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藤原千方(ふじわらちかた)
- 名前の由来は、地元では千方将軍(ちかたしょうぐん)と呼ばれ、伊賀・伊勢にかけての山間地に勢力を持っていたとされる伝説上の人物・藤原千方(ふじわらのちかた)。以下に説明する事を思う内に私の中で憧れに近い存在になっていて、自身のホームページ及びネットゲームでハンドルネームとして勝手に名前を使い、読み方だけは「の」を取って(「能無し」)今に至ります。
- FMなばり開局日からのリスナーの一人。
殆どの資料に引用されている「太平記」巻第十六「日本朝敵事」によれば、
「天智天皇の時代に、藤原千方という者が四人の鬼を使って伊賀・伊勢で勢力を持ち天皇に従わなかった為に、朝廷は紀朝雄(きのともお)という者を派遣し藤原千方は討伐されてしまった」
とされています。
しかし、この「朝敵」というのが実に胡散臭い。
資料
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からは、津市白山町・美杉町、伊賀市高尾地区・霧生地区、名張市滝之原地区には千方に纏わる地名や彼を奉る神社が複数ある事が解ります。また各地で祭礼[注 1]がおこなわれたり、各地で語り継がれて伝承が残っています。例えば、1980年(昭和55年)に名張高校郷土研究部が纏めた「なばりの昔話」の中の「赤岩さんと千方将軍」という地元に伝わる口伝の民話の中では、「お地蔵様にお祈りすると千方の様な強い人になって長生き出来るようになる」と述べられている。
これらを勘案すると「地元では人気があったものの、時の朝廷にとっては都合が悪い人物だった為に、適当な理由をこじつけられて、討伐されてしまった不運な人だった」だと考えた方が自然に思えました。
歴史書は勝ち残った人物によって編纂されるもの。その人物にとって都合が悪い事は封印されたり、改変されるのが常です。
天智天皇を父に持ち、伊賀の豪族の娘であると言われ伊賀市鳳凰寺(ぼうじ)地区には彼女に纏わる伝承[注 2]が存在する「伊賀采女宅子姫(いがのうねめやかこのいらつめ)」[8]を母に持つ第一皇子・大友皇子(別名「伊賀皇子」)に対して、皇弟・大海人皇子が、天智天皇亡き後に起こしたのが「壬申の乱」。天智天皇が亡くなった翌年、吉野宮に隠棲していた大海人皇子は吉野を立って伊賀、伊勢を経由して美濃へ入り、東国からの兵力を集めて皇太子を破り権力を掌握した内乱の事で、大海人皇子は後に天武天皇になります。伊賀・伊勢を通った時に、当地の住人達が「伊賀の豪族の娘を母に持つ皇太子」に弓を引いた人物・大海人皇子に従うとは考えられず、この時大海人皇子に従わなかった地元の豪族が天武の時代に「藤原千方」として仕立て上げられた…という想像も決して不自然な流れではない。
奇しくも当時の伊賀の国は「阿拝郡」「山田郡」「伊賀郡」「名張郡」の四郡からなり[注 3]、藤原千方に仕えた鬼の数と一致する為、「藤原千方=大友皇子(伊賀皇子)」と仮定すると、鬼は「伊賀国各郡の長(郡司)」という流れも頷けるのです。(山田郡の郡司が大友皇子の母・伊賀采女宅子姫の生まれた家だと言われている)
尚、余談になるが、
- 「欽明天皇(=聖徳太子の祖父)の時代に大和の国の生まれの藤原千方(形原千方…かたのはらのちかた)という人物が摂政として存在し、形原神社(愛知県蒲郡市)に
- 朝敵として扱われてしまった平将門を討伐した俵藤太・藤原秀郷の六男(孫という説もある)の藤原千方という人物が鎮守府将軍として存在し、千方神社(埼玉県加須市)に
奉られているという伝承があるのは何かの偶然だろうか?興味深い話である。
- 「あらゆる場面に於いて生放送番組は収録番組よりも勝る」という考えを持っていました。何のスキルも持たない一般人がごく簡単にライブ配信出来る時代になり、その考え方に少し変化が起きてきて、じっくりと練られた収録番組の良さも感じる様になりましたが、基本的には生放送を重視する姿勢です。
今、その瞬間を切り出して作り手と聴き手がそれを共有する事に勝る物はないと思っているからです。時間を掛けて手間暇掛けて作成したコンテンツがどんなに優秀であっても、収録番組は過ぎた過去の物を提供する事になります。勿論そんなコンテンツも優れている物があるけれど、今その瞬間に同じ時間を共有している人達が何をし、何を考え、そしてどんな事が起きているのか?例えそれがどんなに些細な事、つまらない事であっても、その一瞬の今の時間をOAすることがとても大事だと。そして何より生放送番組はやり直しが効かない一発勝負であるという事。収録番組は間違えてもやり直しが出来る為、如何に優れた人間と雖も心の隙が生まれる。従って私の作成するラジオ関連のページは生放送を重視する姿勢を貫いています。
- ^ 伊賀市高尾「甌穴まつり」(7月)、滝之原国津神社の祭礼等
- ^ 「鳴塚」と呼ばれる前方後円墳があり、「伊賀采女宅子の陵墓」や「大友皇子の陵墓」、「出身の山田郡司の陵墓」という伝承が残っている。明治中期以前、此の地には「鳴塚社」が鎮座していて毎年3月28日には伊賀采女宅子を、7月23日には大友皇子を偲んで祭礼が行われていた。場所についてはこちらを参照。鳴塚古墳(Google MAP)
- ^ 国造本紀によると「伊賀の国は645年(654年?)頃に伊勢の国に編入されたが680年(天武天皇9年)に独立」とある