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利用者:Sickman

ja この利用者は日本語母語としています。


札幌市在住のウィキペディアンです。男性。 病弱で肌の色の白いところからSickmanと名乗ることにしました。よろしく。


思うこと

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近頃は内省的に過ごすことが多くなった気がする。自分の暮らす社会についての疑問や関心が深まってきた。例えば最近考えているのは死刑存廃問題刑罰とは何か、国家権力とは何か、という問題にもつながってくるような複雑な問題である思う。自分の狭い知識の中ではあるが、拙い考えも含めて紹介したいと思う。

まず、刑罰の目的を考える上で代表的な考え方として、①カントが唱えた、刑罰とは何らかの目的をもったものというよりは、罪に対する応報、つまり行われた悪事による負のベクトル対するバランスを保つためにはたらく正のベクトルとしての正義であるとする応報刑論、②刑罰は犯罪者を教育、改善し、社会復帰させるために正当化されるという教育刑論、③犯罪者に対する罰を与えることで、新たな犯罪の発生を抑止するという抑止刑論が挙げられる。

現代の日本社会に暮らす僕にとって一番しっくり来たのは②の教育刑論で、①の応報刑論は、何の目的も持たない刑罰自体が正当化されていて理解に苦しむし、③の抑止刑論は、抑止力が科学的に実証されていないということでこれを死刑に適用するのははばかられると思った。

ここで、犯罪者を死刑によって抹殺してしまうのは教育する主体を抹殺してしまうに他ならず、教育刑論に反する。つまり教育刑論的目的はこの時点で達せられず、③の抑止刑論のみが残ることになるが、これは抑止力が実証されていない。

また、国家が一人の人間を、何らかの功利的目的によって殺害して良いのか、という人道的問題も存在する。すなわち"国家は市民を犯罪の危険から守るべきではあるが、そのために人が殺されて良いのか"という問いである。

しかし同時に遺族の感情の問題もある。 しかし少なくとも国家は遺族感情に左右されるべきではなく、報復としての刑罰は許されるべきではない。法はもっと無機的なものであって然るべきだと思う。

以上のようなとても限られた知識からではあるが今のところ自分は死刑廃止論者であるといえると思う。まだまだ勉強不足であるし、法曹関係者で存置論者の父とも語り合ってみたい。 もしこれに対する意見などあったらノートのほうにコメントください。