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'''デヴィ・スカルノ'''('''Dewi Sukarno'''、[[1940年]][[2月6日]] - )は、[[日本]]生まれで[[インドネシア]]の[[国際文化人]](自称)、[[タレント]]、[[コメンテーター]]。[[インドネシア]]の[[スカルノ]]元大統領第3夫人。[[特定非営利活動法人|NPO法人]]アースエイドソサエティ総裁。本名は'''ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ'''(''Ratna Sari Dewi Sukarno'')、旧名(日本名)は'''根本 七保子'''(ねもと なおこ)。

== 人物 ==
[[東京市]][[麻布区]]霞町(現・[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[西麻布]])出身。父は霞町界隈の大工であり、弟が一人いた。インドネシアの故スカルノ大統領元夫人(4人の夫人のうちの第3夫人にあたる)。現在の本名であるラトナ・サリ・デヴィ・スカルノは、同大統領から命名された名前で、名前の由来は[[サンスクリット語]]で「宝石の聖なる女神」という意味である。

スカルノ大統領失脚後、[[フランス]]へ亡命。[[社交界]]で活躍。その後、数年はインドネシアに戻り石油事業家等を経て、[[ニューヨーク]]へ移住する。その後は日本に帰国。現在の[[タレント]]活動等に至る。「'''デヴィ夫人'''」の名で[[バラエティ番組]]等に出演。その歯に衣着せぬ発言が話題になった。現在もセレブ・ご意見番として芸能界で活躍中。

芸能活動以外には、主催チャリティパーティの慈善活動や国際問題、政治的意見にも精通する。大統領夫人時代に親交があった[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致問題]]や[[餓死]]問題にも意欲的に活動。日本の拉致被害者援助や120トンの米支援を行っている。株式会社[[デヴィーナ・ソサエティ]]代表取締役。

スカルノ大統領との間に生まれた一人娘カリナは2005年11月26日にオランダで米系大手金融機関シティバンクの欧州・中近東・アフリカ地区CEOの[[フレデリック・F・シーガス]]と挙式している。<ref>[http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/3559/ デヴィ夫人の娘カリナさん蘭で豪華挙式] 日刊スポーツ 2005年12月01日</ref>

現在は[[渋谷区神山町]]在住。諸外国での生活により、インドネシア語(マレー語)・仏語・英語に堪能である。

== 経歴 ==
=== ホステス ===
15才だった[[1955年]](昭和30年)、[[新東宝]]制作の映画『[[青ヶ島の子供たち 女教師の記録]]』(主演:[[左幸子]]、[[香川京子]]、[[池内淳子]])に[[エキストラ]]出演したことがある。映像は現存し(モノクロ映画)、近年でもテレビ番組で出演シーンが紹介されたことがある。引きで撮られているが、本屋で立ち読みをしている制服姿の女子学生役で、セリフはないが姿が確認できる。貧しい家計を楽にするため[[東京都立三田高等学校]]定時制部を中退後、[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]の有名[[高級クラブ]]「コパカバーナ」の[[ホステス]]となる。

[[1959年]]に、インドネシアへの日本政府の開発援助に伴い「[[東日貿易]]の秘書」として、スカルノ大統領のもとに送り込まれた。[[総合商社]]の[[丸紅]]からスカルノへの「夜のプレゼント」というような意味があったといわれている。この一件に当時「[[昭和]]の[[フィクサー]]」と呼ばれた[[児玉誉士夫]]が関わっていたとされ、児玉は巨額の謝礼を得たという。

=== 大統領夫人 ===
[[Image:Soekarno.jpg|thumb|200px|right|スカルノ]]
当時の日本外交や資金援助の取り付け等をスカルノ大統領は非常に重要視していた。インドネシアに渡って数年は愛人の一人であったが、1962年にスカルノと結婚。4人の夫人の内の第3夫人になる。スカルノとの結婚以降は、インドネシアへの経済援助([[政府開発援助|ODA]])や、日本への資源輸出などに積極的に関わった。当時の[[池田勇人]][[首相]]とスカルノをつなぐ仲介役を務めたという<ref>[http://www.sankei.jp.msn.com/politics/policy/081222/plc0812220048006-n1.htm 【外交文書公開】デヴィ夫人首脳外交に一役 池田首相の伝言取り次ぐ]</ref><ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1964/s39-shiryou-003.htm 池田総理大臣の西太平洋諸国訪問の再の各国政府との共同声明]</ref>。

しかし、実弟の八曾男が彼女の立場を理解できずに悩み、それが一因で自殺したと言われており、それを伝え聞いた彼女は「何時までも心を離れない悲しいトラウマになっている」と告白し、後にジャカルタの宮殿の一つに実弟の名をつけている。

