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野沢橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野沢橋
地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 長野県佐久市市原 - 中込
交差物件 千曲川
用途 道路橋
路線名 長野県道144号本町中込停車場線
管理者 長野県
施工者 駒井鉄工日本鋼管松尾橋梁
竣工 2000年平成12年)
開通 2000年(平成12年)9月25日
座標 北緯36度13分35.3秒 東経138度28分32.2秒 / 北緯36.226472度 東経138.475611度 / 36.226472; 138.475611 (野沢橋)
構造諸元
形式 3径間連続箱桁橋
材料
全長 167.0 m
15.00 m
最大支間長 55.2 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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長野県道144号標識

野沢橋(のざわばし)は、長野県佐久市市原 - 中込の千曲川に架かる長野県道144号本町中込停車場線の橋長167 m(メートル)の桁橋

概要

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現橋

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旧橋

  • 形式 - 4径間単純ポニーワーレントラス橋
  • 橋格 - 三等橋
  • 橋長 - 164.0 m
    • 支間割 - 4×40.23 m
  • 幅員 - 5.5 m
  • 施工 - 日本橋梁(上部工)・鹿熊組(下部工)

[3][4][5]

歴史

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佐久甲州街道にあって千曲川を渡る橋として重要な地位を占めた。江戸時代には、1729年享保14年)に水害のために流失したという記録が残されている[2]

明治時代には、1870年明治3年)7月に流失し、1871年(明治4年)9月に仮橋となった[6][7]

1881年(明治14年)3月に橋長136 m、幅員2.5 mの木橋となった[8][9]

1890年(明治23年)1月25日に橋長164 m、幅員5.5 mに本格的な木造方杖橋となったが、1898年(明治31年)に流失し、しばらく渡船に頼ることになった[8][10]

1901年(明治34年)に橋長167 m、幅員3.9 mの木造方杖橋が架橋された。これは、木造ながら近代的構造を採用した下路ハウトラス橋であった。これは1910年(明治43年)に橋長163 mとなった[8][2][11]

1927年昭和2年)12月18日、鋼単純ポニートラス橋4連に架け替えられた。これは、当時の南佐久郡内で最初の永久橋である[3][5]。後年に歩道橋が併設された[5]

この旧橋は1999年平成11年)に撤去され[4]2000年(平成12年)9月25日に新橋が同じ位置に開通した[3]

脚注

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出典

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  1. ^ 橋梁年鑑 平成14年版” (PDF). pp. 204, 205. 2020年9月25日閲覧。
  2. ^ a b c 信濃の橋刊行会『信濃の橋百選』(初版)信濃毎日新聞社、2011年7月24日、70, 71頁。ISBN 978-4-7840-7166-1 
  3. ^ a b c 野沢橋”. 土木学会附属土木図書館. 歴史的鋼橋集覧. 土木学会. 2020年9月25日閲覧。
  4. ^ a b 長野県の歴史的橋梁の現況について” (PDF). 土木学会学術論文等公開. 土木史研究第20号. 土木学会. pp. 349-358 (2000年). doi:10.2208/journalhs1990.20.349. 2020年9月25日閲覧。
  5. ^ a b c 野沢橋1927-12-18”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月25日閲覧。
  6. ^ 野沢橋1871-9”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月25日閲覧。
  7. ^ 野沢橋1879”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月25日閲覧。
  8. ^ a b c 福井次郎「長野県統計書に見る明治・大正時代の長野県道路橋架設状況について」(PDF)『土木史研究 講演集』第25巻、土木学会、2005年、297 - 306頁、2020年9月25日閲覧 
  9. ^ 野沢橋1881-3”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月25日閲覧。
  10. ^ 野沢橋1890-1-25”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月25日閲覧。
  11. ^ 野沢橋1901-4”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月25日閲覧。

外部リンク

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