第九〇一海軍航空隊
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第九〇一海軍航空隊(だい901かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争中の1943年に、シーレーン防衛専門の航空部隊として編成された。太平洋戦争の終盤に本土と南方を結ぶ航路の防衛を担当し、戦線の縮小に合わせて内南洋航路・南シナ海航路・日本海航路と常に海上メインルートの護衛を担当したほか、沖縄戦に際しては本土および台湾からの艦船攻撃の一翼を担った。
沿革
[編集]海上護衛総司令部隷下の護衛専門航空部隊である900番台の航空隊として最初に編成された。当初は千島列島の船団護衛・対潜掃蕩のため、千歳飛行場を基地とする予定で編成された。しかし、マーシャル諸島への敵機動部隊による攻撃が活発化したことから、マリアナ諸島を最前線基地とすべく、輸送船団の増強が図られた。この船団を護衛するため、急遽南方航路に振り向けられた。末期には艦船攻撃の支援にも投入された。最終的には、小松飛行場・美保飛行場をはじめとする日本海沿岸基地に分散し、小型偵察機を主力とする偵察隊に変貌して終戦を迎えた。
- 1943年(昭和18年)12月18日 千歳空を原隊とし、館山で開隊。海上護衛総司令部隷下(陸上攻撃機24飛行艇12)。
- 1944年(昭和19年)
- 1月5日 大村(陸攻6)・小禄(陸攻6)・東港(飛行艇3)に進出。以後、2月中にマニラ(陸攻6)・硫黄島(陸攻6)・サイパン島(飛行艇2)に進出。各隊は漸次増強。
- 3月6日 松輸送の松二号船団を6機で護衛。
- 3月10日 陸攻48・飛行艇32に増強。
- 3月19日 サイパン派遣隊、第二海上護衛隊指揮下に入る。
- 4月18日 東松四号船団護衛中に対潜攻撃。ガジョン(USS Gudgeon, SS-211)を撃沈したとみられる。以後、横須賀-硫黄島-サイパンの松船団航路の護衛・対潜掃蕩に従事。
- 6月15日 硫黄島空襲。派遣隊の陸攻7機喪失。
- 年6月27日 ダバオ(飛行艇4)に進出。
- 7月8日 サイパン島陥落。地上戦で派遣隊員玉砕。これにより松船団航路廃止・第二海上護衛隊解散。
- 8月30日 本隊、東港に進出。以後、ルソン海峡・南シナ海航路の護衛・対潜掃蕩に従事。
- 1945年(昭和20年)
- 3月1日 第一護衛艦隊新編。隷下に入る。定数改定:陸攻24・飛行艇12・水偵64・哨戒機40・戦闘機48
- 3月20日頃 護衛航空隊に天号作戦準備発令。2個攻撃隊編成。
- 4月 海南島より上海に撤退。
- 4月5日 第五航空艦隊指揮下に移る。以後、沖縄方面の航空作戦に従事。
- 5月15日 海上護衛総司令部直卒に転籍。司令部を鎮海に後退。以後、日本海・黄海航路の船団護衛・対潜掃蕩に従事(日号作戦)。
- 6月28日 沖縄陥落。沖縄方面の航空作戦を終了。
- 6月30日 編成変更、陸攻・飛行艇を全廃し、東海・水上偵察機を主力とする。
- 7月1日 決号作戦準備発令。夜間索敵・照明弾投下訓練開始。
- 7月17日 夜間索敵・照明弾投下要員および機体を第五航空艦隊に供出。
- 8月8日 戦闘機隊を筑波海軍航空隊に供出。
- 9月15日 敗戦をもって武装解除・解隊。
主力機種
[編集]歴代司令
[編集]- 上出俊二:昭和18年12月15日 -
- 堀内茂忠 少将:昭和20年1月1日 - 昭和20年9月15日解隊