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金自點

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金自点から転送)
金自點
各種表記
ハングル 김자점
漢字 金自點
発音: キム・ジャジョム
日本語読み: きん じてん
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金 自點(キム・ジャジョム、1588年 - 1652年1月27日)は、李氏朝鮮中期の文官。第16代国王仁祖に仕えた西人派官僚本貫旧安東金氏[1]

生涯

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1618年兵曹佐郎に任命される。西人派に属し仁祖反正に加担、王の光海君を流刑に追い込み、崔鳴吉等と仁祖を擁立し、功績として定社功臣一等となり、洛興君に封じられた。1636年が朝鮮の降伏を求めて、侵入(丙子の乱)したため、仁祖の側近として参戦。しかし、朝鮮側が丙子の乱に惨敗した責任として、流刑に処された。

1640年、仁祖の特赦を受け、政界復帰。右議政謝恩使を歴任後、1644年左議政に封じられた。自身の孫である金世龍が、仁祖の娘の孝明翁主と婚姻したのを機に、宮廷での影響力を拡大していった。他にも姻戚となった貴人趙氏と共に、対立関係だった昭顕世子愍懐嬪姜氏夫妻を死に追いやった。この事件後、領議政に封じられる。

1649年に後ろ盾だった仁祖が崩御。孝宗即位後は再び、流刑に処される。1651年に王命により、処刑された。

登場作品

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テレビドラマ

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脚注

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  1. ^ 스카이데일리, 일본 정벌 장군의 후손…일본과 숙적 ‘안동김씨’”. skyedaily.com (2016年5月19日). 2022年11月14日閲覧。

外部リンク

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