蠣崎光広
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時代 | 室町時代後期 - 戦国時代 |
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生誕 | 康正2年(1456年) |
死没 | 永正15年7月12日(1518年8月18日) |
別名 | 彦太郎 |
官位 | 若狭守 |
氏族 | 蠣崎氏 |
父母 | 武田信広、蠣崎季繁養女 |
兄弟 | 下国恒季室、光広、女子 |
子 | 女子、義広、高広、基広 |
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蠣崎 光広(かきざき みつひろ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。
父・信広の後を継いで本拠をそれまでの上国から松前の大館に移し、蝦夷の経営に力を注いだ。永正12年(1515年)または永正16年(1519年)のショヤコウジ兄弟の戦い等にも関与している。
蠣崎氏3代当主(1494年 - 1518年) | |
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宗家 | |
分家・支流 | |
崇行院松前家 | |
松川松前家 | |
泰広系 | |
正広系 | |
守広系 |