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第三三二海軍航空隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
332空から転送)

第三三二海軍航空隊だい332かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。本土防衛の主力戦闘機隊として、太平洋戦争終盤に阪神上空の迎撃・戦闘行動に従事した。通称「虹部隊」。

沿革

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サイパン島が陥落し、日本本土爆撃が必至となった1944年(昭和19年)中盤に、日本海軍は本土防空部隊を設置することとなった。はじめは各鎮守府が所有する直轄の戦闘機隊の増設を推進したが、既存の鎮守府航空隊は水上偵察機部隊であるため、戦闘機部隊の統率には困難があった。そこで戦闘機隊は独立した部隊に再編することとした。呉鎮守府で増設した戦闘機隊として三三二空は新たに編制され、呉に最も近い陸上基地である岩国に設置された。

  • 昭和19年(1944年)
8月1日 呉海軍航空隊の戦闘機隊を独立し、岩国飛行場で開隊。呉鎮守府直卒。(局地戦闘機48・夜間戦闘機12)

        当初は零式艦上戦闘機で代替、のちに雷電を導入。編成当初は僅かだった月光も増強。

10月25日 八幡市B-29襲来、16機で出撃するが会敵せず。
11月7日 フィリピンに20機派遣。第二〇三海軍航空隊に編入、1週間で壊滅。

         月光隊を厚木飛行場に派遣。関東地方の防空に従事。

12月15日 厚木派遣隊、原隊復帰。
12月17日 鳴尾飛行場に20機派遣、関西地方の防空に従事。
12月22日 名古屋市にB-29襲来、鳴尾派遣隊出撃、第二一〇海軍航空隊と共同で3機撃破。

         以後、鳴尾派遣隊は名古屋防空に従事。

12月末  夜戦隊を伊丹飛行場に派遣。
  • 昭和20年(1945年)
2月4日 神戸市にB-29来襲、鳴尾派遣隊が迎撃。
2月5日 本隊、鳴尾に進出。岩国には練成隊が残存。
3月13日 大阪大空襲。月光隊で迎撃。戦果僅少、大阪市街地壊滅。
3月16日 神戸大空襲。月光隊で迎撃。戦果僅少、神戸市街地壊滅。
3月19日 機動部隊艦載機隊来襲、伊丹・鳴尾飛行場被弾。迎撃せず。
4月4日 岩国練成隊、出撃前の第二艦隊を仮想敵に対艦攻撃訓練を実施。
4月23日 雷電隊16機を鹿屋飛行場に派遣、第五航空艦隊指揮下。

         横須賀鎮守府第三〇二海軍航空隊・佐世保鎮守府第三五二海軍航空隊の雷電隊と連合し、通称「竜巻部隊」を編制。

4月27日 30日まで4日連続で南九州にB-29来襲、竜巻部隊で迎撃。4日間で9機撃破。
5月3日 7日まで5日連続で南九州にB-29来襲、竜巻部隊で迎撃。戦果なし。
5月5日 二一〇空夜戦隊を解散し、本隊夜戦隊に編入。
5月10日 南九州にB-29来襲、竜巻部隊で迎撃。稼動機が払底したため最後の出撃となる。

         同日、徳山市・岩国市にB-29来襲、練成隊で迎撃。1機撃破。

5月12日 三〇二空夜戦隊の増援を受ける。
5月14日 名古屋市にB-29来襲、夜戦隊で迎撃、1機撃破。
5月21日 三〇二空夜戦隊が原隊復帰。伊丹の夜戦隊は月光4・彗星戊型7に激減。
6月1日 大阪市にB-29およびP-51来襲、本隊が迎撃。
6月5日 第五航空艦隊第七十二航空戦隊に編入。

         以後、阪神地区の防空戦に従事。

8月3日 第三航空艦隊第五十三航空戦隊に転籍。
8月5日 西宮市にB-29来襲、戦果なし・17機喪失。最後の迎撃となる。

最終的に鳴尾飛行場を本拠地とし、陸軍伊丹飛行場に間借りしつつ阪神地区の防空を終戦間際まで続けた。

主力機種

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歴代司令

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  • 柴田武雄 中佐:昭和19年8月1日 -
  • 八木勝利:昭和20年2月5日 - 解隊

関連項目

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参考文献

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  • 『日本海軍編制事典』(芙蓉書房出版 2003年)
  • 『航空隊戦史』(新人物往来社 2001年)
  • 『日本海軍航空史2』(時事通信社 1969年)
  • 戦史叢書 海軍航空概史』(朝雲新聞社 1976年)
  • 『戦史叢書 本土方面海軍作戦』(朝雲新聞社 1975年)
  • 『航空戦史雑想ノート』(個人ブログ)
  • 『連合艦隊海空戦戦闘詳報別巻1』(アテネ書房 1996年)