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関東学生アメリカンフットボールリーグ戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

関東学生アメリカンフットボールリーグ戦(かんとうがくせいアメリカンフットボールリーグせん)は、関東・甲越地方に所在する大学のアメリカンフットボール部が参加するリーグ戦である。関東学生アメリカンフットボール連盟が運営している。

概要

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主催の連盟は、1934年に東京学生アメリカンフットボール連盟として発足。 1938年以降は、関東アメリカンフットボール協会の下で関東大学リーグとして運営されていたが、1990年の全国組織の改編により、関東大学アメリカンフットボール連盟として独立し、その後関東学生アメリカンフットボール連盟と改名したのを機にリーグ戦名も追随し変更となり現在に至る。

構成

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加盟校の増加に伴い、リーグ構成は変遷を経ている。2005年現在は、1部から4部の各リーグからなる。1部リーグの優勝校は関東の代表として甲子園ボウルに出場する。2部以下のリーグの成績上位校は、上位のリーグの成績下位校との入れ替え戦を行う(詳細は関東学生アメリカンフットボール連盟を参照。)。

これらのリーグの他に、医学部歯学部のチームからなる医科歯科リーグが別途編成されてリーグ戦を行なっている。

強豪校の変遷

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早大明大立大の三大学で始まった創成期は、先ず明大が黄金期を築き、そこに早大・慶大が対抗し、少し遅れて立大が頭角を表した。

その後は日大が1955年の初優勝から台頭しはじめた。1959年に篠竹幹夫を監督として迎えた日本大学フェニックスは、並立リーグ制時代を経て1980年代までに8連覇を含む23回の優勝をし黄金期を築いた。

1990年代に入ってスポーツ推薦を取り入れた法政大学トマホークスが頭角を現わし始め、1992年以降に日本大学と並ぶ8連覇を含む13回の優勝をしている。2000年代に入り、早稲田大学ビッグベアーズ専修大学グリーンマシンも台頭し始めている。