=== スカルノ失脚 ===
しかし3年後の[[1965年]][[9月30日]]に起きた軍事[[クーデター]]、いわゆる[[9月30日事件]]でスカルノが失脚。代わって[[スハルト]]が大統領となった。デヴィ夫人はインドネシアの日本[[大使館]]に[[亡命]]を希望したが、国際的立場上の理由で断念。スカルノ大統領の第二夫人を除く夫人は皆、大統領のもとを離れ逃げ切った。

デヴィ夫人も[[フランス]]へと亡命したが、そこでは半[[上流階級]]とされる[[ドゥミ・モンド]]に属し、数々のロマンスを経験、数回の婚約発表が取りざたされたが、結局再婚はしなかった。

スカルノと来日した時には、[[大映]]スターであった[[本郷功次郎]]とのロマンスが発覚。それをスカルノが止めたというエピソードがある。スカルノの他界後には度々、来日。当時の[[津川雅彦]]とのロマンスは有名で週刊誌のインタビューにおいても、恋人同士であることを堂々と告白。「津川さんの素敵なところは臭い台詞でも平気で女性を褒めることが出来る、日本人離れしている点」といった趣旨発言をしてもいたが、その恋も長続きはしなかった。

=== スカルノ死後 ===
スカルノ大統領はクーデターを予期し、以前よりインドネシアからスイスへ巨額の資金を確保していたとささやかれるものの、[[1970年]]のスカルノ死去時にスカルノ家、ならびにインドネシア政府から財産の相続の権利や子供のスカルノ一族としての地位などを喪失し、第三夫人としての資産は与えられなかったという噂があるが、実際には死去時に遺産が与えられたという説もある。いずれにしてもその後のインドネシア政府の方針により、第三夫人としての遺産分与が行われた。

『'''東洋の真珠'''』、社交界の華とも呼ばれたというその美貌で多くの要人らと交友をもったという。1980年には、インドネシアへ戻り[[石油]]関連事業を興した。しかし、実際にはスカルノ体制によるインドネシアの世界的な孤立により、夫人としての外交的立場を失っていたという。また、日本政府や日本の企業財閥側も[[クーデター]]で失脚したスカルノのデヴィ夫人を擁護することはなかったとされる。

1991年にアメリカの[[ニューヨーク]]へと移住。ここからインドネシアの第一線から退き、その後の政変や第一夫人・第二夫人を中心とした政治の動乱には巻き込まれることもなく、日本に帰国し現在に至っている。

[[1992年]][[1月2日]]にスキー・リゾート地のアスペンで、[[セルヒオ・オスメニャ]]第四代フィリピン大統領の孫娘のMinnie Osmenaをワイングラスで殴ってけがをさせて傷害罪で逮捕され、禁固60日の実刑判決が出て、37日間収監される。動機は、数ヶ月前スペインの[[イビサ島]]でのパーティに於いて、Minnie Osmenaが「フィリピン副大統領になる意志がある」と発表し、デヴィ夫人が吹き出したことから2人の関係が悪化したため。「刑務所での生活は学生寮のようで楽しかった」と[[ニューヨークタイムズ]]に語っている。

「[[週刊新潮]]」が1993年7月15日号で報じた、「自身主催のチャリティーパーティーで集まった寄付金の一部を勝手に引き出した疑いがある」という記事に対して、名誉を傷つけられたとしてデヴィ夫人が[[新潮社]]を告訴していた訴訟で最高裁は、「記事の大筋は真実と認めた2審の判断は正当」と上告を棄却。

2000年に、デヴィ夫人が有名人の批評等を書いた著書『デヴィのチョット一言よろしいかしら?』を出版した際、音楽プロデューサーの[[酒井政利]]がワイドショーでこの本を痛烈に批判。いわく「これだけ人を不快にさせる本は良くない」、「人の話題にありついて芸能界にパラサイト(寄生)している」、「人の話題に寄りかからなくても自分の人生経験があるはず」、「デヴィさんに一体、何を極めた人なのか逆に聞きたいですね。ここまで言えるというのは」と発言。これを知ったデヴィ夫人は激怒。「『DEWI』と言えばワタクシのことは世界中の人が知っている。あの方こそ何を究めたというのか。酒井利政なんて誰も知らない(本当は政利)。あの方こそ芸能界のパラサイト、寄生虫」「ああいうウジウジして紳士ぶって、ワタクシ大嫌いですね。何してた方なんですか?[[山口百恵]]の付き人ですか?ワタクシ、知らないですよ」等と発言して物議を醸した。

