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アバルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Abarthから転送)
アバルト&C. S.p.a
Abarth & C. S.p.a
アバルト・595に取り付けられたバッジ
アバルト・595に取り付けられたバッジ
種類 子会社
本社所在地 イタリアの旗 イタリア
ボローニャ
設立 1949年3月31日
業種 自動車の製造
事業内容 自動車の製造,販売
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フィアットアバルト500
フィアットアバルト750
フィアットアバルト750ザガート
フィアットアバルト1000前部
フィアットアバルト1000後部
フィアットアバルトシムカ1300
フィアットアバルトシムカ2000
アバルトレースカー

アバルトAbarth)は、ステランティス N.V.におけるイタリア自動車子会社である。

1949年、トリノにて設立され、主にフィアット車を用いての自動車競技への参加、自動車部品や改造車の販売などを行っていた。

1971年にフィアットに買収され、その後は同社の自動車競技部門としてフォーミュラカーやラリーカー、ツーリングカーの各マシンの開発に携わった。1980年以降はフィアット傘下のフェラーリ、ランチア、アルファロメオなどの競技車両を開発。037ランチアラリー、グループA仕様のランチアデルタ・インテグラーレ、ドイツDTM参加マシンのアルファロメオ155 V6 TIなどを次々と開発。ラリーやツーリングカーレースにおけるイタリアンマシンの活躍を支えた。

その後、フィアットの自動車部門を統括するフィアットオートモービルグループ社のもと、アバルト&C.社(Abarth & C. S.p.A.)が再組織され、アバルト・ブランドのもと市販車の販売展開が開始された。2007年3月のジュネーブショーにおいて、フィアットから発売されていた小型車グランデプントに独自のチューニングを施した「グランデプント アバルト」や新開発のラリーモデル「アバルト グランデプント S2000」を発表。その翌年にはフィアット500ベースの「アバルト500」もラインアップされ、現在に至る[1]

歴史

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1908年オーストリアウィーンで産まれたカール・アバルトは、バイクのレーシングライダーとして活躍したのちイタリアに移住し、カルロ・アバルトと名乗りチシタリア (en:Cisitalia) の技術・モータースポーツ責任者を経て1949年に会社「Abarth & C.」をトリノ市コルソマルケ38に興し、自動車マフラーなどのパーツを販売。それらの資金を元に主としてフィアットの小排気量車をベースにしたエンジン・チューンやレース車の製作を行った。

自動車にはカルロ・アバルトの誕生月の星座であるサソリエンブレム(スコルピオーネ)が装着された。「アバルトマジック」とも呼ばれる高度の改造を施された自動車は多くの競技で活躍した。1950年から1960年代にかけて113の国際記録とレースにおいて7400以上の勝利を得、「ジャイアントキラー」「ピッコロモンスター」などの異名も得た。

1971年、アバルトはフィアットに買収され、さらにその自動車競技部門はオゼッラに分割譲渡された。

代表的車種

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フィアット・600ベース

フィアット・500ベース

フィアット・850ベース

シムカベース

ポルシェ・356ベース

オリジナル

1971年以降

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124アバルトスパイダーラリー
アウトビアンキA112アバルト
131ラリー
チンクェチェント・トロフェオ
プント・アバルト・ラリー
グランデ・プントS2000アバルト

1971年フィアットに買収されたアバルトは、そのモーター・スポーツ部門を受け持ち、世界ラリー選手権(WRC)向けにアバルト124ラリーアバルト131ラリーフィアット・アバルトX1/9プロトティーポの開発を行った。

1979年より後の037ラリーのベースとなるベータ・モンテカルロ・ターボ Gr.5のパワーソースチューンを行なう。

1981年、会社としてのAbarth & C.の活動は停止したが、フィアット内のレーシング部門としてのアバルトの活動が続いた。

フィアットの世界ラリー選手権(WRC)出場が同社の傘下になったランチアに移行した後も、1983年発表の037ラリー1985年発表のデルタS4の2台の優れたグループB規定車両の開発を担当した。

1982年から1991年世界耐久選手権(WEC)ではランチアワークスでのオープントップクラスでのランチア・LC1やグループCカーランチア・LC2(ワークス放出後もムサットにより継続)のパワーソースチューンも担当している。

1986年、ボローニャ・モーター・ショウでデルタS4から発展型のハイテク(カーボンハニカムコンポジット)素材を統合させたランチア・ECV (Experimental Composite Vehicle)(推定600hp前後)発表。『ECV2』(750hp) は1988年ハイテク素材と空力のテストベッドとして発展し、WRCグループS頓挫によりそのプロジェクトを終了させた経緯がある。同時にFISAが予定し、頓挫したプロカー選手権用のプロカー4も試作、テスト段階でその幕を閉じることとなった。

