桜田町
桜田町(さくらだちょう)は、かつて東京都麻布区(後に港区)にあった町である。行政地名としては、麻布桜田町(あざぶさくらだちょう)と称した。
概要
[編集]前史
[編集]治承年間(1177年 - 1181年)に源頼朝が霞山稲荷(桜田神社)に神領を寄進した際に、田の畝に桜を植えたところ大いに茂ったことから「桜田」と呼ばれた[1]。この「桜田」は現在の霞が関にあった場所であり、寛永元年(1624年)に江戸城御用地となったため代地として麻布の地に移された[1]。
麻布桜田町
[編集]桜田町は麻布の高台にあった町であり[2]、現在の住所で東京都港区元麻布3丁目、西麻布3丁目、六本木6丁目のそれぞれ一部が含まれる。その町域は、現在の在日中華人民共和国大使館(中国大使館、戦前は満州国大使館)のあたりから、大地の尾根沿いを北に向かう通称「テレ朝通り」に沿った町域は、現在の六本木ヒルズ・六本木さくら坂の坂上、グランドハイアット東京の脇を通って、現在の六本木通り・六本木六丁目交差点の手前付近まで至るものであった。
町名は1907年(明治40年)から1947年(昭和22年)までの期間を除いては、「麻布桜田町」という町名であった。桜田町では1922年(大正11年)、3,300坪に及ぶ住宅地が箱根土地(国土計画の前身)によって開発・分譲されている。
1966年(昭和41年)、住居表示に関する法律に基づいた町域の再編が行われ、かつての桜田町の町域は分割されて元麻布、西麻布、六本木の一部となり、桜田町の町名は消滅した。
桜田町に存在した施設
[編集]江戸時代、桜田町には旗本・松平定朝の屋敷や、剣客・辻月丹が参禅した吸江寺などがあった。1888年(明治21年)には、現在の海城中・高の前身である海軍兵医学校予備校が開校し、2年後に麹町に移転するまで桜田町にあたる一角に所在していた。
また、現在の元麻布3丁目にある中国大使館の敷地は広大なものであるが、ここは大東亜戦争以前、満州国の大使館であった[2]。
桜田町に縁のある人物
[編集]沖田総司、柳原白蓮、西竹一らが生まれ育った場所であり、柳原は麻布の南山小学校に通った。
歴史学者・網野善彦は桜田町に育った。また、王子製紙社長やラジオ東京(現・TBSラジオ)社長などを歴任した実業家・足立正も桜田町に邸宅を構えていた。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 麻布桜田町麻布地区の旧町名由来(笄公園設置) 港区