[[2006年]][[10月26日]]「[[クイズ$ミリオネア]]」に出場(これが2回目の挑戦)。予選筆記試験では5位ながらも、第5ピリオドにて挑戦権獲得。 <br>
Q15 TRIAL¥10,000,000
<table width=100% border=0>
<tr><td>
<table width=400 border=1 cellpadding=2 cellspacing=0>
<tr><td colspan=2>[[千夜一夜物語|アラビアンナイト]]「[[アラジンと魔法のランプ]]」で、アラジンがランプの精に最初に頼んだことは何?</td></tr>
<tr><td width=50%>A:お母さんに会わせて</td>
<td width=50%>B:空を飛ばせて</td></tr>
<tr><td width=50%>C:雨を降らせて </td>
<td width=50%>D:ごちそうを食べさせて</td></tr>
</table>
</td><td align=right valign=bottom>答え:{{Color|#ffffff|D}}</td></tr></table>
上記の問題を正解して人生初めての「クイズ番組優勝&1000万円獲得」だった。一般挑戦者の出場廃止後、リニューアル第1号のミリオネアがデヴィ夫人である。

== 思想 ==
デヴィ・スカルノの思想については、その多くが自身のウェブサイト内「デヴィ スカルノの独り言」に記されている<ref>デヴィ・スカルノ「[http://www.dewisukarno.co.jp/diary/diary.html デヴィスカルノの独り言]」[http://www.dewisukarno.co.jp/ デヴィ夫人のホームページ]、[[2005年]]。</ref>。以下は脚注がない限り同ウェブページによる。

=== 日本 ===
[[日本]]は2,000年以上[[天皇]]を中心としての政治・経済・文化があり、[[皇室]]を否定することは日本民族であることを否定するのと同義であるとしている。
==== 大東亜戦争(太平洋戦争)と戦後 ====
[[大東亜戦争]]([[太平洋戦争]])を肯定する立場ではないが、当時の世情として資源の乏しい日本が対外進出を行うのは当然であり、[[A級戦犯]]についても私利私欲で戦争を行ったのではない、としている。日本人は一度の敗戦で精神が打ちのめされ、戦争の罪悪感から抜けきれず、日本人としての尊厳を失っていることが残念であるとしている、戦争そのものは[[キリストの降誕]]以前から2009年を迎えようとしている現在においても繰り返され、人類の歴史そのものであるから、たった一度の敗戦で精神を失うことはない、としている。
==== 靖国神社 ====
[[靖国神社問題]]における戦死者・戦没者慰霊の問題については、夫のスカルノ大統領も[[靖国神社]]に参拝しており、祖国と家族のために亡くなった人を慰霊するのは当然であるとしている。A級戦犯の問題についても、A級戦犯は[[極東国際軍事裁判|東京裁判]]で処刑され、罪があるとしてもそれを既に償っているとして、慰霊に賛成の立場を取っている。日本の全学生は、一度は[[遊就館]]に訪れ、自身が日本人であることを自覚し、世界の中で日本がどうあるべきか認識してほしい、と述べている。また、[[小泉純一郎]]については、不戦の誓いのもとに靖国神社参拝を行っており、戦後最も傑出した政治家であるとしている。

==== 憲法9条と本土防衛 ====
[[憲法改正論議]]については、[[憲法]]は時代ごとの必要性で改正すべきであるとしている。毎年4兆円を[[アメリカ合衆国]]の軍事基地維持費として支払うよりも、[[アメリカ軍]]からノウハウを受け継ぎ、日本も防衛軍を作って自国を守るべきであるとしている。


== 現在 ==
=== 各方面で活躍 ===
現在は活動基点を日本に置き、「デヴィ夫人」の[[愛称]]で日本のワイドショーやバラエティ番組の出演者として親しまれている。テレビ、新聞、雑誌等での名前の表記は、この愛称の方がよく用いられる。1990年代後半以降、優雅で煌びやかな衣装と華麗な経歴、そして何処か浮世離れした不思議な存在感で、他に類の無い特異なキャラクターと認識され、テレビなどで大いに活動する。タレント活動、講演活動、コメンテーターなどを多様に展開。アメリカ在住中はアメリカ国籍を申請中にシャンペングラスでの傷害事件(前述)で刑事被告となったのでアメリカ市民権を断念し、日本に移住するが未だ日本国籍はなくインドネシア国籍のままである。

