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鏡城郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鏡城郡
位置
各種表記
チョソングル: 경성군
漢字: 鏡城郡
日本語読み仮名: きょうじょうぐん
片仮名転写: キョンソン=グン
ローマ字転写 (MR): Kyŏngsŏng kun
統計
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
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鏡城郡(キョンソンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道に属する郡。李氏朝鮮王朝時代の地方行政の中心地であり、咸鏡道の名も鏡城に由来する。また、朱乙温泉をはじめとする温泉が多い。

地理

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日本海沿岸に位置する。北に清津市、南に漁郎郡、西に延社郡と接する。

歴史

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植民地期までの鏡城郡は、現在の漁郎郡を含む。

高句麗渤海を経て女真族の領域となり、高麗との間の抗争の場となった。一時期元の統治下に置かれたこともある。朝鮮王朝初期にこの地は「鏡城」と呼ばれるようになり、この地を治める鏡城都護府使は北道節度使の兼任とされるなど、東北辺境統治上の重要な土地とされた。近代に入っても引き続き咸鏡北道の道庁所在地であった。

郡内の羅南には日本軍第19師団が駐屯し、1920年代には羅南邑に郡庁が移転された。羅南は1940年に清津府に編入される。

年表

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この節の出典[1]

  • 1398年 - 鏡城と称され、万戸が置かれた。
  • 1410年 - 鏡城府が置かれる。
  • 1432年7月 - 鏡城都護府に昇格する。
  • 1896年 - 鏡城に咸鏡北道観察使が置かれる。
  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、咸鏡北道鏡城郡の一部(明澗面)が明川郡に編入。鏡城郡に以下の面が成立。(6面)
    • 朱南面・朱北面・漁郎面・朱乙温面・梧村面・龍城面
  • 1930年 - 梧村面が分割され、羅南面・鏡城邑が発足。(1邑6面)
  • 1931年 - 羅南面が羅南邑に昇格。(2邑5面)
  • 1939年 - 龍城面の一部が清津府に編入。(2邑5面)
  • 1940年3月 - 羅南邑の一部が清津府に編入。(2邑5面)
  • 1943年10月1日 (2邑5面)
    • 朱乙温面が朱乙邑に昇格。
    • 漁郎面の一部が分立し、漁大津邑が発足。
    • 清津府の一部が龍城面に編入。
    • 羅南邑および鏡城邑・龍城面の各一部が清津府に編入。
    • 鏡城邑が鏡城面に降格。
  • 1945年 (1邑4面)
    • 龍城面の一部が清津府の一部と合併し、羅南市となる。
    • 龍城面・鏡城面の各一部が清津市に編入。
    • 龍城面の残部が鏡城面に編入。
    • 漁大津邑が漁郎面に編入。
  • 1949年 - 朱乙邑が朱乙温面に降格。(5面)
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、咸鏡北道鏡城郡朱乙温面および鏡城面・朱北面の各一部地域をもって、鏡城郡を設置。鏡城郡に以下の邑・里が成立。(1邑23里)
    • 鏡城邑・九徳里・冠帽里・南夕里・大郷里・独淵里・龍山里・龍川里・龍峴里・モレ温泉里・梅香里・朴忠里・甫上里・生気嶺里・寿星里・勝岩里・梧上里・温大津里・一郷里・長坪里・朱乙温堡里・仲坪里・河面里・花下里
  • 1953年12月 - 生気嶺里が生気嶺労働者区に昇格。(1邑1労働者区22里)
  • 1954年10月 - 甫上里が梅香里に編入。(1邑1労働者区21里)
  • 1963年11月 - 寿星里・勝岩里が合併し、勝岩労働者区が発足。(1邑2労働者区19里)
  • 1972年11月 (1邑4労働者区17里)
    • 朴忠里が朴忠労働者区に昇格。
    • 龍川里が龍川労働者区に昇格。
  • 1977年11月 - 清津直轄市の設置に伴い、清津直轄市鏡城郡となる。(1邑4労働者区17里)
    • モレ温泉里が朱乙里に改称。
  • 1978年10月 - 九徳里が羅南区域に編入。(1邑4労働者区16里)
  • 1981年 (1邑4労働者区16里)
    • 朱乙里が下温堡里に改称。
    • 朱乙温堡里が上温堡里に改称。
  • 1985年7月 - 清津直轄市の廃止に伴い、咸鏡北道鏡城郡となる。(1邑4労働者区16里)
  • 1992年12月 (1邑5労働者区15里)
    • 鏡城邑・下温堡里の各一部が合併し、下温堡労働者区が発足。
    • 下温堡里の残部が上温堡里に編入。
  • 1999年 - 龍峴里が塩盆里に改称。(1邑5労働者区15里)

下部行政区画

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1邑15里5労働者区から構成される。中心部はかつての朱乙邑である。

沿革

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1945年8月15日時点で鏡城郡は以下の2邑4面から構成されていた。

  • 漁大津邑 - 어대진읍【漁大津邑】 (オデジン=ウプ)
  • 朱乙邑 - 주을읍【朱乙邑】 (チュウル=ウプ)
  • 鏡城面 - 경성면【鏡城面】 (キョンソン=ミョン)
  • 漁郎面 - 어랑면【漁郞面】 (オラン=ミョン)
  • 朱北面 - 주북면【朱北面】 (チュブク=ミョン)
  • 朱南面 - 주남면【朱南面】 (チュナム=ミョン)

現在は1邑・5労働者区・15里を管轄する。

  • 鏡城邑(キョンソンウプ)
  • 龍川労働者区(リョンチョンノドンジャグ)
  • 朴忠労働者区(パクチュンノドンジャグ)
  • 生気嶺労働者区(センギリョンノドンジャグ)
  • 勝岩労働者区(スンアムノドンジャグ)
  • 下温堡労働者区(ハオンポロドンジャグ)
  • 冠帽里(クァンモリ)
  • 南夕里(ナムソンニ)
  • 大郷里(テヒャンニ)
  • 独淵里(トギョンニ)
  • 龍山里(リョンサンニ)
  • 梅香里(メヒャンニ)
  • 上温堡里(サンオンポリ)
  • 塩盆里(ヨンブンニ)
  • 梧上里(オサンニ)
  • 温大津里(オンデジンニ)
  • 一郷里(イリャンニ)
  • 長坪里(チャンピョンニ)
  • 仲坪里(チュンピョンニ)
  • 河面里(ハミョンニ)
  • 花下里(ファハリ)

交通

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産業

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温泉や風光明媚な自然で知られ、植民地期には一大観光地であった。

良質の陶土を産し、窯業でも知られる。

観光

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清津から西南方へ35km離れた海辺に位置している。朝鮮の有名な陶磁器生産地、休養観光地である。

  • 塩盆革命史跡地 : 鏡城邑から海辺へ4kmの地点にある。
  • 朱乙温泉
  • 鏡城温泉 : 鏡城邑から2km離れた下温堡里にある。治療用の温泉である。
  • 温堡温泉 : 鏡城邑から西北方へ12kmの地点にある。古くからリゾートとして広く知られている。
  • 鏡威邑城と鏡城南大門 : 高麗時代に建てられ、李朝時代に改築された古跡。

出身者

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  • 武亭 - 北朝鮮の軍人、1904年鏡城郡出身。

脚注

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外部リンク

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