利用者:枝豆7
シカゴの戦い | |
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1948年2月23日、野営陣地でM1 カービンを構える海兵隊員。この写真が撮られた第15砲撃陣地はこの2時間後に損傷のため放棄された。 | |
戦争:対火星戦争/米本土作戦 | |
年月日:1948年2月19日から2月26日 | |
場所:アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ | |
結果:火星軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
火星 | アメリカ合衆国 イギリス |
指導者・指揮官 | |
不明 | ダグラス・マッカーサー † リッチモンド・K・ターナー † ホーランド・スミス † ハリー・シュミット † |
戦力 | |
309,900 | 250,000 |
損害 | |
戦死 845? | 戦死 210,821 戦傷 36,217 |
Template:Campaignbox 北部の戦い | |
シカゴの戦い(Battle of Chicago}}, 1948年2月19日 - 1948年2月26日)は、対火星戦争初期にイリノイ州に属するシカゴにおいてアメリカ軍と火星地球侵攻軍との間で行われた戦いである。アメリカ軍側の作戦名はトールブリッジ作戦(Operation Tallbridge)。
概要
[編集]1948年1月9日にミシガン湖に落着した火星軍の強襲揚陸城AWC-271には侵攻軍第6軍団、第51戦車師団を中心とした侵攻軍北部制圧団が搭乗しており、船内の気圧操作等を完了した3月1日、アメリカ合衆国とイギリス連邦に宣戦布告を行い、侵攻を開始した。 当時のダグラス・マッカーサー大統領は大統領権限により、即時に自身を総指揮官とする対異星人調査大隊(通称:D4大隊)を編成、ミルウォーキーに派遣した。
火星軍によるカナダ侵攻と同時にアメリカへの侵攻を開始した火星軍はD4大隊とカンバーリッジで衝突し、D4大隊は全体の8割以上に上る731人を失い、シカゴに撤退した(ファーストコンタクト(アメリカの))。 この戦いで火星軍の脅威を理解したアメリカ政府は、イリノイ州を含む周辺6州の全戦力をシカゴに集結させ、AWC-271の撃破を最終目標とするトールブリッジ作戦を立案、実行へと移した。なお、この作戦の総指揮官にもマッカーサー大統領が就任した。
戦闘の開始
[編集]周辺6州から集結した米軍15個師団は2月9日、シカゴを囲んだ陣地配置を完了させ、火星軍の到着を待つばかりとなった。 2月15日にはイギリス義勇軍が到着し、斥候任務に当たった。また、シカゴのヘンドリックス地区に設置された前線指揮所ではマッカーサー総指揮官が直接指揮を執っていた。
2月19日午前7時43分、義勇軍所属だったロイヤル・アングリアン連隊所属のB中隊が火星軍の第88戦車大隊を発見、交戦状態に突入した。 さらに同47分、AWCー271がシカゴ都市部への直接砲撃を開始し、一部がヘンドリックス地区に着弾。ダグラス・マッカーサー総指揮官以下61人の将校が戦死した。この砲撃により指揮系統が混乱、火星軍の侵攻に対する迎撃が遅れ、大損害を引き起こした。
当時第4歩兵師団に所属していた作家のリチャード・バックマンは自著「ペンと弾丸の間に」で、このように語っている。 「私は装甲車の中で揚陸城の砲撃を見た。数秒してHQとの通信が途切れた。誰もが心の中で『負けた』と感じていた。数万の兵士も、数千の戦車も敵わないことを察してしまった。」
戦闘の経過
[編集]シカゴ都市部での戦闘が同日9時すぎから開始され、歩兵部隊が本格的な戦闘状態に突入した。
レーザー兵器に対する知識が無かったため、米軍側の被害は拡大。正午をすぎた頃には戦車部隊も到着し、数時間で都市部は陥落した。 この戦闘の最中、唯一の指揮官であったホーランド・スミス大将が戦死。また、都市部からの撤退中の混乱により多くの被害が出た。 一連の戦闘での損失率は90%を超え、米軍の被害としては史上最大の被害となった。
この戦闘で初めて実践投入されたT28重戦車が火星側の戦車一両を中破させたという記録があるが、信憑性は低い。この戦いで投入されたYQ-68γには対物理衝撃用反重力フィールドが標準搭載されていたため、実弾による攻撃は殆どが無力化されたためである。なお、米軍の戦力には含まれていない兵器が多数戦線に存在した記録が存在するが、定かでは無い。
デンファレ作戦
[編集]戦線の維持が不可能となった23日、米陸海空軍統合総司令部はシカゴの放棄を賛成13,反対9で決定。残存部隊の撤退を支援すると共に、シカゴ都市部を道連れに火星軍を殲滅する大規模爆撃作戦「デンファレ作戦」を開始した。
24日から26日にかけて多数のB29やB17が爆撃を行い、最終的にシカゴ都市部の84%が破壊された。一説によれば、一種の焦土作戦を兼ねたものであったとも言われている。
影響
[編集]ギャラリー
[編集]出典
[編集]トリストラム計画
