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鹿越仮乗降場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鹿越駅から転送)
鹿越仮乗降場
しかごえ
Shikagoe
金山 (6.8 km)
(6.4 km) 東鹿越
所在地 北海道南富良野町東鹿越(移転後)
北海道南富良野町鹿越(移転前)
(移転後)
北緯43度8分29.0秒 東経142度29分8.0秒 / 北緯43.141389度 東経142.485556度 / 43.141389; 142.485556座標: 北緯43度8分29.0秒 東経142度29分8.0秒 / 北緯43.141389度 東経142.485556度 / 43.141389; 142.485556
(移転前)
北緯43度8分53.0秒 東経142度29分22.0秒 / 北緯43.148056度 東経142.489444度 / 43.148056; 142.489444 (鹿越駅)
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 根室本線
キロ程 91.382 km(滝川起点)
電報略号 コヘ
駅構造 地上駅
開業年月日 1900年明治33年)12月2日
廃止年月日 1986年昭和61年)11月1日
備考 キロ程は施設キロ
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1977年の鹿越信号場(当時)と周囲約1km範囲。右上が新得方面。相対式の小さなホームが見える。旧駅や旧集落は右上の沖合に沈んでいる。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

鹿越仮乗降場(しかごえかりじょうこうじょう)は、かつて北海道南富良野町東鹿越にあった日本国有鉄道(国鉄)根室本線仮乗降場廃駅)である。本項目では前身の鹿越駅(しかごええき)および鹿越信号場(しかごえしんごうじょう)についても述べる。駅時代の事務管理コードは▲110405[1]

歴史

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開通後しばらく富良野から狩勝峠へ向けて伸びた鉄道の終点となっていた時期があり、2年後に落合駅まで延伸するまでは、十勝へ向かう入地者・団体が多く利用した他、延伸工事の前線基地としての性格も持った[2]

しかし、空知川への金山ダム1967年竣工)建設に際して、根室本線は金山駅 - 東鹿越駅間で新線を建設し移行することとなった。鹿越駅はダム湖に水没することとなったため廃止され、新線上に信号場として移設され[3][4]、仮乗降場として客扱いを継続することとなった。しかし、1981年(昭和56年)の石勝線開通に伴い、滝川駅 - 新得駅間の輸送量が減少したことを受け、1982年(昭和57年)に信号場が廃止され[5]1986年(昭和61年)に仮乗降場も廃止となった[5]

年表

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  • 1900年(明治33年)12月2日北海道官設鉄道十勝線の下富良野駅(現:富良野駅) - 当駅間延伸開通により、鹿越駅(一般駅)として開業[5][2]。滝川起点94.220km(施設キロ)[3]
  • 1905年(明治38年)4月1日:鉄道作業局(国有鉄道)に移管。
  • 1919年大正8年)5月1日:当駅含む山部駅 - 新得駅間の管轄を旭川管轄から釧路管轄とする[6]
  • 1923年(大正12年)4月1日:当駅含む山部駅 - 新得駅間の管轄を釧路管轄から再び旭川管轄とする[6]
  • 1949年昭和24年)12月1日:当駅含む布部駅 - 新得駅間の管轄を旭川鉄道管理局管轄から再び釧路鉄道管理局管轄とする[6]
  • 1966年(昭和41年)9月29日:金山ダム建設に伴う新線移行で次のように変更。
    • 旧線上の鹿越駅は水没するため、新線滝川起点91.382 km 地点(施設キロ)に鹿越信号場として移設[5][3][4]。仮乗降場として旅客扱いを継続。駅員無配置[4]。分岐器は東鹿越駅から遠隔操作された[4]
  • 1982年(昭和57年)10月15日:信号場廃止、仮乗降場としての扱いは継続[5]
  • 1986年(昭和61年)11月1日:廃止[5]

駅名の由来

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地名より。アイヌ語の「ユㇰルペㇱペ(yuk-rupespe)」(鹿・越える道)を意訳したものと解されることが多いが[7]、これについてアイヌ語研究者の山田秀三は、同名の沢の所在地が当地よりかなり東にあることを踏まえ、隣接する「幾寅」の語源となった、「ユㇰトゥラシペッ(yuk-turashi-pet)」(鹿・登る・川)の方を意訳したのではないか、と推察している[8]

駅構造

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旧駅の鹿越駅は、駅舎が新得に向かって右側に位置し、千鳥状にずれた相対式ホーム2面2線と駅舎横の滝川側に切り欠き状の貨物ホームと引込み線、駅裏の滝川側に寄った位置にストックヤードと貨物積卸線を有する、木材搬出を主な貨物取扱とする一般駅であった[9]

移転後の鹿越信号場/鹿越仮乗降場は、カーブ状の2線から成り、中央に千鳥状にずれた短い2面の仮乗降場スタイルの相対式ホームを有していた。無人信号場であるため、両端の分岐器部分はスノーシェッドを有していた[4]

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1940年(昭和15年) (8.9) [2] 乗降人員:17.875
1946年(昭和21年) (27.6) 乗降人員:55.175
1957年(昭和32年) (40.7) 乗降人員:81.481

駅周辺

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かなやま湖が広がっている。

隣の駅

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日本国有鉄道
根室本線
金山駅 - 鹿越仮乗降場 - 東鹿越駅

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、232頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  2. ^ a b c 南富良野村史南富良野村役場、1960年5月10日、573-574頁。doi:10.11501/3449181https://dl.ndl.go.jp/pid/3449181/1/336 
  3. ^ a b c 日本国有鉄道旅客局 編『日本国有鉄道百年史』 13巻、日本国有鉄道、1974年2月28日、820-821頁。doi:10.11501/12068477 
  4. ^ a b c d e 日本国有鉄道札幌工事局70年史編集委員会 編『札幌工事局七十年史日本国有鉄道札幌工事局、1977年3月、649, 654頁。doi:10.11501/12050108https://dl.ndl.go.jp/pid/12050108 
  5. ^ a b c d e f 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 1 北海道、新潮社、2008年、39頁。ISBN 978-4-10-790019-7 
  6. ^ a b c 『釧路鉄道管理局史』日本国有鉄道釧路鉄道管理局、1972年10月14日、25頁。doi:10.11501/12757877 
  7. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、121頁。ASIN B000J9RBUY 
  8. ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0 
  9. ^ 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 1948年米軍撮影航空写真 USA-R339-4 による

関連項目

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外部リンク

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