軍事委員会調査統計局
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Bureau of Investigation and Statistics | |
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国民政府军事委员会调查统计局 | |
Intelligence gathering and covert spying概要 | |
設立年月日 | 1927 |
解散年月日 | 1946 |
継承後組織 | |
監督大臣 |
国民政府軍務委員会調査統計局(こくみんせいふぐんむいいんかいちょうさとうけいきょく、軍務局、英:Bureau of Investigation and Statistics)は、 中国国民党の秘密工作組織である。
日中戦争時代は、軍事委員会調査統計局と呼ばれ、略して軍統として知られた[1]。
歴史
[編集]特務処時代
[編集]中華民国の軍統系情報機関の歴史は、北伐時代に始まる。1928年、国民革命軍総司令蔣介石は、総司令部内に密査組を設立した。戴笠が同組の主持を担当し、北伐前線の軍事情報の調查収集を担当した[2][3]。
1931年に満州事変、1932年には第1次上海事変が起こった。1932年3月、国民政府軍事委員長蔣介石は、高級軍事会議を招集し、情報網を組織し、調査資料を収集し、国內外情勢を研究して、外敵を防ぎ、国家安定の参考にすることを決議した。同年4月1日、特務処が設置された。同年9月、軍事委員会に調査統計局が設置され、特務処は第二処に改称されて同局の管轄下に入った[2]。
軍統局時代
[編集]1937年、日中戦争が勃発し、情報工作が日増しに重要となったため、特務処は軍事委員会調査統計局(軍統)に拡大された。局長は軍委高級長官が兼任し、副局長は戴笠が務め実務を担当した[2]。
保密局時代
[編集]終戦後の1946年5月、国民党政府は南京に復帰し、軍事委員会が廃止され、国防部が成立した。同年8月、軍統局は国防部保密局に改編され、保全・防諜工作を担当した[2]。
1950年6月、保密局が正式に編成された。台北士林芝山岩に局本部を設置し、国内保安工作と情報収集を担当した[2]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 土屋光芳「「戦わざる軍隊」:汪政権軍の特質についての一考察」『政經論叢』第78巻第3-4号、明治大学政治経済研究所、2010年1月、47-100頁、ISSN 0387-3285。
- ^ a b c d e “中華民國國防部中文版 »國軍單位 »參謀本部直屬機關 »軍事情報局 »單位簡介”. 2015年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月21日閲覧。
- ^ “中華民國國防部中文版 »國軍單位 »參謀本部直屬機關 »軍事情報局 »工作創始人”. 2016年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月21日閲覧。
参考文献
[編集]- Fenby, Jonathan (2004). Chiang Kai Shek: China's Generalissimo and the Nation He Lost. New York: Carrol & Graf. ISBN 978-0-7867-3984-4 2017年4月20日閲覧。
- Polmar, Norman; Allen, Thomas (1997). Spy book : the encyclopedia of espionage (1st ed.). New York: Random House. ISBN 9780679425144
- Yeh, Wen-hsin (1989). “Dai Li and the Liu Geqing Affair: Heroism in the Chinese Secret Service During the War of Resistance”. The Journal of Asian Studies 48 (3): 545–562. doi:10.2307/2058639. ISSN 0021-9118. JSTOR 2058639.