東京都立南葛飾高等学校
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(都立南葛飾高校から転送)
東京都立南葛飾高等学校 | |
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北緯35度44分42.8秒 東経139度50分54.1秒 / 北緯35.745222度 東経139.848361度座標: 北緯35度44分42.8秒 東経139度50分54.1秒 / 北緯35.745222度 東経139.848361度 | |
過去の名称 |
東京府立第十六高等女学校 東京府立葛飾高等女学校 東京都立葛飾高等女学校 東京都立葛飾女子新制高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東京 |
設立年月日 | 1940年1月12日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程(全18学級) 定時制課程(全10学級) |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D113299906054 |
高校コード | 13260J |
所在地 | 〒124-0012 |
東京都葛飾区立石六丁目4番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
東京都立南葛飾高等学校(とうきょうとりつみなみかつしかこうとうがっこう)は、東京都葛飾区立石六丁目にある都立高等学校。略称・南葛(なんかつ)。
概要
[編集]かつての学校群制度では、第6学区62群で東京都立葛飾野高等学校、東京都立本所高等学校と同じグループであった。府立十六高女以来の歴史を汲む。
沿革
[編集]- 1940年(昭和15年)1月12日 - 東京府立第七高等女学校(現:東京都立小松川高等学校)内に東京府立第十六高等女学校として設置。
- 1940年(昭和15年)4月4日 - 開校。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 東京府立葛飾高等女学校と改称。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 東京都立葛飾高等女学校と改称。
- 1946年(昭和21年)3月20日 - 葛飾区上千葉町115番地(現:葛飾区立双葉中学校)に移転。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により東京都立葛飾女子新制高等学校に改組。定時制課程設置。
- 1949年(昭和24年)3月19日 - 現在地に移転。
- 1950年(昭和25年)1月28日 - 東京都立南葛飾高等学校と改称。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 男女共学開始。
最寄駅・バス停
[編集]- 京成押上線京成立石駅より徒歩9分(経路案内)。
- 京成本線お花茶屋駅より徒歩10分(経路案内)。
- 京成本線・京成押上線青砥駅より徒歩11分(経路案内)。
- 京成バス葛飾区役所前徒歩3分、白鳥1丁目徒歩3分。
- 都営バス白鳥1丁目徒歩3分。
著名な出身者
[編集]教員
[編集]林竹二記録映画上映会
[編集]林竹二が最晩年に瑞栄夫人とともに「授業巡礼」に入った学校は、この都立南葛飾高校の定時制である。(参考文献 「授業による救い」「続 授業による救い」林竹二編) NHK「授業巡礼ー哲学者林竹二が残したもの」もこの学校の教師たちの教育実践を紹介している。また、演出家竹内敏晴が日本の学校ではじめて「演劇」の授業を開講したのもこの定時制である。その記録は「からだ 演劇 教育」の題で岩波新書から出版されている。ほかに「男はつらいよ 寅次郎かもめ歌」の撮影現場でもある。