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連合参謀本部

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連合幕僚長会議から転送)
1943年8月23日ケベックでの連合参謀本部の会議


連合参謀本部 (れんごうさんぼうほんぶ、英語: Combined Chiefs of Staff, CCS) は、ソ連中国を除く第二次世界大戦時の連合国軍の最高司令部である。イギリス参謀長委員会(CSC)とアメリカ統合参謀本部[1]からなる[2]

概要

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アルカディア会談中の1942年1月10日に英参謀長委員会が提出した"Post-ARCADIA Collaboration"にアメリカ側が同月14日に同意して設置された[3]。同月23日にワシントンD.C.連邦準備制度ビル英語版で第1回会議を開催した[4]。英軍幹部はロンドンから数千マイル離れたワシントンD.C.に常駐出来ないため、英参謀長委員会を代弁するJoint Staff Missionが置かれた。統合参謀派遣団は三軍による組織であり、戦時中にジョン・ディル英語版元帥(死後ヘンリー・メイトランド・ウィルソン英語版元帥が後継)、ジェームズ・サマヴィル海軍大将らが在籍した。アメリカ統合参謀本部が第1回会合を開いたのは2月9日である[5]

CCSは英米両政府に対する義務を負っていたが、太平洋英語版インド英語版、及び北アフリカを含む全戦域において、多数の国々から来た軍隊を統率した。

CCSの全体会議は通常、大戦略に関する大きな戦時会談(例えばカサブランカでの)の間にのみ行われた。フランク・マクスウェル・アンドルーズ英語版将軍は、1943年1月のカサブランカ会談時、欧州作戦戦域における米軍全体の司令官の任にあった。

構成

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CCSの主要構成員は、以下である。

脚注

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  1. ^ 連合参謀本部の設置に伴い、英国参謀本部に相当する組織が必要となったため、1942年設置。ただし公式に設置されたのは1947年。1947年国家安全保障法の成立により、法的根拠を得た。荒井弥信「1947年国家安全保障法成立までの核抑止戦略の胎動 : 米国統合参謀本部(JCS)による原爆分析を中心に」『国際公共政策研究』第12巻第2号、大阪大学大学院国際公共政策研究科、2008年3月、211-225(p.312)、ISSN 1342-8101NAID 120004845122  "History of the Joint Staff", Joint Chiefs of Staff Official Web Site.
  2. ^ 荒井弥信「1947年国家安全保障法成立までの核抑止戦略の胎動 : 米国統合参謀本部(JCS)による原爆分析を中心に」『国際公共政策研究』第12巻第2号、大阪大学大学院国際公共政策研究科、2008年3月、211-225(p.312)、ISSN 1342-8101NAID 120004845122 
  3. ^ Ray S. Cline, United States Army in World War II: The War Department: Washington Command Post: The Operations Division (Washington, D. C.: Center of Military History, United States Army, 1951), p. 100
  4. ^ Post-Arcadia Conference (Washington, DC), January 23-May 19, 1942 Joint History Office of the Joint Chiefs of Staff
  5. ^ Cline, Washington Command Post: The Operations Division, p. 99

外部リンク

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