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スリランカ自由党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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スリランカの旗 スリランカ政党
スリランカ自由党
ශ්‍රී ලංකා නිදහස් පක්ෂය
(Sri Lanka Nidahas Pakshaya)
இலங்கை சுதந்திரக் கட்சி
Sri Lanka Freedom Party
党首 マイトリーパーラ・シリセーナ
成立年月日 1951年9月2日 (1951-09-02)統一国民党より分離)
本部所在地 307 T. B. Jayah Mawatha, Colombo 10
国会
1 / 225   (0%)
(2020年)
政治的思想・立場 中道左派
民主社会主義
シンハラ仏教ナショナリズム[1][2]
左翼ナショナリズム
統一人民自由同盟
機関紙 Singhale、Dinakara
シンボル
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スリランカ自由党(スリランカじゆうとう、シンハラ語: ශ්‍රී ලංකා නිදහස් පක්ෂය Sri Lanka Nidahas Pakshayaタミル語: இலங்கை சுதந்திரக் கட்சி: Sri Lanka Freedom Party)は、スリランカ政党

概要

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1951年ソロモン・バンダラナイケ統一国民党を離党して結成[3]1956年に初めて政権を握り、以来二大政党の一つとなった。1959年にソロモンが暗殺英語版された後、妻のシリマヴォ・バンダラナイケを世界初の女性首相として輩出、娘のチャンドリカ・クマーラトゥンガ首相を経て大統領となった。このように長いあいだ「バンダラナイケ家の党」という性格が濃厚であった。

スリランカ自由党は当初マルクス主義政党であったが、1970年代以降は社会民主主義非同盟主義を主張し、各国の社会主義政党と強固な関係を持つ(ただし社会主義インターナショナルには加盟していない)。イラクバアス党とは同盟があった。

またシンハラ仏教ナショナリズムの政党という側面もあり、共産党社会主義平等党連立政権を組むなかでシンハラ・オンリー政策を推進、仏教上座部仏教)を準国教化するなどしたため、スリランカにおいては少数民族であったタミル人ヒンドゥー教徒が中心)の憤激を呼び、独自の国家タミル・イーラム分離独立要求にまで至り、最終的には泥沼のスリランカ内戦を招いてしまった。いっぽうシンハラナショナリズムは極左的な形でも噴出し、毛沢東主義的なスリランカ人民解放戦線との内戦も招いた。

1977年総選挙で統一国民党に敗れてから17年間政権から遠ざかっていた。しかし、1994年の総選挙に勝利して17年ぶりに政権を奪還。同年11月の大統領選挙ではチャンドリカ・クマーラトゥンガが勝利し、母シリマヴォ・バンダラナイケが首相となった[3]

2004年の総選挙で政党連合統一人民自由同盟」を主導し、同連合は225議席中105議席を獲得した(和平に応じたスリランカ人民解放戦線もこれに参加し、連合内第2勢力となって与党入りした)。2005年11月の大統領選挙では、同党からマヒンダ・ラージャパクサを当選させた(ラージャパクサは党内でクマーラトゥンガを破っての選出だったため、同党の「バンダラナイケ家の党」という性格も薄まった)。ラージャパクサ政権は、2009年タミル・イーラム解放のトラを殲滅し内戦に勝利した業績をひっさげ、2010年に解散総選挙に踏み切った。その結果、連合全体で225議席中144議席と大勝し、その後与党に鞍替えした議員を含め161議席を占めた。

2015年の大統領選挙では、幹事長であったマイトリーパーラ・シリセーナが離反し、党首であったラージャパクサを打ち破った。シリセーナは大統領選において野党統一候補として戦ったが、選挙後は自由党の自党から大統領に選出された者を無条件で党首に任命するとの規定に基づき、党首に就任している[4]。その後はシリセーナ派とラージャパクサ派の分裂状態にあり、野党として臨んだ8月の国会選挙では49議席を失う大敗を喫した[5]

