日本ブラインドゴルフ振興協会
表示
(JBGAから転送)
略称 | JBGA |
---|---|
前身 | ブラインドゴルフ倶楽部 |
設立 | 1988年 |
設立者 | 半田晴久(深見東州) |
種類 | 特定非営利活動法人 |
法人番号 | 8011305000544 |
目的 | ブラインドゴルフを通したスポーツ振興や社会福祉支援 |
本部 | 日本、東京都杉並区西荻南2丁目18番9号 菱研ビル2階 |
会長 | 池澤良順 |
重要人物 | 吉川なよ子(所属プロ) |
関連組織 | 世界ブラインドゴルフ協会 |
ウェブサイト | https://www.jbga.org/ |
特定非営利活動法人日本ブラインドゴルフ振興協会(にほんブラインドゴルフしんこうきょうかい、英語: Japanese Blind Golf Association、略称:JBGA)は、視覚障害者及び健常者を対象とし、ブラインドゴルフ(視覚障害者ゴルフ、盲人ゴルフ)を通した国際的なスポーツ振興や社会福祉支援を目的とする特定非営利活動法人[1][2]。
設立者である神道系新宗教ワールドメイト教祖の半田晴久(深見東州)は、人類愛、人道主義、人々の生きる社会への貢献という、無形の「神の御心」を第一として設立したと述べている[3]。1988-1990年代前半頃に「信仰理念に基づくワールドメイト(当時はコスモメイト)の社会活動の一環」であると述べていたともされる[4]。
沿革
[編集]- 1988年に半田晴久(深見東州)がオーストラリアで視覚障害者のゴルファーと知り合い、ブラインドゴルフを知る。日本に戻った半田がブラインドゴルフを日本に紹介すると共に、3人の日本の視覚障害者を募り、同年5月に「ブラインドゴルフ倶楽部」が発足した[5]。その月より東京都のゴルフ練習場で練習を開始し、7月には千葉廣済堂カントリー倶楽部で、初のコースでの練習を行う[6]。同年10月には「ブラインドゴルフ・オーストラリア・ワールドオープン」(パース)に4人を選手として派遣する。
- 1990年9月、第1回ブラインドゴルフ・ワールドチャンピオンシップに、招待選手を派遣し、ベスト10に入賞する[7]。
- 1990年10月、第3回ブラインドゴルフ・オーストラリア・ワールドオープン」に派遣した選手が、女子B1の部で優勝を果たす[7]。
- 1991年4月、「日本盲人ゴルフ協会」(略称JBGA)が発足。関西でも5人のゴルファーが加わり、関東以外の練習拠点もできる[7]。
- 1992年1月、アメリカの「リーダードッククラシック」に派遣された選手がB1クラスで優勝を果たす。日本人がアメリカ開催の大会に出場したのは初めてである[8]。
- 1993年10月、ブラインドゴルフ・オーストラリア・チャンピオンシップで、派遣選手がB1クラス優勝、プロアマ大会で優勝を果たす[9]。
- 1994年8月、日本で初めての正式なブラインドゴルフ大会となる「ブラインドゴルフ・ジャパンオープン・チャンピオンシップ」を多摩市桜ヶ丘カントリークラブで主催する。派遣選手がB1大会で優勝を果たす[10]。
- 1996年7月、「日本盲人ゴルフ振興協会」(略称JBGA)と改称[11]。
- 1997年4月、世界ブラインドゴルフ協会設立前の「世界ブラインドゴルファーズ会議」がパースで開催され、日本のブラインドゴルフ団体の代表として参加する[12]。
- 1999年11月、世界ブラインドゴルフ協会理事会より、1998年の同団体発足以前よりの支援・協力等の貢献について、JBGAおよび名誉会長の半田が感謝状を授与[13][注 1]。
- 2000年6月、特定非営利活動法人に認証される。
- 2004年、「日本ブラインドゴルフ振興協会」に改称。東京都杉並区に本部を移す。
主催大会
[編集]- 1990年7月、「ブラインドゴルフ倶楽部」主催、「ラフォーレ修善寺カントリークラブ」(静岡県)協力により、120名が参加し日本初のブラインドゴルフ・コンペを開催する。
- 1994年8月、日本初のブラインドゴルフのメジャー国際大会として、ブラインドゴルフ・ジャパンオープン・チャンピオンシップを開催し、6ヶ国21名のブラインドゴルファーが参加した[14]。以降も大会が継続しており、2013年第10回大会では外務大臣杯・厚生労働大臣杯として開催した。