リーグ戦成績一覧

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備考:⇔は入れ替え戦の結果入れ替わり。|は入れ替えなし

  • 1934年 明治、早大、立教(神宮競技場、立大G)
  • 1935年 明治、早大、立教、法政、慶應(芝公園)
  • 1936年 早大、明治、法政、[立教、慶應] ※立慶は同順 (芝公園)
  • 1937年 早大、明治、[立教、慶應]、法政 ※立慶は同順 (多摩川オリンピア球場、後楽園球場)
  • 1938年 明治、早大、慶應、法政、立教(神宮競技場、後楽園球場、慶應日吉G)
  • 1939年 早大、明治、慶應、法政、立教(後楽園球場、早大東伏見G)
  • 1940年 慶應、早大、明治、法政、日大、立教(後楽園球場、慶應日吉G)
  • 1941年 明治、[法政、日大]、[慶應、早大]、立教 ※法日、慶早は同順(後楽園球場、東伏見野球場)
  • 1942年 明治、[慶應、早大]、立教、法政、日大 ※慶早は同順
  • 1943年~1946年(中断。1946年はオープン戦のみ)
  • 1947年 明治、慶應、日大、早大、法政、立教(早大東伏見G、日大下高井戸G、神宮競技場)
  • 1948年 慶應、明治、早大、立教、日大、法政(芝パーク競技場)
  • 1949年 [慶應、早大]、立教、明治、法政、日大 ※慶早は同順(芝パーク競技場)
  • 1950年 慶應、早大、[立教、明治]、法政、日大 ※立明は同順(後楽園競技場)
  • 1951年 立教、慶應、明治、法政、早大、日大(後楽園競輪場)
  • 1952年 立教、法政、明治、慶應、[早大、日大] ※早日は同順(神宮競技場)
  • 1953年 立教、慶應、[早大、日大]、[法政、明治] ※早日、法明は同順(神宮競技場)
  • 1954年 立教、慶應、日大、早大、法政、明治(神宮競技場、後楽園競輪場)
  • 1955年 日大、立教、早大、慶應、明治、法政(神宮競技場)
  • 1956年 日大、立教、明治、法政、慶應、早大、学習院(神宮競技場、後楽園競輪場)
  • 1957年 日大、立教、慶應、明治、法政、防大、早大、学習院(後楽園競輪場など)
  • 1958年 日大、立教、慶應、法政、防大、早大、明治、学習院 ※日立は決定戦(国立競技場、後楽園競輪場など)
  • 1959年 日大、慶應、立教、早大、防大、法政⇔明治、日体大東大、学習院 ※1部2部制導入(後楽園競輪場、小石川運動場など)
  • 1960年 立教、日大、慶應、防大、明治、早大⇔日体、東大、法政、学習⇔青学成城東経 ※1部-3部制導入、明早は決定戦(後楽園競輪場など)
  • 1961年 日大、慶應、立教、明治、日体、防大⇔早大、法政、青学、東大⇔東経、成城、学習院(後楽園競輪場など)
  • 1962年 日大、立教、明治、慶應、早大、日体⇔法政、防大、東経、東大、成城、青学、学習院 ※1部2部制、(後楽園競輪場など)
  • 1963年 日大、明治、[立教、慶應、法政]、早大⇔防大、東大、成城、東経、日体、学習院、青学 ※立慶法は同順(日大下高井戸G、後楽園競輪場など)
  • 1964年 日大、明治、慶應、法政、防大、立教|東大、早大、成城、青学、日体、東経、学習院(日大下高井戸Gなど)
  • 1965年 立教、日大、慶應、明治、法政、防大⇔東大、成城、早大、東経、専修、青学、[日体、学習院] ※日体・学習院は同順(駒沢陸上、駒沢第2球技場、駒沢補助Gなど)
  • 1966年 日大、立教、慶應、法政、明治、東大、防大、成城⇔早大、専修、青学、日体、学習院、東経|成蹊、関院、國學、独協 ※1部-3部制導入
  • 1967年 1部:日大、[明治、立教、法政]、[防大、慶應]、東大、早大 ※明立法、防慶は同順。東早は決定戦(駒沢陸上、駒沢第2球技場、駒沢補助G、日大下高井戸Gなど)。
  • 1968年 1部:明治、[法政、日大]、立教、慶應、早大、防大、東大 ※法日は同順 (駒沢陸上、駒沢第2球技場、駒沢補助Gなど)
  • 1969年 1部:日大、明治、法政、慶應、立教、早大、防大、東大 ※2部はA~Dブロック制 (駒沢陸上など)
  • 1970年 関東選手権: 決勝→日大42-0明治、準決勝→日大70-0明学、明治83-0防大、1回戦→防大42-6一橋
    • 東京6大学リーグ:明治、立教、慶應、法政、早大、東大
    • 関東6大学リーグ:[防大、専修]、中央、東海、東洋、拓大 ※防専は決定戦
    • さつきリーグ:明学、独協、成城、青学、成蹊、学習
    • 首都6大学リーグ:[一橋、国商、関院]、和光、明星、上智 ※一国関は決定戦
    • 関東大学リーグ:日大、日体、國學、城西、大東、日工、東経、亜大 ※城西、日工は準加盟。各校5カード固定で変則対戦
  • 1971年 関東選手権: 決勝→日大38-19明治、準決勝→日大62-0明学、明治26-6防大、1回戦→防大38-8国商
    • 東京6大学リーグ:明治、法政、立教、早大、東大、慶應
    • 関東6大学リーグ:防大、中央、専修、東海、拓大、東洋
    • さつきリーグ:明学、獨協、成城、青学、成蹊、学習
    • 首都6大学リーグ:国商、関院、和光、一橋、明星、上智
    • 関東大学リーグ:日大、日体、[國學院、城西、大東、日工、東経、亜大、桜美林] ※桜美林は準加盟。各校5カード固定で変則対戦。3位以下は順位不明。
  • 1972年 関東選手権: 決勝→法政18-8日大、準決勝→日大58-18日体、法政42-0明学、1回戦→明学16-16東経(抽選で明学)、日体18-8桜美林、日大80-0一橋、法政22-0防大
    • 東京7大学リーグ:日大法政、明治、早大、立教、慶應、東大
    • 関東7大学リーグ:[防大日体、中央]、東海、専修、拓大、東洋 ※防体中は決定戦。
    • さつきリーグ:[桜美明学]、青学、[独協、学習]、成城、成蹊 ※桜明は決定戦、独学は同順。
    • 首都7大学リーグ:一橋、国商、[関院、和光、明星]、千商、上智 ※関和明は同順
    • 関東学生リーグ:東経、亜大、國學、大東、城西、日工
  • 1973年 関東選手権: 決勝→日大20-20法政(抽選で日大)、準決勝→日大55-0中央、法政44-0東経、1回戦→法政8-6日体、東経18-18千商(抽選で東経)、日大82-0国商、中央22-8青学
    • 東京7大学リーグ:日大法政、明治、立教、東大、早大、慶應
    • 関東7大学リーグ:日体中央、[東海、専修]、防大、東洋、拓大 ※東海・専修は同順
    • さつきリーグ:[青学、成蹊]、明学、[桜美林、獨協]、成城、学習院 ※青学・成蹊は決定戦。桜独は同順。
    • 首都7大学リーグ:千商国商、和光、明星、一橋、上智、関院
    • ローズリーグ:東経、大東、國學院、亜大、城西、日工