金埈元
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(金シュン元から転送)
金埈元 김준원 | |
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生誕 |
1888年9月18日 朝鮮国漢城府 |
死没 |
1969年1月1日(80歳没) 大韓民国ソウル特別市 |
所属組織 |
大日本帝国陸軍 大韓民国陸軍 |
最終階級 |
大尉(日本陸軍) 准将(韓国陸軍) |
墓所 | 国立ソウル顕忠院忠魂堂第2墓域212室143号 |
金 埈元(キム・ジュヌォン、김준원、1888年9月18日 - 1969年1月1日)は大日本帝国及び大韓民国の軍人。創氏改名による日本名は香川俊元[1]。金貞烈、金英煥の父。
人物
[編集]1888年9月、漢城府に生まれる。1907年、大韓帝国陸軍武官学校に入学[1]。1909年7月、武官学校が閉校となり、中央幼年学校予科3年に編入[1]。1912年5月、陸軍中央幼年学校本科卒業[1]。1914年5月、陸軍士官学校第26期卒業。香川県善通寺の第11師団歩兵第43連隊に見習士官として勤務し、同年12月に歩兵少尉任官[1]。シベリア出兵に派遣。1918年7月、歩兵中尉[1]。1923年8月、歩兵大尉に進級後、予備役編入[1]。予備役編入後は東京高等師範学校の地理歴史科教師[1]。
1949年に懇願されて韓国陸軍に入隊。任少領(軍番15123番)、護国軍参謀長。1950年、慶尚南道地区兵事区司令部参謀長、任中領。1951年、第101師団第102連隊長。1952年3月14日、慶尚南道地区兵事区司令官[2]。同年8月、国防部第4局に転任[3]。1953年、ソウル地区民事部長。1954年4月、慶尚南道地区兵事区司令官(9代)[4]。同年5月、釜山地区衛戍司令官および防空軍司令官を兼任[5]。
1969年、死去。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h 親日人名辞典編纂委員会 2009, p. 619.
- ^ “金(금)준元(원) 中領(중령) 이代理(대리) 執務(집무)! 後任(후임) 兵事區司令官(병사구사령관)” (朝鮮語). 부산일보. (1952年3月26日) 2019年11月15日閲覧。
- ^ “慶南(경남) 兵事區司令官(병사구사령관) 更迭(경질)” (朝鮮語). 부산일보. (1952年8月12日) 2019年11月15日閲覧。
- ^ “慶南兵司後任에 金 大領 就任” (朝鮮語). 부산일보. (1954年4月23日) 2019年11月15日閲覧。
- ^ “釜山 衛戍 司令官 金 大領 就任” (朝鮮語). 부산일보. (1954年5月12日) 2019年11月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』原書房、1976年。
- 裴淵弘『朝鮮人特攻隊「日本人」として死んだ英霊たち』新潮新書、2009年。
- 친일인명사전편찬위원회 編 (2009). 친일인명사전 1. 친일문제연구총서 인명편. 민족문제연구소. ISBN 978-89-93741-03-2
外部リンク
[編集]軍職 | ||
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先代 洪淳鳳 李旬英 |
大韓民国陸軍慶尚南道地区兵事区司令官 第5代:1952.3.12 - 1952.8.12 第9代:1954.4.15 - 1955.11.28 |
次代 文容彩 姜偉奉 |