1987年にはWRCの参加車両がグループB車両からグループA車両に移行したが、同年から1992年までWRC6連覇したランチア・デルタ・HFシリーズの開発も主にアバルトが行っている。

1990年代は主にドイツツーリングカー選手権 (DTM) や国際ツーリングカー選手権 (ITC) 用とアルファロメオ系のGTカーやワンメークレースであるカップカーやグループN車両を手がけるようになる。

1997年、アバルトのスタッフのほとんどがフィアットのモータースポーツ部門、フィアット・アウト・コルセに吸収されて事実上のファクトリーが消滅した。

市販車においては、ラリーカーの市販バージョンのほか、1970年~1980年代にアウトビアンキ・A112アバルトフィアット・リトモ・アバルト125TCフィアット・リトモ・アバルト130TCなどに関与した。

その後もアバルトを冠した市販車がフィアット・グループから登場したが、1991年発表のフィアット・チンクェチェント・トロフェオ(車名にアバルトの名はないものの)を除いては、ターボを追加したり上位のエンジンを積んだりしたものに、アバルトブランドのエアロパーツやエンブレム・ステッカー等を追加したものであり、アバルト本来のエンジン・チューンは施されていない。

2001年フィアットはアバルトの名を冠したスーパー1600クラス車両プント・アバルト・ラリーおよびスティーロ・アバルト・ラリーを発表、以降ヨーロッパのラリー選手権に参戦した。開発はN・テクノロジー社が担当。

2005年、継続してプント・アバルト・ラリーにてヨーロッパラリー選手権に参戦。また、市販車のパンダを大幅にチューニングしたパンダ・ラリー・アバルトを使用したパンダ・ラリー・カップを開催。いずれも車体には大きくアバルトの文字、サソリが描かれていた。

2006年、フィアットはスーパー2000クラス車両グランデ・プントS2000での参加を開始。ヨーロッパラリー選手権、イタリア国内選手権を制覇。

2007年、フィアットより、公式にABARTH&C.の復活がプレスリリースされた。これに合わせて市販車、グランデ・プント・アバルトのプロトタイプが発表され、その後9月にグランデ・プント・アバルト1.4ターボ (155ps) が発売された。フィアットとして参加していたインターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ(IRC)ではワークス名をアバルトと変更し、名実共にアバルトとしてラリー活動を行うことになった。

2008年、3月、新型フィアット・500のベースの500アバルト1.4ターボ (135ps) がジュネーブモーターショーにて発表された。また、グランデ・プント・アバルト1.4ターボに装着するesseesse (Super Sport) キット (180ps) も本国にて発表された。5月、49台限定の500アバルトassetto corse (200ps) を発表。9月500アバルト1.4ターボesseesseキット (160ps) 発表。

2009年、2月より日本国内のオフィシャルディーラーネットワークが構築され、同時にアバルト グランデプント ベースグレード発売。4月にアバルト500発売。6月にアバルト グランデプント エッセエッセ発売。

2010年、10月アバルト500C (140ps) 、アバルトプントエボ (165ps) 発売。11月にアバルト695トリブートフェラーリ予約開始。

2016年、7月より、フィアット正規ディーラー網でも取り扱い開始。これまでの専売ディーラーのほかに、フィアット併売ディーラーも加わることになる。

車種

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関連するもの[2]

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グランデ・プント・アバルト1.4ターボ
500アバルト1.4ターボ
エッセエッセ・キット
500アバルトアセットコルサ
アバルト695トリブートフェラーリ
アバルト695エディツィオーネ・マセラティ
アバルト695ビポスト
アバルト124スパイダー
アバルト500e

フィアット車ベース

アウトビアンキ車ベース

ランチア車ベース

アルファロメオ車ベース

マセラッティ車ベース

名は付いていないがアバルト(含フィアット・アウト・コルセ)が開発した車両

アバルト復活後

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現行

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脚注

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  1. ^ “アバルト大研究時代に呼び戻された幻のイタリアン・メイクス (PDF). AUTOCAR: 106-115. (2013-07). http://www.autocar.jp/wp-content/uploads/2013/08/ACJ122_abart.pdf. 
  2. ^ Automotoretrc刊「Le Abarth dopo Carlo Abarth」 Sergio Limone、Luca Gastaldi著より一部抜粋。

外部リンク

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