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利用者:Maryaa

利用者:Maryaa
ja この利用者は日本語母語としています。
この利用者は北海道の出身です。
ウィキペディアンこの利用者はWikipedia一般利用者です。(確認)

wiki-1
この利用者は簡単な記事の書き方を理解しています。
この利用者はウィキペディアにおける包摂主義者です。
この利用者はウィキペディア編集するときにログインすることを奨励しています。
この利用者は更新のウォッチに
バンダル・ファイターを利用しています.
この利用者は利用時間帯が不規則です。

家事と仕事の合間に草取りをしています。

耳の具合がよくありません。が、「人の話を聞く耳」は持っているつもりです。

必ずしも自分の行動が正しいとは思っていません。気づいた点がありましたら、随時お知らせください。

関東在住でヨーロッパ方面には行ったこともありません。

雑記

地域がある程度わかる IP LookUp (あくまで参考)

https://whatismyipaddress.com/ip-lookup

SEO関連業者の皆様

日々の業務お疲れ様です。


ウィキペディアは百科事典を作り上げるプロジェクトであり、その性格上不特定多数の利用者が随時閲覧に訪れる知識体であるため、そこに名前を置いておくだけで相応の宣伝効果が期待できることは想像に難くありません。が、ウィキペディアは(ガイドラインにも明示されているように)宣伝の場ではありませんので、単なる宣伝行為は排除されます。極端な思想の利用者は、利用者名や記事文言にちょっとでも宣伝臭が漂っていると、鬼の首を取ったかのように立項者へ突撃し、記事には即時削除を要求、なんてことも起きています(こういう利用者はウィキペディアの方針よりも「おらがイデオロギー」で生きており、コミュニティからは拒絶されているのが常ですが)。

個人的には、宣伝記事は感心しないものの、相応の出典とそれなりの特筆性を備えているのならば、ベースに宣伝の下心があったとしても記事としては許容してよいのでは、と考えています。もちろん、宣伝元組織情報の丸写しやHPのコピペなど、およそプロとは思えないやっつけ仕事は論外ですが。秘密裏に宣伝をするのがSEOの極意だとすれば、気づかれぬよう宣伝先の文化慣習に沿った形でやっていただきたい。ウィキペディア内でいうのなら、五本の柱独立記事作成の目安 (特筆性)程度は一応念頭に置き、記事を作ってほしいものです。SEO活動が活発に行われるように、昨今はネット上の情報が何気に物を言います。となると、逆手に取ってSEO関連業者の情報も比較的容易に入手できるのかも。秘密裏な活動が主業務ならば、簡単に推測されるような素人っぽい仕事はおやめいただきたいです。電子資源と時間の浪費、および宣伝元のイメージダウンにしかなりません。

出典を用意する → 記事に起こす

すごく大変なことです。えらく時間がかかります。なので、私もろくに記事を起こせていません。目的外利用者といわれても反論できません。 せめて、他の方が出典を引き、起こされた記事の質を保つべく草取りに精を出すくらいが関の山です。いつもすみません。

ウィキペディアは出典ありきなので、まず出典の用意。そして用意した出典を基に記事執筆、です。確固たる出典さえあれば、表現や構成が多少拙かろうと、他の利用者が手直ししてくれます。逆に、立派な表現による十分な文章量を備えた記事でも、出典が貧相だと相手にされません。虚偽?宣伝?なとど疑われることも。

見た、聞いた、体感した。それだけでは基本的には記事にできないのです。

変革の理由と目的

今、ひとまずの形で回っている組織とコミュニティ。ベストとは言わないし、ベターでもないにしても、運営はできている。そこに問題を提起し、変えていくのならば、現状のどこに問題があり、どう変えるかを簡潔に、客観的に示すことが大事。

加えて、変えることでもたらされるメリット、裏側となるデメリットやリスクの可能性と対応策も併せ示さないと、回っているものをなぜわざわざ壊さなければならないのかが周囲にわからず、同意が得られません。にもかかわらず「お前らはわからずやだ」と周りにぶちまけたところで、何の解決にもなりません。