選挙結果

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大統領選挙

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候補者 得票数 得票率 当落
1982年 ヘクター・コッベカドゥワ英語版 2,548,438 39.07%
1988年 シリマヴォ・バンダラナイケ 2,289,860 44.95%
1994年 チャンドリカ・クマーラトゥンガ 4,709,205 62.28% [注釈 1]
1999年 チャンドリカ・クマーラトゥンガ 4,312,157 51.12% [注釈 1]
2005年 マヒンダ・ラージャパクサ 4,887,152 50.29% [注釈 2]
2010年 マヒンダ・ラージャパクサ 6,015,934 57.88% [注釈 2]
2015年 マヒンダ・ラージャパクサ 5,768,090 47.58% [注釈 2] [注釈 3]
2019年 スリランカ人民自由同盟候補を推薦

議会選挙

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得票数 得票率 議席数 増減 党首 結果
1952年 361,250 15.52%
9 / 95
増減なし 9 ソロモン・バンダラナイケ 野党
1956年 1,046,277 39.52%
51 / 95
増加 42 与党
1960年3月 647,175 21.28%
46 / 151
減少 5 C・P・デ・シルバ英語版 野党
1960年7月 1,022,171 33.22%
75 / 151
増加 29 シリマヴォ・バンダラナイケ 与党
1965年 1,221,437 30.18%
41 / 151
減少 34 野党
1970年 1,839,979 36.86%
91 / 151
増加 50 与党
1977年 1,855,331 29.72%
8 / 168
減少 83 野党
1989年 1,780,599 31.8%
67 / 225
増加 59 野党
1994年 人民連合として選挙戦を戦った チャンドリカ・クマーラトゥンガ 与党
2000年 人民連合として選挙戦を戦った 与党
2001年 人民連合として選挙戦を戦った 野党
2004年 統一人民自由同盟として選挙戦を戦った 与党
2010年 統一人民自由同盟として選挙戦を戦った マヒンダ・ラージャパクサ 与党
野党 [6]
2015年 統一人民自由同盟として選挙戦を戦った マイトリーパーラ・シリセーナ 与党/野党 [注釈 4]
野党 [7]
2020年 スリランカ人民自由同盟として選挙戦を戦った 与党

歴代議長

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議長 写真 任期
1 ソロモン・バンダラナイケ 1951年 - 1959年
2 C・P・デ・シルバ英語版 1959年 - 1960年
3 シリマヴォ・バンダラナイケ 1960年 - 1994年
4 チャンドリカ・クマーラトゥンガ 1994年 - 2006年
5 マヒンダ・ラージャパクサ 2006年 - 2015年
6 マイトリーパーラ・シリセーナ 2015年 - 任期中

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 人民連合候補として出馬
  2. ^ a b c 統一人民自由同盟候補として出馬
  3. ^ 当選したシリセーナも自由党所属だったため、選挙後はシリセーナが党首となった。
  4. ^ 党員の一部は統一国民党が率いる政府に参加した

出典

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  1. ^ de Silva, Nalin (22 March 2011). “Sri Lanka is neither Egypt nor Libya”. The Island. http://www.island.lk/index.php?page_cat=article-details&page=article-details&code_title=21270 
  2. ^ “Sri Lanka: The ethnic divide”. BBCニュース. (16 May 2000). http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/south_asia/514577.stm 
  3. ^ a b スリランカ自由党”. コトバンク. 2020年12月22日閲覧。
  4. ^ スリランカ内政・外交(2015年1月)”. 当国情勢. 在スリランカ日本大使館 (2015年1月20日). 2015年5月9日閲覧。
  5. ^ スリランカ議会選挙、与党陣営勝利 中国依存修正など継続へ”. 日本経済新聞 (2015年8月18日). 2015年8月31日閲覧。
  6. ^ Nimal Siripala de Silva appointed as the new Opposition Leader”. Sri Lanka News - Newsfirst (16 January 2015). 2022年7月25日閲覧。
  7. ^ Uditha Kumarasinghe (15 December 2018). “UPFA to sit in the Opposition”. Sunday Observer. 2022年7月25日閲覧。