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近藤恒夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こんどう つねお

近藤 恒夫
生誕 (1941-08-20) 1941年8月20日[1]
日本の旗 日本秋田県
死没 (2022-02-27) 2022年2月27日(80歳没)
日本の旗 日本東京都
出身校 北海学園大学中退
著名な実績 日本ダルク創設
代表作 『薬物依存を超えて』海拓舎
肩書き 日本ダルク代表
NPO法人アパリ理事長
受賞 東京弁護士会人権賞(1994年[2]
吉川英治文化賞2001年
作田明賞最優秀賞(2013年
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近藤 恒夫(こんどう つねお、1941年昭和16年)8月20日 - 2022年令和4年)2月27日)は、日本社会運動家日本DARC代表。秋田県出身。北海学園大学中退。

経歴

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秋田県出身。北海学園大学中退後、レストランや船会社などで勤務した。1972年から覚せい剤を使用し始め、1978年に精神病院に入院。1980年に覚せい剤取締法違反で逮捕され、札幌地裁で有罪判決を受ける[3]

1985年ロイ・アッセンハイマーの影響で薬物依存者のための日本初の民間のリハビリセンターである「DARC(ダルク・デイケア・センター)」を東京都日暮里に創設。その後、アジア太平洋地域の国々の依存症問題に取り組むNPO法人「アパリ」も創設[4]。 

1995年東京弁護士会人権賞、2001年吉川英治文化賞2013年作田明賞最優秀賞をそれぞれ受賞。

2022年2月27日、大腸がんのため東京都内の自宅で80歳で死去[5]

受賞歴

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著書

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  • 『薬物依存―回復のための12章 DARC10年の軌跡』(1996年12月1日、大海社)
  • 『薬物依存を越えて―回復と再生へのプログラム』(2000年8月1日、海拓舎)
  • 『仲間になってくれてありがとう―ロイ神父からのメッセージ―』(2007年1月1日、日本ダルク)
  • 『真冬のタンポポ 覚せい剤依存から立ち直る』(2018年2月21日双葉社

脚注

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出典

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  1. ^ 人材バンクネット
  2. ^ 東京弁護士会人権賞歴代受賞者一覧
  3. ^ 近藤恒夫 プロフィール”. HMV&BOOKS online. 2021年10月1日閲覧。
  4. ^ 日本ダルク代表/NPO法人アパリ理事長近藤 恒夫”. 人材バンクネット. 2021年10月1日閲覧。
  5. ^ “ダルク創設者の近藤恒夫さん死去”. 共同通信社. (2022年3月7日). https://web.archive.org/web/20220307023046/https://nordot.app/873392269183827968 2022年3月7日閲覧。