[編集]トリストラム計画 Project Tristram | |
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戦争:対火星戦争 | |
年月日:1950年12月16日 - 1956年1月25日 | |
場所:ヨーロッパ全域、アジア・アフリカ・オーストラリア | |
結果:連合軍の戦術的勝利 | |
交戦勢力 | |
火星軍 | 連合軍 アメリカ合衆国 イギリス カナダ |
指導者・指揮官 | |
多数 | 連合軍 |
戦力 | |
57,000,000 | 800,000 |
損害 | |
死傷者合計519,855,086 | アメリカ軍 戦死 78,607 戦傷 117,139 捕虜・行方不明 21,144 |
トリストラム計画は対火星戦争中に行われた強襲揚陸城迎撃作戦。最終的に41隻の揚陸城を破壊することに成功した。名称はアーサー王伝説に登場する弓の名手、トリスタンに由来する。
テラー・プロジェクト
[編集]北アメリカ大陸の制圧により、窮地に立たされた連合軍は、1949年、火星軍に対する恐怖(テラー)となりうる打開策を官民問わず全世界から募集するテラー・プロジェクトを始動させた。
オックスフォード大学のデイヴィッド・ジョンソン教授は超大型砲により強襲揚陸城を撃墜するトリストラム計画を提案。当初、DARPAでは相手にもされなかったが、第二次世界大戦時にドイツ軍が設計したV3多薬室砲と新型砲弾である貫通式炸裂榴弾(APSCE)の併用により実現可能であることがボン大学の研究で判明し、1950年の2月からプロジェクトが進められることとなった。
AWC-234の撃墜
[編集]1950年12月12日、フランス、イギリス併せて14機のV3の建造が完了し、4日後にアイルランド沖に落着すると見られていたAWC-234の撃破作戦が開始された。
同月16日、予想された軌道でAWC-234が落下。7時22分、全V3からの一斉射撃が開始された。8時39分、AWC-234がコントロールを失い、錐揉み状態となって英仏海峡に墜落。500,000以上の戦死を確認した。
これにより、トリストラム計画の有効性が証明され、継続が決定した。トリストラム計画は最後のV3が破壊される1956年まで続けられた。
戦果
[編集]ここでは、トリストラム計画により撃墜された主要な強襲揚陸城を示す。
艦番 | 墜落地点 | 使用砲弾数 | 損傷 | 備考 |
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AWC-237 | バルト海 | 51 | 大破 | 内部から新型エネルギードライブをほぼ無傷で発見。 |
AWC-257 | アイスランド沖 | 129 | 大破 | 地上砲撃で残骸が破壊された唯一の艦。 |
AWC-440 | 大西洋東部 | 73 | 小破 | サルベージを試みたが失敗。一部はアイガーに流用された。 |
AWC-469 | 地中海南部 | 55 | 小破 | 後に修復され、FBB-002 アイガーとしてイタリア海軍に所属。 |
AWC-500 | シチリア島沖 | 41 | 中破 | 偶然にもすでに落着していたAWC-211に激突。両艦併せて12,000,000以上が戦死。 |
AWC-512 | 黒海 | 92 | 大破 | ソ連軍によって一部がウラルに流用される。 |
AWC-992 | 黒海 | 218 | 小破 | 落下中に炎上したものの、ダメージが少なかったためサルベージされ、FBB-003ウラルとしてソ連海軍に所属。 |
AWC-993 | デンマーク沖 | 99 | 大破 | 艦内で多くの捕虜が発見された(生存者12名)。 |
AWC-1090 | 北極海 | 60 | 中破 | 艦そのものの砲撃形態への変形機構が確認されている。 |
AWC-1097 | 日本海 | 141 | 小破 | 改修の後、FBB-004ふじとして海上自衛隊に所属。 |
AWTC-001 | ハワイ沖 | 681 | 中破 | 現在、唯一確認されている機動攻撃要塞。最終的に核砲撃によって破壊された。 |
ワシントン会戦
[編集]ワシントン会戦 | |
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メリーランド近海に展開する第5特務艦隊。前方にアイオワが見える。 | |
戦争:対火星戦争/米本土奪還作戦 | |
年月日:1959年9月29日から11月26日 | |
場所:アメリカ合衆国 コロンビア特別区ワシントンD.C. | |
結果:連合軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
火星 | アメリカ合衆国 イギリス |
指導者・指揮官 | |
ドワイト・アイゼンハワー | |
戦力 | |
24,000,000 | 18,000,000 |
損害 | |
戦死 10,643,331 | 戦死 12,010,821 戦傷 2,376,217 |
Template:Campaignbox 米本土奪還作戦 | |