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長崎市立浪平小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長崎市立浪平小学校
地図北緯32度43分50秒 東経129度52分00秒 / 北緯32.73067度 東経129.86658度 / 32.73067; 129.86658座標: 北緯32度43分50秒 東経129度52分00秒 / 北緯32.73067度 東経129.86658度 / 32.73067; 129.86658
過去の名称 私立小曽根小学校
公立中等小曽根小学校
尋常小曽根小学校
尋常鎮鼎小学校
鎮鼎尋常小学校
鎮鼎高等小学校
浪平尋常高等小学校
浪平尋常小学校
浪平尋常高等小学校
長崎市浪平国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎市
設立年月日 1878年(明治11年)1月11日
創立者 小曽根乾堂
閉校年月日 2007年(平成19年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 850-0931
長崎県長崎市南山手15番26号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長崎市立浪平小学校(ながさきしりつ なみのひらしょうがっこう, Nagasaki City Naminohira Elementary School)は、かつて長崎県長崎市南山手にあった公立小学校2007年平成19年)に、統廃合で閉校した。

北大浦小学校南大浦小学校との3校統合の上、同年4月に長崎市立大浦小学校が新設された。

概要

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歴史
1878年明治11年)に小曽根乾堂によって「私立小曽根小学校」として創立された。数回の移管・改称を経て、1947年昭和22年)の学制改革で「長崎市立浪平小学校」となった。2007年(平成19年)に長崎市内の小学校2校(北大浦・南大浦)との統合により、旧・南大浦小学校の地に長崎市立大浦小学校が新設されたため、浪平小学校は130年の歴史に幕を下ろした。
校地
長崎港を一望できる小高い丘の上に立っていた。
学校教育目標
「豊かな心をもち、社会の変化に対応してたくましく生きぬくなみっ子[1]を育てる。」
校章
校歌
2番まであり、どちらにも校名の「浪平」が歌詞に登場する。
校区
長崎市立梅香崎中学校区であった。

沿革

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  • 1878年明治11年)1月11日 - 小曽根乾堂が小曽根町の家屋1棟を寄付し、「私立小曽根小学校」(こぞね)を創設。
  • 1880年(明治13年)12月 - 教育令の施行・および移管により、「公立中等小曽根小学校」と改称。
  • 1886年(明治19年)6月 - 小学校令の施行により、「尋常小曽根小学校」と改称。
  • 1887年(明治20年)3月 - 小曽根町・浪平町・古河町の3町が共同で、鍋冠山[2]に校舎を新築し、「尋常鎮鼎小学校」(ちんてい)[3] と改称。
  • 1893年(明治26年)4月 - 小学校令の改正により、「鎮鼎尋常小学校」(尋常科4ヶ年)と改称。
  • 1899年(明治32年)4月11日 - 「鎮鼎高等小学校」(高等科4ヶ年)と改称し、高等科生対象の学校となる。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 義務年限6年となり、「浪平尋常高等小学校」(尋常科6ヶ年・高等科2ヶ年)と改称。
  • 1910年(明治43年)3月31日 - 高等科を大浦高等小学校(後の長崎市立北大浦小学校)へ移管し、「浪平尋常小学校」(尋常科6ヶ年)と改称。
  • 1924年大正13年)4月1日 - 高等科を併置し、「浪平尋常高等小学校」(尋常科6ヶ年・高等科2ヶ年)となる。
  • 1925年(大正14年)9月20日 - 校舎を増築。
  • 1926年(大正15年)7月1日 - 青年訓練所を開設。
  • 1931年昭和6年)3月11日 - 校舎を増築。
  • 1935年(昭和10年)5月 - 鎮鼎同窓会記念碑が設置[4][5]
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「長崎市浪平国民学校」と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革に伴い、「長崎市立浪平小学校」(最終名)と改称。
  • 1954年(昭和29年)1月24日 - 上部運動場が完成。
  • 1959年(昭和34年)3月28日 - 校舎を増築、さざなみ橋が完成。
  • 1965年(昭和40年)5月5日 - 旧校舎を解体。
  • 1973年(昭和48年)5月11日 - 体育館が完成。
  • 1978年(昭和53年)1月11日 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1982年(昭和57年)9月7日 - プールが完成。
  • 1995年平成7年)8月11日 - コンピューター室を新設。
  • 1996年(平成8年)9月2日 - 寄贈により、ランチルームを新設。
  • 2003年(平成15年)6月 - 北大浦小学校、南大浦小学校との統合が決定する。
  • 2007年(平成19年)
    • 2月28日 - 閉校記念式典を挙行。
    • 3月31日 - 閉校。130年の歴史に幕を下ろす。
      • 校舎はすでに解体され、空き地となっている。なお、道路をはさんで校舎最上階から渡り廊下で結ばれていた運動場・プールの跡地には、現在、児童養護施設マリア園が移転してきている。

アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの国道

周辺

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参考文献

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  • 市制百年 長崎年表 (長崎市役所、1989年(平成元年)4月1日)

脚注

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  1. ^ 平小学校のども
  2. ^ 「なべかんむりやま」。別名「鎮鼎山」とも呼ばれた。標高169.2m。
  3. ^ 「鎮鼎」の由来は、創設者の小曽根乾堂が関係している。小曽根乾堂が1871年(明治4年)5月に日清修好条規締結のため、全権大使伊達宗城に書記として天津へ随行した際、李鴻章に面会し篆刻を送った返礼として送られた「鎮鼎山房の書」に由来していると言われている。
  4. ^ 学校背後の鍋冠山(別名 鎮鼎山)から転がってきたといわれる大岩に小曽根星堂(小曽根乾堂の孫)が文字を刻んでいる。
  5. ^ 長崎市の景観 №125小学校鎮鼎の記念碑の大石 - 長崎市役所ウェブサイト

関連事項

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外部リンク

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