コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

利用者:無雙眞古流

 無雙眞古流             

 京都の銀閣寺(慈照寺)に伝わる花の無雙眞古流は、福岡県京都郡みやこ町勝山新町の木村家に関わりある花の

一流であった。郷土では、忘れられ、知る人も少ない。

 古書によると、八代足利義政(同仁斎一花)を流祖とし本山家元は慈照寺住職だが、木村家は「代々花道の理と術

を正確に伝える宗家・主管者」であった、とある。

 宝暦十四年(一七六四)に足利十八代千葉官蔵(一国庵花頭)から木村徳右衛門が名跡を受けて、南壽庵花敬と号

した。号は南壽庵―花樂堂―雪林堂ー花樂堂と移り十一代花樂堂雪宗までの記録がある。

 昨年暮れ、地域おこしをすすめるNPO関係者や地元有志、みやこ町役場職員など十数人のボランティアによって

新町の木村家の先祖墓地清掃が行われた。朽ちた大木が倒れ、墓への階段は落ち葉で埋もれていた、まわりを覆った

雑草が取り除かれていくと、藪の中から宗家数代の墓が現れた。その墓に暖かい陽の光が当たった。

 郷土で埋もれていた一つの文化遺産が姿を見せた。

 現在、無雙眞古流は、慈照寺の花方・珠寳さんによって復興作業が進んでいる。

 ある雑誌の対談で、珠寳さんは「無雙眞古流は江戸の中頃に豊前で創流された生花の一流・・草木花一本にも命が

宿る・・自然に対して礼をつくす行為が花を供えるということ・・」と語る。

 またフランスのパリで花を教え、銀閣寺で全国から訪れる多くの人々の指導に当たっている、高校生から八十歳の

お年寄りまで、千差万別だが肩書き、性別、年齢を超え「書斎の同仁斎の名前のように一視同仁=平等という

言葉・・素晴らしいです」と珠寳さん。

 そして、慈照寺の花が「流派であって流派でない、家元制度というのがなじまないですね」の質問には

「東山の立て花は『真、そえ草、下草』というそれぞれの草木が自立して適材適所におり、互いに補い合って

平和な世界を花瓶の上に現わすんです」と答える。納得だ。

 かって木村家が日本の生け花を継承し、支えた心を知って独特な花の術が、今も伝わっていることを郷土の人々が

大切に想い、さらに伝え、広めていければと願う。   

                              豊津 小笠原協会 光畑浩治2012(H・24)1・10