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大浦清一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黎紅堂から転送)

大浦 清一(おおうら きよかず、1956年4月27日 - )は、日本実業家貸しレコード店黎紅堂れいこうどう創業者。日本でさきがけとなる貸しレコード店を開き、貸しレコードブームをつくり、日本のレンタルビジネスを確立した人物として知られる[1]。日本レコードレンタル商業組合(現日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合)の前身組織である任意団体・日本レコードレンタル協会で理事長を務めた。

来歴・人物

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鹿児島県大島郡喜界町出身。1975年巣鴨高等学校卒業[2]立教大学在学中に日比谷図書館レコードを貸し出していることに着目し、「クラシックではなく若者好みのロックやニューミュージックを中心にしたら需要があるのでは」と考え、1980年6月15日に東京都三鷹市で黎紅堂の1号店を開業。当初置いていたレコードはわずか860枚であったものの、2カ月で開店時の借入金を返済したほど順調な滑り出しとなった。同年11月には、早くも直営店1号を、12月にはチェーン店1号を設け、若年層の支持を集めて全国にフランチャイズ展開していった。さらに1981年1月17日付の「日本経済新聞」で取り上げられたのをきっかけに、ますます客と支店が増えていくこととなった[1]

しかし、1982年日本レコード協会加盟のレコード会社13社より貸しレコードは著作権法違反であるとして提訴され、同業他社と共に任意団体・日本レコードレンタル協会を結成。1984年3月、協会を中小企業団体の組織に関する法律に基づく商工組合・日本レコードレンタル商業組合へ改組し、初代理事長に就任。レコード会社との訴訟において和解協議を成立させ、同年の著作権法改正における「公正な使用料をもって許諾すること」とする国会附帯決議を基にレンタルビジネスを確立した。

参考文献

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  • 永川幸樹 『学生社長のドデカイ野望 世界制覇をめざす音楽業界の革命児・大浦清一の生きざま』 日新報道、1983年、全国書誌番号:83031311国立国会図書館書誌ID:000001614199
  • 大浦清一『音楽の世界(The world of music)音楽家がつくる芸術・社会のための季刊誌』貸しレコードチェーン経営者に聞く 1 黎紅堂(直撃インタビュー)、日本音楽舞踊会議、1982年3月

外部リンク

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脚注

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  1. ^ a b ぴあ 『音楽好きを虜にした魔窟、ジャニスの37年の歩み(前編)』 2018/10/26
  2. ^ みんなの大学情報・立教大学 出身の有名人 『社長一覧』