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青木國太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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青木 國太郎
あおき くにたろう
生年月日 1928年8月15日
出生地 東京府西多摩郡大久野村(現・東京都日の出町
没年月日 (2020-12-02) 2020年12月2日(92歳没)
所属政党 無所属
称号 従五位
旭日小綬章

当選回数 5回
在任期間 1990年4月16日 - 2010年4月15日
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青木 國太郎(あおき くにたろう、1928年8月15日[1] - 2020年12月2日[2])は、日本政治家東京都日の出町の元町長(5期)。日本初の75歳以上の医療費無料化など、福祉政策を積極的に推し進めたことで知られる[3]

来歴

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東京府西多摩郡大久野村(現・東京都日の出町)に生まれる。1943年7月、海軍特別年少兵として第二次世界大戦に参戦[4]

1948年5月、大久野村役場に入庁。1982年10月、日の出町助役に就任[4]

1990年、日の出町長選挙に立候補し初当選。4月16日、町長就任[5]

バブル崩壊後、日の出町は大型開発の頓挫で税収が伸び悩み、合計特殊出生率も0.79と落ち込んでしまう。青木は、2005年から15歳以下の医療費無料化、町で使える1万円のクーポン支給を開始した[6]。2007年、下水等普及率100%達成[5]

2008年、日の出町では、後期高齢者医療制度の内容に抗議する住民運動が強まっていた。地元の住民団体と町との交渉で、岩手県旧沢内村の医療費無料化の話が青木へ伝えられる。同年9月15日、青木は町主催の敬老福祉大会で、全国にさきがけて「75歳以上の医療費無料化」を宣言。突然の宣言であったが、議会での審議も通り、2009年4月、無料化は実施される[6]

2010年、町長を退任。退任後の橋本聖二町政においても青木の施策方針は引き継がれ、そののち町の出生率は1.82まで回復した[5]

2011年4月、春の叙勲において旭日小綬章を受章する[4]

2013年、日の出町名誉町民第1号に顕彰。

2020年12月2日、死去した。92歳没。訃報は同年12月28日の日の出町広報で公表された[2]。死没日付をもって従五位に叙された[7]

脚注

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  1. ^ 『読売年鑑 2004 分野別人名録』479頁。
  2. ^ a b 『広報日の出』2021年1月号”. 日の出町. 2024年3月9日閲覧。
  3. ^ 杉山圭子 (2022年10月20日). “「日本一」の福祉施策見直し 処分場の振興費減少で 東京都日の出町”. 朝日新聞. 2022年10月21日閲覧。
  4. ^ a b c 『広報日の出』2011年8月号”. 日の出町. 2022年10月21日閲覧。
  5. ^ a b c 『広報日の出』2010年5月号”. 日の出町. 2022年10月21日閲覧。
  6. ^ a b 東京・日の出町視察報告~医療費の窓口負担「ゼロ」の先進町を訪ねて~”. 神奈川県社会保障推進協議会 (2018年5月22日). 2022年10月21日閲覧。
  7. ^ 『広報日の出』2021年3月号”. 日の出町. 2024年3月9日閲覧。

参考文献

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公職
先代
宮岡武一
日の出町旗 東京都日の出町長
1990年 - 2010年
次代
橋本聖二