- 2001年より、日本全国で年数回のツアー競技「ブラインドゴルフ・ジャパン・ツアー」の主催を始める[15]。その後、チャンピオンシップと改称し、2008年からはJBGAチャンピオンシップと改称した。
- 2006年に、第2回ワールドシニアゴルフレディースオープン選手権を、世界ブラインドゴルフ協会、レジェンズツアー(米国女子シニアゴルフ協会)との3者共催で開催した[16][17]
- 東州杯として、2007年に第3回を開催し、2010年に JBGA ハンダカップに改称して第4回めを開催した。
この他、世界ブラインドゴルフ協会主催大会へ参加する登録ゴルファーを支援している。
イベント
[編集]- 毎年、全国各地で、健常者を対象として、視覚障害者がゴルフをする際の「ガイド認定講習会」を開催している。講義は二段階に分かれ、第一部が専門家による理論講義であり、第二部がゴルフプロによるゴルフ場での実施講習となっている。
- 2013年2月15日〜17日に東京ビッグサイトで開催された第47回ジャパンゴルフフェアでは、「パラリンピックの正式種目入り」をアピールもかねて、パターのレッスンが受けられるブースを展開した[18]。
組織
[編集]- 所属プロ
放送
[編集]テレビ
[編集]- 「ブラインドゴルフ・視覚障害者の闘い」(TOKYO MX 2002年5月25日)
- 「ブラインドゴルフ・ジャパンオープン・チャンピオンシップ2004」(TOKYO MX 2004年7月3日)
- 「ハンディーはゼロ ~盲人ゴルファー女子シニアに出会う」(TOKYO MX 2005年5月21日)
- 「ふれあいのグリーン ~世界を結ぶブラインドゴルフ~」(TOKYO MX 2006年5月21日)
- 「WALK WITH ともに歩む――ゴルフの社会貢献」(TOKYO MX 2008年1月13日)
注釈
[編集]- ^ 世界ブラインドゴルフ協会は半田が各国のブラインドゴルフ団体に呼びかけて設立された団体でありJBGAも参加している。また、半田は同団体の初代総裁をつとめ、のちに名誉総裁となる。
出典
[編集]- ^ “杉並区のNPO法人認証団体一覧” (PDF). 東京都杉並区 (2010年8月31日). 2014年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月16日閲覧。
- ^ 東京ボランティアセンター
- ^ “ISPSの謎”. 国際スポーツ振興協会 (2013年). 2018年6月1日閲覧。
- ^ 溝口敦「ワールドメイト」、清水雅人『新宗教時代3』 大蔵出版、1995年
- ^ ブラインドゴルフの歴史 JBGA 日本ブラインドゴルフ振興協会
- ^ 半田晴久 2006, p. 50.
- ^ a b c 半田晴久 2006, p. 53.
- ^ 半田晴久 2006, p. 54.
- ^ 半田晴久 2006, p. 56.
- ^ 半田晴久 2006, p. 57.
- ^ 半田晴久 2006, p. 59.
- ^ 半田晴久 2006, p. 60.
- ^ “世界ブラインドゴルフ協会事務局長からの手紙 - 日本ブラインドゴルフ振興協会”. 日本ブラインドゴルフ振興協会. 2014年4月16日閲覧。
- ^ “1994年 - JBGA活動の歴史 - 日本ブラインドゴルフ振興協会”. 2014年4月16日閲覧。
- ^ 半田晴久 2006, p. 65.
- ^ “御殿場開催、Wシニア女子ゴルフの出場予定選手らが懇親会-都内”. 静岡新聞 (静岡新聞社). (2006年4月11日)
- ^ “視覚障害者とゴルフ 全米女子シニアら、大会前に慈善交流-御殿場”. 静岡新聞 (静岡新聞社). (2006年4月15日)
- ^ ドラゴン滝. “【第2回】ブラインドゴルフについて”. 公益財団法人 日本プロゴルフ協会. 2014年4月16日閲覧。
- ^ “第9回HANDACUPプロボウリングマスターズ”. 2019年6月6日閲覧。
- ^ “2010年度JBGA第4回謝恩コンペが開催されました。”. 2014年8月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 半田晴久『ブラインドの皆さん、外へ出てゴルフをしよう!』たちばな出版、2006年。ISBN 978-4813318941。
- 溝口敦「ワールドメイト」、清水雅人『新宗教時代3』 大蔵出版、1995年