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利用者:ZERO


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この利用者はある程度記事の書き方を理解しています。
ja この利用者は日本語母語としています。
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This user is able to contribute with a basic level of English.
この利用者はウィキペディアにおける包摂主義者です。
agn この利用者は不可知論者です。
この利用者はウィキマネーを利用しています。残高は34ウィキです。
ウィキマネー及びウィキバンクは2016年9月9日をもって終了いたしました。
この利用者はウィキメディア・コモンズ利用者ページを持っています。

こんにちは、ZEROと申します。

2009年8月に同居の親類が突然死し、そのショックからか伯母が統合失調症を発症してしまい、Wikipediaどころではない状況になりました。現在では、ある程度病状は落ち着いてきていますが、私自身も伯母の療養のつきそいで、関東での仕事を辞め自宅を引き払い、地方に住んでおります。

したがって以前のように、気軽に国会図書館にも行けず、ネットにもあまり繋げられないのが実情です。

議論途中だった皆様には大変申し訳なく思っておりますが、正直、身内の死と病気とに向き合っている毎日で、とてもウィキペディアに参加できる状況ではありませんので、まだしばらくウィキブレイクさせていただきます。すみません。--ZERO 2015年10月28日 (水) 08:40 (UTC)


2004年にアカウントを取得しました(編集回数)。2007年2月には月間感謝賞をいただきました。

編集は1000回を越えておりますが、既存の記事の修正がすることが多く、新規立項は多くありません。新規立項したものとしては、クッキングトイ大原敬子勤皇まことむすび松江騒擾事件神さまこんにちは国史大辞典 (昭和時代) JW-10多賀英典川島裕二、リダイレクトと転記を除くと現時点でこれだけです。自身の編集が他者から一定の評価を受けたものとしては、松江騒擾事件およびGARNET CROWWikipedia:秀逸な記事に加わっています。また、Wikipedia:秀逸な記事の選考のルール改定、Wikipedia:査読依頼のルール修正およびTemplate:査読依頼者の作成を行いました。

2001年5月に発足した日本語版ウィキペディアは、2006年6月17日を境にまったくその姿を変えました。すなわちWikipedia:検証可能性の公式化です。それ以前の5年分の記事の多くは、Wikipedia:検証可能性を意識されないままに書かれたものであり、したがって現状のウィキペディアは、公式化以前の記事と以降の記事とが混在した状態です。ウィキペディアに参加されたばかりの方に留意していただきたいのは、はじめに記事を書くとき、手本として何らかの記事を参考にすると思いますが、それが現時点で手本にするにふさわしい記事なのかどうか、ということです。

主な編集先・経歴など

  • 松江騒擾事件 - 新規立項。2008年に新着記事として選出され、後に秀逸な記事入り。日本近現代史の分野としては初?
  • GARNET CROW/GARNET CROW編纂史/GARNET CROW加筆後の残骸) - 2007年に秀逸な記事入り。53番目の選考通過記事(新ルール施行以降)。バンド・存命中の人物を扱ったものとしては第1番目。

覚書

色々な記事の雑草取りや議論、また過去の反省を通して獲得した知見をまとめます。

「冗長」と「説明不足」

『これこれの文章は冗長だ(必要性を感じない)』という意見を述べるときに気を付けなければならないのは、自分が「冗長ではない記述」を主観のみによらず用意できているかどうかということである。ウィキペディアの記事は知識や関心も異なる全世界の人に向けて書かれている。共通点があるとするなら日本語ができることぐらい。十分に知識を備えた上でその記事を読む人もいるだろうし、まったく知識のないままで読む人もいるだろう。したがって、主観のみによって「冗長かどうか」を判断して情報を除去しまった場合、その瞬間から誰かにとっては「説明不足の文章」となってしまう。逆も然りである。ウィキペディアの記事は、自分も含む「特定の誰か」にとって冗長であったり説明不足であっても、そのこと自体にはなんら問題はない。それだけの理由で記述を削ったり増やしたりするのは、同じ形式で差し戻される可能性をも許容していることになる。--2009年4月11日 (土) 16:47 (UTC)

参考文献と脚注

「参考文献はリストアップするだけではダメだ、脚注の形でなければならない」という意見がノートや井戸端、秀逸な記事の選考などでみられる。しかし「出典の明示方法は脚注の形式で『なければならない』」とする方針はない(個別ノートの合意にはあるかもしれない)。ただし「脚注機能を使わないと本文のどの部分の情報源なのか不明なため、なるべく脚注機能を使用することが推奨される」という「考慮すべきガイドライン(Wikipedia:出典を明記する)」ならある。つまり「本文のどの部分の情報源なのか」明確ならば、脚注の形をとる必要は、いまのところない。重視されているのは「脚注機能」ではなく、「本文のどの部分の情報源なのか明確かどうか」である。

明確化した結果として、脚注がなかったり、逆に脚注が100や200になったとしても、このガイドラインと照らし合わせた場合に限っていえば、問題は生じない。--2009年4月15日 (水) 15:44 (UTC)

「ファンサイト的」=?

「ファンサイト的」とは、Wikipediaの議論のなかで一般化しつつある言葉のひとつである。この指摘を以て特定の記述を除去しようとする場合が多くある。しかしWikipedia内で「ファンサイト的」という語が何を指すかは方針上に明文化されておらず、各議論を経ても統一的見解は出ていない(Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは何でないかWikipedia:井戸端/subj/ファンサイト的な記述)。

よって「ファンサイト的とは何か」が統一されていない以上、「ファンサイト的なものを排除せねばならない」という言い方は、そのままでは不適切である。また「ファンサイト的」という語が発せられる際には、そこに暗黙の前提として「ファンサイト」は「百科事典的」ではない、という考えがある。しかし、星の数ほど存在する「ファンサイトの記述」と、「百科事典的記述」は、必ずしも対義とは限らず、「百科事典的ファンサイト」というものすら存在する。「ファンサイト的」という語を定義しないままに使用すべきではない。--2009年4月15日 (水) 15:44 (UTC)

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