動向」『曁南史学』 2 2003,115頁) 森部豊「ソグド系突厥の東遷と河朔三鎮の動静 -特に魏博を中心として-」『関西大学 東西学術研究所紀要』第41輯, 平成20年(2008年)4月, 145頁
- ^ ソ連のロシア人と、チェコスロヴァキアの民族主義者によるズデーテン地方にいたドイツ民間人の大虐殺(アルフレッド・デ・ザヤス (en:Alfred-Maurice de Zayas著 "A Terrible Revenge")。また、ナチス・ドイツの強制収容所が、ドイツ民間人を収容するために一時的に転用もされた。
- ^ 宮崎正弘『出身地でわかる中国人』PHP研究所、2006年、185頁。ISBN 4569646204。
- ^ “Ghosts Of Cheju A Korean Island's Bloody Rebellion Sheds New Light On The Origin Of The War” (英語). ニューズウィーク. (2000年6月19日) 2011年2月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 松村, 高夫; 矢野, 久 (2007), 大量虐殺の社会史――戦慄の二〇世紀――, ミネルヴァ書房
- スプリンガー, ジェーン 著、築地誠子 訳『1冊で知るジェノサイド』石田勇治解説、原書房、2010年。ISBN 9784562045235。
- 添谷育志「大量虐殺の語源学―あるいは「命名の政治学」」『明治学院大学法学研究』第90巻、明治学院大学法学会、2011年1月、23-108頁、ISSN 13494074、NAID 120005354966。
- Andreopoulos, George J. (1997), Genocide: Conceptual and Historical Dimensions, University of Pennsylvania Press, ISBN 978-0-8122-1616-5
- Charny, Israel W. (1999), Encyclopedia of Genocide, ABC-CLIO, ISBN 978-0-87436-928-1
- Horowitz, Irving Louis (1989), Persuasions and Prejudices: An Informal Compendium of Modern Social Science, 1953–1988, Transaction Publishers, ISBN 978-0-88738-261-1
- Kiernan, Ben (2007), Blood and Soil: A World History of Genocide and Extermination from Sparta to Darfur, Yale University Press, ISBN 978-0-300-10098-3
- Kuper, Leo (1982), Genocide: Its Political Use in the Twentieth Century, Yale University Press, ISBN 978-0-300-03120-1
- Melson, Robert (1992), Revolution and Genocide: On the Origins of the Armenian Genocide and the Holocaust, University of Chicago Press, ISBN 978-0-226-51990-6
- Moses, A. Dirk (2004), Genocide and Settler Society: Frontier Violence and Stolen Indigenous Children in Australian History, Berghahn Books, ISBN 978-1-57181-410-4
- Schabas, William (2000), Genocide in International Law: The Crimes of Crimes, Cambridge University Press, ISBN 978-0-521-78790-1
- Staub, Ervin (1989). The Roots of Evil: The Origins of Genocide and Other Group Violence (illustrated, reprinted, revised paperback ed.). Cambridge, England: Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-42214-7
- Staub, Ervin (2011). Overcoming Evil: Genocide, Violent Conflict, and Terrorism (illustrated, reprinted hardback ed.). Oxford, England: Oxford University Press. ISBN 978-0-195-38204-4
- デ・スワーン, アブラム 著、大平章 訳『殺人区画 大量虐殺の精神性』法政大学出版局、2020年。ISBN 9784562045235。