=== 芸風 ===
浮世離れした人生を送っていたこともあり、「料理が苦手」というキャラクターを生かしたタレント活動の一環としてゲスト出演したテレビ番組「[[愛のエプロン]]」では、鮭のムニエルを作りジャッジマン達を絶句させ、またデヴィ自身もそれを食べて「不味い」と言ったこともあった。他にも庶民の味として知られる[[カツカレー]]を一度も食べたことがなかったことや、[[包丁]]を自ら握るのも半世紀ぶりならば、[[揚げ物]]や焼き物を作るのも初めてだと言うことを告白した。だが負けることが何よりも嫌いなこともあり、2005年になってから[[服部栄養専門学校]]に通い始め、自身の料理の腕を磨き始めたことも「愛のエプロン」内で紹介された(その甲斐あって一度は優勝している)。

[[2006年]]に生まれて初めて作ったぶり大根が高評価で、100点満点中92点の高得点を叩き出した。

半世紀も料理を作っておらず、料理の知識も乏しい上、過去に食べたことのない料理や、名前すら知らず聞いたこともない料理もあるが、愛のエプロンで最下位になったことは1回だけである。

[[2007年]][[9月4日]]放送の「[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]」にて「[[中居正広|中居君]]には[[倖田來未]]という相手がいる」と発言し、話題となった。後日取材に対し「私は精神・金銭面で独立している。だからテレビに出られなくなっても大丈夫」と答えた。このスタンスが自由奔放な振る舞いにつながっているようである<ref>http://www.cyzo.com/2007/10/post_74.html</ref>。

ロケ企画で田舎にホームステイして農業体験をする機会が増えている。

=== パーティ ===
また国際的な基盤をいかして、日本国外においても自身が会長を務めるイブラ音楽財団(音楽団体。イブラ・グランドプライズを開催し、慈善活動も行っている)などを通じて講演や文化活動など各種交流にいそしんでいる。チャリティーパーティを催すことがライフワークで、[[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]]の末裔を自称するアンリ・コンスタンティン・パレオロゴを招いて開催される「ビザンチン皇室慈善舞踏晩餐会」には毎年500名あまりの芸能人や在京の各国大使などが出席する。2005年には小池百合子環境大臣が主賓として招かれた。しかし、代金を払った参加者を自分が気に入らないという理由からパーティー入り口で玄関払いするなど彼女らしいおもてなしマナーが取沙汰される。

=== 北朝鮮との関係 ===
[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]とは夫のスカルノを通して親交があり、[[金日成花]]の命名式にはスカルノと共に北朝鮮で行われた式典に同席している。この事もあり北朝鮮擁護の立場を明確に示している。[[在日本朝鮮人総連合会|朝鮮総連]]主催の式典にも出席を重ねている。[[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮による日本人拉致事件]]や人工衛星のテスト問題で北朝鮮を理解する立場からの発言をし、国交正常化実現を訴えており、朝鮮総聯の中央機関紙である[[朝鮮新報]]から、同国に対するその姿勢を高く評価されている。

また、日本の拉致被害者家族に対しても、拉致被害者を北朝鮮へ返還することを促す内容の手紙を送ったとされている。「ミサイルが七発飛んできたからといって、何を慌てているのでしょう」「偽札や覚醒剤を作っているからといって北朝鮮を非難するのはやめたほうがいい」と主張している。

=== 誤認写真の流用 ===
[[2009年]][[4月20日]]の本人ブログで、北朝鮮と右翼団体について語るにあたって『写真に見る帝国主義 「日本」 の非道、暴力行為』「韓国人民の宿敵 「日本」 の非道残虐4」のタイトルにある写真を、「ここにご覧入れましょう。」との前置きで複数枚公開した。しかし日本軍が当時の[[朝鮮民族|朝鮮人]]を殺害しているかのような説明が加えられて紹介された写真は、「[[南京大虐殺]]」の論拠とされる写真である。つまり、写真の被害者が中国人とされる写真を、朝鮮人であると誤認している。

== 交友関係 ==
* [[美川憲一]]([[歌手]])
* [[飯島愛]]([[タレント]])
* [[神田うの]](タレント)
* [[イメルダ・マルコス]]([[フェルディナンド・マルコス|マルコス]]元[[フィリピン]]大統領夫人)
* [[ファラフ・パフラヴィー ]]([[パーレビ王朝]][[イラン]]元王妃)

== 関連項目 ==
* [[社交界]]
* [[セレブリティ]]
* [[TSK・CCCターミナルビル]]
* [[水商売]]
* [[マハラジャ (ディスコ)]]
* [[深田祐介]]「神鷲(ガルーダ)商人」

== 参考文献・出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
<div style="font-size: 90%"><references/></div>

== 外部リンク ==
* [http://ameblo.jp/dewisukarno/ デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」]


{{DEFAULTSORT:すかるの てうい}}
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[[Category:日本・東南アジア関係]]
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2010年10月15日 (金) 10:46時点における版