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鮎貝房之進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鮎貝槐園から転送)
鮎貝 房之進
人物情報
生誕 (1864-02-11) 1864年2月11日
日本の旗 日本宮城県気仙沼市
死没 1946年2月24日(1946-02-24)(82歳没)
出身校 東京外国語学校
学問
研究分野 東洋史言語学
研究機関 朝鮮総督府博物館
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鮎貝 房之進(あゆかい ふさのしん、文久4年1月4日1864年2月11日) - 昭和21年(1946年2月24日)は、日本言語学者歴史学者歌人は槐園(かいえん)。

経歴

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家族・親族

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業績

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言語学的なアプローチからの古代朝鮮の地名・王号などの考証を行い、また民俗学的な研究にも努めた。その成果は雑攷9集としてまとめられ、今日でも優れた先行研究として扱われている。李朝時代の禁書『鄭鑑録』の収集研究を行った。

京都・秦氏の名前由来を「波旦」(ハダ)説を提起した。1986年韓国慶尚北道新羅古碑が発見され、それには古地名「波旦」が明らかにあり、京都大学名誉教授上田正昭が当地を訪れ、鮎貝説を支持している。

著書

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『雑攷9集』

原書は1931年5月から1938年5月にかけて京城にて出版されたものであり、国内13箇所の大学図書館において揃って所蔵される[1]。復刻・復刻再版にあたっては原書の構成を変更していることもあり、それにあわせて書名も変更されている。

  • 第1輯 : 「新羅王位号並に追封王号に就きて」
  • 第2輯上巻・下巻 : 「日本の韓・新羅・任那・百済・高麗・漢・秦等の古訓に就きて」
  • 第3輯 : 「俗字攷附俗訓字・俗音字」
  • 第4輯 : 「花郎攷」
  • 第5輯 :
  • 第6輯上編・下編 : 「俗文攷 附書年月日例」
  • 第7輯上巻 : 「日本書紀朝鮮地名攷」
  • 第7輯下巻 : 「日本書紀朝鮮地名攷」続
  • 第8輯 : 「姓氏攷及族制攷」
  • 第9輯 : 「奴婢攷」

復刻版

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  • 『雑攷日本書紀朝鮮地名攷』国書刊行会 1971年
  • 『雑攷新羅王號攷朝鮮国名攷』国書刊行会 1972年
  • 『雑攷俗字攷・俗文攷・借字攷』国書刊行会 1972年
  • 『雑攷姓氏攷及族制攷・市廛攷』国書刊行会 1973年
  • 『雑攷花郎攷・白丁攷・奴婢攷』国書刊行会 1973年

復刻再版

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  • 『日本書紀朝鮮地名考』国書刊行会 1987年
  • 『朝鮮国名考』国書刊行会 1987年
  • 『朝鮮姓氏・族制考』国書刊行会 1987年

脚注

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  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 55頁。

参考文献

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  • 桜井義之製作「鮎貝房之進年譜、著述一覧」(鮎貝房之進著『朝鮮姓氏・族制考』国書刊行会 1987年 復刻再版)所収

関連項目

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外部リンク

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