高舘村
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(高館村から転送)
たかだてむら 高舘村 | |
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廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 高舘村、増田町、閖上町、下増田村、館腰村、愛島村 → 名取町 |
現在の自治体 | 名取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 名取郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 28.77 km2 |
総人口 |
4,673人 (『名取市史』、1955年3月31日) |
隣接自治体 | 生出村、仙台市、増田町、愛島村 |
高舘村役場 | |
所在地 | 宮城県名取郡高舘村吉田字長六反131 |
座標 | 北緯38度11分16秒 東経140度51分01秒 / 北緯38.18764度 東経140.85028度座標: 北緯38度11分16秒 東経140度51分01秒 / 北緯38.18764度 東経140.85028度 |
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高舘村(たかだてむら)は、1889年から1955年まで日本の宮城県名取郡にあった村である。高館村とも書いた。名取川が仙台平野に出るあたりの南岸にある農村であった。
概要
[編集]村の面積の半分以上を高舘丘陵の丘陵地が占め、東部が仙台平野である。北の境は名取川で区切られる。
町村制施行にともない1889年(明治22年)に吉田村、川上村及び熊野堂村の区域をもって、高舘村が発足する。
1955年(昭和30年)に高舘からみて南と東にある町村と合併して名取町となり、これが3年後に市制施行して名取市となり、現在に至る。合併は宮城県の案に従って行われたが、高舘村の東隣の中田村は1941年(昭和16年)に仙台市に合併しており、仙台との直線距離がさして変わらない高舘村にも、当時は仙台市への合併に傾く者が多かった。そのため一時は合併協議から退きかけたが、県の強い働きかけで名取町への合併に加わった[1]。
高舘村が発足以前、江戸時代の初めの寛永検地での人口は2939人、明治初年の人口は2597人あった[2]。名取町が発足時の1955年の人口は4673人であった[3]。
行政
[編集]村長
[編集]- 三浦清 1889年(明治22年)4月23日 - 1897年(明治30年)4月22日
- 橘内季一 1898年(明治31年)[4] - 1898年(明治31年)6月24日
- 三浦清 1898年(明治31年)7月15日 - 1906年(明治39年)7月25日
- 遠藤常治 1906年(明治39年)7月25日 - 1910年(明治43年)8月18日
- 三浦清 1910年(明治43年)8月18日 - 1912年(明治45年)7月24日
- 菅井熊治 1912年(大正元年)8月8日 - 1915年(大正4年)2月9日
- 阿部市太郎 1915年(大正4年)3月4日 - 1919年(大正8年)3月3日
- 三浦清 1919年(大正8年)4月24日 - 1919年(大正8年)12月31日
- 遠藤貞介 1920年(大正9年)2月14日 - 1921年(大正10年)3月31日
- 菅井熊治 1921年(大正10年)6月16日 - 1925年(大正14年)6月15日
- 佐伯忠治 1925年(大正14年)7月6日 - 1937年(昭和12年)7月8日
- 菊地彦三郎 1937年(昭和12年)7月9日 - 1941年(昭和16年)7月8日
- 菅井与左エ門 1941年(昭和16年)7月9日 - 1945年(昭和20年)7月8日
- 菊地彦三郎 1945年(昭和20年)7月18日 - 1946年(昭和21年)11月28日
- 三浦孝 1947年(昭和22年)4月5日 - 1955年(昭和30年)3月31日
教育
[編集]1885年(明治18年)に吉田村に作られた吉田小学校が、高舘村成立時に高舘小学校と改称した。高舘小には北西に熊野堂分教場、さらに西に余方分教場があったが、熊野堂分教場は1904年(明治37年)に廃止された。高舘中学校は、1947年(昭和22年)に新設された。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 名取市史編纂委員会『名取市史』、宮城県名取市、1977年。