現状を変えるのならば、語調荒く反論や論破するよりも、極めて穏やかに説得、合意を取り付ける努力をすべきでしょう。「変えたいんだっ!」と声高に叫んだところで、奥底の真意が伝わらないことには独りよがりに過ぎません。もっとも、その「真意」とやらに他意が多く含まれ、本音を明かしたくないのであれば、それは目的外利用以外の何物でもないです。

スタンス

個人的な主義や思想を抱くのは自然であるし、当然のことである。が、それをベースにした執筆姿勢はどうか勘弁して欲しい。政治、宗教、国家、歴史関連で対立するのは、大抵そういった個人思想の衝突。

中立的な観点に立ち、その中で思うことをどのように表現できるか。難しいならば一旦諦め、出典を集める努力も必要。なんていうのも個人的な思想だろと言われるかもしれないが、少なくともウィキペディアの方針や思想には沿った形。

最近の子供。

インターネットがさまざまな端末から利用できるようになり、ウィキペディアにもその波は平等にやって来ています。なので、ウィキペディアも編集を志す利用者の幅が広がりました。

が、微妙なのは子供。見聞きした事柄を出典なく小中学校や子供向け番組の記事に広げ、利用者ページやノートページの体裁など細かいところにばかりこだわり、ユーザーボックスを作りたがります。蔑んでいるのではなく、本当にこういう傾向がきわめて多い。善意にとって、先入観は極力去るよう努めてはいますが。

かつ、(ある意味で当然なのですが)コミュニケーションに難があり、言われた言葉だけを捉える。自分にネガティブな言葉だとすぐに反発し、その奥その先にあるものを考えない。ひどい例だと「対話しなくて済む編集に専念するから問題ない」とか言い出す。共同作業という意味、全く理解していない。

ルールをしっかり把握しようとする意志が希薄で、上述の理解力だと尚更にルール軽視。でも自由に発言、書き込みができる楽しさに酔い、ちょっとやらかして投稿ブロックされると別のアカウントを作って活動。そんな例がいくつも。なんだか、伊武雅刀氏の楽曲のようになってきましたが。

自由」って書きました。これって、所定のルールの範疇で「なにをしてもよい」「自分の好きに振る舞ってよい」だけではありません。「行動の結果の責任を取る、始末をつける」こともセットでついて回ります。そこ、わかってるのかしら。あなたがここで行動するのは自由。けど、あなたはここで行動しないでほしいとコミュニティが判断するのも、また自由

そういえば

電子資源と利用者各位のリソースを浪費させた出版関係をかたる利用者がおりましたが、「成果物」は発売されたのでしょうか。

方針や慣習をあまり把握されないまま立ち振る舞い、恐らくは本質を理解しないまま去って行かれましたが、どんな仕上がりになったのか是非立ち読みしてみたいです。

なんでそんなに自信があるの

ルールや慣習もろくに把握せず、自分が受けた印象を真実だと思い込み、行動する。全て自分の主観。

それがその空間内で普通なのか否かも判断せずに、直情的に盲信。

客観視という観点、ないんでしょうかね。と、人の振りを見て我が身を省みてみよう。

そんな年配者や業者にはなりたくないなー。

どうしてだろう

利用者ページの自己紹介充実に殊の外注力している人って、たいていの場合他者とのコミュニケーションができない。自己紹介で自分を知って欲しいという行動と、話しかけられても応答しないという真逆の行動。

そういえば

投稿ブロック逃れを行った利用者は、有期ブロックの利用者の場合は、ブロック逃れが判明次第、メインアカウントおよびメインIPアドレスのブロック期間はリセットされます。

なんてルールがあった気がしましたが、なんだか形骸化している気がします。

口は出すけど手は出さない

方針文書だのガイドラインだのにいちゃもんつける前に、問題と思う事象や利用者に対し、相応の行動を取ってみているのかな。文言変えるだけで状況が変わるのかな。まぁ、言うのは自由だけど。