コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

金子与重郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

金子 与重郎旧字体金子 與重郞、かねこ よじゅうろう、1901年明治34年)1月27日[1] - 1954年昭和29年)10月9日[2][3])は、大正から昭和期の農業経営者、政治家衆議院議員(3期)。

経歴

[編集]

群馬県[2][3]勢多郡粕川村大字室沢[4](現前橋市粕川町室沢)で、金子新作の長男として生まれる[4]。群馬県立勢多農林学校(現群馬県立勢多農林高等学校)を経て、1919年(大正8年)盛岡高等農林学校農学科別科を卒業した[2][3][4]

帰郷して農業を営む[2][3][4]。また、県下の産業組合の組織化に尽力し、組合厚生病院を設けて農村の保健衛生の向上に尽くした[4]。群馬蚕糸会社の設立に参画し、蚕糸業の振興を図った[4]。その他、粕川村会議員、粕川信用販売利用組合長、群馬県購買販売利用組合専務理事、同購買販売利用組合連合会総務部長、群馬蚕糸製造監査役などを務めた[2][3][4]

1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙群馬県第1区から無所属で出馬して初当選[2][3][4][5]。1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙では改進党公認で出馬して再選され[3][4][5]第26回総選挙でも当選し[4][5]、衆議院議員に連続3期在任した[2][3][4]。この間、国民民主党政調会副会長、改進党政策委員会副委員長、同農林部長などを務めた[2][3][4]。議員在任中の1954年10月9日死去、53歳。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈、正五位に叙される[6]

伝記

[編集]
  • 故金子与重郎先生顕彰委員会編『金子與重郎』故金子与重郎先生顕彰委員会、1956年。
  • 東宮七男『金子与重郎』群馬出版社、1956年。

脚注

[編集]
  1. ^ 衆議院『衆議院議員名簿.第5回国会』〈衆議院公報附録〉、1949年、10頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『新訂 政治家人名事典』171頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』179頁。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 『群馬県人名大事典』148頁。
  5. ^ a b c 『国政選挙総覧 1947-2016』73頁。
  6. ^ 『官報』第8338号271頁 昭和29年10月16日号

参考文献

[編集]
  • 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。