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利用者:Berthollet

オルレアンの包囲 ( - ほうい) (:Siège d'Orléans :Siege of Orléans)は百年戦争での主要な出来事。ロワール川に面したフランス南部の守護の要地オルレアンは、イングランド軍によって陥落直前であった。しかし、ジャンヌ・ダルクによって救われ、戦争の流れを変えることになる。

背景

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当時のフランス王国の北半分はイングランド軍によって占領されていた。王太子シャルルは自身に忠誠を尽くす南部に留まっており、ロワール川は両国の国境となっていた。ロワール川に架かる橋はわずかにアンジェとオルレアンに残され、王太子を攻撃するためには、イングランド軍はどちらかの町を征服しなければならなかった。

包囲の展開

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包囲は1428年10月12日に始まった。ソールズベリー伯トマス・モンタキュートによって率いられたイングランド軍は町を包囲しようと試みる。効果的に町を包囲するための十分な人数がおらず、用意した大砲は城壁を壊せるほど強力ではなかったものの、10月24日までにロワール川の南岸にある、橋を防衛する城塞を攻略する。しかしながら、ソールズベリー伯は戦死してしまい、サフォーク伯ウィリアム・ドゥ・ラ・ポールが指揮をとるものの、城塞を占拠したイングランド軍の守備隊は逆にフランス軍に包囲されてしまう。橋は町を襲撃しようとするイングランド軍を妨げるために、フランス側から一部壊されてしまい、包囲に参加していたブルゴーニュ軍が撤退するなどして、不和が起きる。しかしながら、フランス=スコットランド連合軍は補給部隊を無残に攻撃されるなど、惨憺たる結果が続いて士気が低下し、いかなる主導権も握れなかった。

1429年春、フランス軍は食糧の備蓄が足りなくなる。町の状況は絶望的であるように思われた。この包囲の話はヨーロッパのいたる所で語られていた。

フランスには、フランス王国は処女によって救われるという多くの言い伝えがあった。そして、を聞いた一人の処女がシノンにいる王太子の前に現れた。それが、ジャンヌ・ダルクである。

王太子は4000人の軍隊の指揮権をジャンヌ・ダルクに与え、ジャン・ドルレアンは町の防衛の指揮権をジャンヌに保証した。4月29日にジャンヌはオルレアンに入城した。5月1日には、フランス軍が失っていたサン=ルー砦を襲撃する。ジャンヌはイングランド軍の撤退を要求したが駄目だった。ジャンヌは北から攻撃するようにと忠告するを聞き、自分に従うようにジャン・ドレルアンを説得した。続く1週間で、ジャンヌはいくつもの勝利を収め、南岸の城塞を取り戻した。5月9日、イングランド軍は打ち負かされて撤退した。