高階石河
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(高階石川から転送)
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 延暦3年(784年) |
死没 | 承和9年5月29日(842年7月10日) |
別名 | 石川 |
官位 | 従四位下・中務大輔 |
主君 | 嵯峨天皇→淳和天皇→仁明天皇 |
氏族 | 高階真人 |
父母 | 父:高階浄階 |
兄弟 | 石河、河子 |
高階 石河(たかしな の いしかわ)は、平安時代初期の貴族。名は石川とも記される。左大臣・長屋王の子である安宿王の後裔。少納言・高階浄階の子。官位は従四位下・中務大輔。
経歴
[編集]中監物を務めた後、弘仁13年(822年)宮内少丞に任ぜられ、程なく大丞に昇り、嵯峨朝末の弘仁14年(823年)従五位下に叙爵する。同年兵部少輔に任ぜられるが、俄に少納言に遷る。声音が優れているとして父・浄階と相次いで少納言に任ぜられたが、当時の評判では石河の称唯(天皇に召された官人が口を覆って「おお」と応答すること)の声が細やかでかつ高く、父より勝っていたという[1]。淳和朝末には、常陸介や出雲守を続けて兼任した。
仁明朝では、承和2年(835年)従五位上、承和8年(841年)正五位下と昇進し、承和9年(842年)には従四位下・中務大輔に叙任される。同年5月29日に卒去。享年59。最終官位は中務大輔従四位下。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 弘仁2年(811年) 9月25日:見中監物[2]
- 弘仁13年(822年) 日付不詳:宮内少丞。日付不詳:宮内大丞
- 弘仁14年(823年) 正月7日:従五位下。日付不詳:兵部少輔。日付不詳:少納言
- 天長年間末:常陸介。出雲守
- 承和2年(835年) 正月7日:従五位上
- 承和8年(841年) 11月20日:正五位下
- 承和9年(842年) 正月7日:従四位下。2月10日:中務大輔。5月29日:卒去(中務大輔従四位下)