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豊崎町 (長崎県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
豊崎村 (長崎県)から転送)
とよさきまち
豊崎町
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 新設合併
豊崎町琴村上対馬町
現在の自治体 対馬市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
上県郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 5,510
国勢調査、1950年)
隣接自治体 上県郡琴村佐須奈村
豊崎町役場
所在地 長崎県上県郡豊崎町大字比田勝795番地
座標 北緯34度39分18秒 東経129度27分49秒 / 北緯34.65492度 東経129.46358度 / 34.65492; 129.46358座標: 北緯34度39分18秒 東経129度27分49秒 / 北緯34.65492度 東経129.46358度 / 34.65492; 129.46358
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豊崎町(とよさきまち)は、長崎県上県郡にあった町。1955年(昭和30年)に南隣[1]琴村と合併し、上対馬町となった。

現在の対馬市上対馬町の北部にあたる。

地理

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対馬島の最北端に位置する。

  • 山:オロン岳、加治我岨(かじがそね)
  • 島嶼:海栗島、海老島、裸島、三つ島、高ノ島、中ノ島、鳥島、荻ノ島、品木島、志古島、東風防島、沖椎根島、地椎根島、裏島、小島
  • 港湾:比田勝港、泉湾、大浦湾、津和浦

沿革

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当町域の一帯について、中世は「豊崎郡」および「佐護郡」の各一部、近世は「豊崎郷」および「佐護郷」の各一部に属した[2][3][4][5][6]。また『津島紀事』によれば、豊崎郷内には枝村1村を含む18村[7]、佐護郷内には8村[8]が属していたとされる[5][6]。豊崎郷と佐護郷は対馬島内の他の各郷とともに明治5年に廃止された[5][6]

  • 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、大浦村・河内村・鰐浦村・豊村・泉村・西泊村・古里村・比田勝村・網代村・富ヶ浦村・唐舟志村・玖須村・浜玖須村・大増村が合併し上県郡豊崎村が発足[9]
  • 1948年(昭和23年)12月1日 - 豊崎村が町制施行、豊崎町となる[10]
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 琴村と合併して上対馬町が発足し、豊崎町は自治体として消滅。

地名

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大字を行政区域とする。

  • 網代(あじろ)
  • 泉(いずみ)
  • 大浦(おおうら)
  • 大増(おおます)
  • 河内(かわち)
  • 玖須(くす)[11]
  • 唐舟志(とうじゅうし)
  • 富ヶ浦(とみがうら)
  • 豊(とよ)
  • 西泊(にしどまり)
  • 浜玖須(はまぐす、はまくす)[12]
  • 比田勝(ひたかつ)
  • 古里(ふるさと)
  • 鰐浦(わにうら)

名所・旧跡

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参考文献

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脚注

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  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1954年4月1日
  2. ^ 対馬6町合併のあゆみ 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)
  3. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「豊崎郡」
  4. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐護郡」
  5. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「豊崎郷」
  6. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐護郷」
  7. ^ 西津屋・河内・左河内・大浦・鰐浦・豊・泉・西泊・古里・比田勝・網代・富浦・津和原(つわばる)・唐舟志・浜久須・大増・五根緒・舟志の各村からなる。幕末から明治初期までに左河内村は河内村に、津和原村は唐舟志村にそれぞれ統合されたものとみられる。
  8. ^ 深山・仁田内・恵古・井口・友谷・湊・佐須奈・玖須(久須)の各村からなる。このうち佐須奈村と玖須村を除く6村は1876年(明治9年)に統合され、佐護村となった。
  9. ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1][2]』長崎県公報 明治41年3月25日付号外
  10. ^ 総理府告示 第6号 村を町とする処分 官報. 1949年01月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 「久須」とも表記。
  12. ^ 「浜久須」とも表記。
  13. ^ 塔の首遺跡 長崎県の文化財
    ※上対馬町発足後の1977年(昭和52年)、国の史跡に指定。
  14. ^ 鰐浦ヒトツバタゴ自生地 長崎県の文化財

関連項目

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