Wikipedia:井戸端/subj/帰化日本人のカテゴリ
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なんか急にこの類のカテゴリが量産されてます。これそのものは問題にならないのかもしれませんが、「安全側に立つ」というウィキペディアの主旨を無視する輩につけ込まれそうで大変不安です。皆さんはこれらのカテゴリに気づいておられますか? 取り越し苦労と一笑に付すよりは悪用されないように監視が必要ではないでしょうか? 219.121.239.129 2006年1月2日 (月) 14:52 (UTC)
- 補足・主に、政治家や芸能人のカテゴリが新設された事が不安要因です。スポーツ選手ならそんなに危惧しないですが、これらのジャンルは記事数も少ないし韓国系が目立つと電波が来そうだし、本当にカテゴリまで必要なのかなぁ… 219.121.239.129 2006年1月2日 (月) 15:10 (UTC)
自分も同感です。何せある人間の国籍やルーツなどは本人が明かさないこともあり、噂レベルなどでは存在しているものの簡単には辿れないし、確認がし難いという点から懸念していると利用者:Hermeneus氏の会話ページで伝えたのですが、氏は楽観的でした。。 けふこえて 2006年1月2日 (月) 15:17 (UTC)
- 芸能人を例にとりあげると、Hermeneusさんの行動そのものはほとんど問題じゃないのですが、今回それを既成事実という「言い訳」に利用して、帰化日本人の芸能人というカテゴリを作るIPユーザが登場し、そしてこのカテゴリが出来てしまった現在は、これが存在するからという「既成事実」が一人歩きして、出自を明らかにしていないタレントを噂だけで在日韓国人と決め付けて分類する… というような悪循環が非常に懸念されますよね…。何人かの芸能人の記事がこの手の問題で編集合戦や保護になっている事実に、もう少し危機感をもって何らかの手を打つべきじゃないかと心配しています。いわゆる電波やそれに連なって登場する輩たちの、集中攻撃によって管理不能となったbbsをいくつか経験しているので非常に不安です。「安全側に立つ」という観点が「間口の低さ」や「容易な起筆」という名目より軽視されすぎていると感じています。日本のネット事情は諸外国に比べ大変特殊な環境なのですから、この辺りのバランスが他国版と多少違ってでも「安全優先」でよいのではないでしょうか? もし訴訟等のトラブルになったら、困るのは参加者全体ですし。。。219.121.239.129 2006年1月2日 (月) 16:41 (UTC)
- おれもまずいと思いますねー。カテゴリに関しては削除依頼送り、各記事についてはリバート、ご本人に対しては警告、というあたりでいいんじゃないでしょうか。誰がやるかは微妙ですけど(つか、おれはここを見て知ったので気づいてませんでした)。--Nekosuki600 2006年1月2日 (月) 17:43 (UTC)
Category:在日外国人の人物やCategory:帰化日本人の人物、Category:在日コリアンの人物、Category:日系人の人物のカテゴリは、Category:日本人、Category:日本の民族、Category:日本の外国人関連の項目をおよび日本人論や日本人、大和民族などの項目を整理していく延長で私(Hermeneus)が作成したものです。
私はこれらのカテゴリがいわゆる在日認定荒らしなどを殊更助長するものであるとは思いません。カテゴリがあろうと無かろうと記事本体に色々書く荒らしはいますし、記事本体に誤った情報を加筆する代わりに誤ったカテゴリを付加したところで行為の性質自体は何も変わりません。悪い行為であれば、如何様な形態であれ、取り締まればすむことです。カテゴリがあろうと無かろうと「訴訟等のトラブル」の危険性に大きな変化があるとは思いません。
また、帰化日本人等であることをあたかも恥ずべき属性であるかのように一括して忌諱することにも反対します。何も彼らの全てが自分の出自を隠したいと思っているわけではありませんし、逆に民族的出自を誇らしく主張する人もいます。そのように第三者のパターナリスティックな配慮から十把一絡げに表現を規制する削除依頼濫用のほうを私は危惧します。Hermeneus (talk) 2006年1月2日 (月) 19:48 (UTC)
言いたいことはよくわかるのですが、悪い意味での「政治」ってのは、そんな単純じゃないのです。理念がどれだけ素晴らしかろうと、それを悪用する輩はいます。ゆきち 2006年1月2日 (月) 20:20 (UTC)
- そういう「単純」な極論に走られても困ります。そんなこと言い出したらWikipedia自体からして悪用される可能性が大いにあるわけで、Wikipedia自体の存在意義まで否定されかねません。物には限度があります。私は「帰化日本人の○○○カテゴリ」に関しては今以上に大きなトラブルを引き起こす可能性のある代物だとは思わないと申しているのです。Hermeneus (talk) 2006年1月2日 (月) 20:42 (UTC)
- それも極端過ぎる解釈なんですけど...。お願いしたいのは、理念と目的と理想をごっちゃにしないで欲しい、ということです。
- とりあえず、Hermeneusさんの目的を鑑みて、以下のルールを制定してはいかがでしょうか。
- 民族学上の問題を整理する目的での民族学的カテゴリは有用と理解し、許容する
- 民族学的、またはそのほかの目的を持たない民族的分類を志向するカテゴリは、有用性を持たないと判断し、拒否する
- これくらいで政治的悪用はそこそこ防げるのではないかと思います。2006年1月2日 (月) 22:00 ゆきちさん
自分はゆきちさんやNekosukiさんの懸念に同意します。
一つ指摘しておきますが、力道山のように後年わかるようなものはあっても、野球選手や芸能人に関しては、ファンの間ではある程度推測が存在してはいるものの、そもそも日本人なのか韓国人なのか北朝鮮人なのか、帰化しているのかしていないのか、等といった事を決定的に百科事典としてはそれでも明言できないものが多いです。そして、結局帰化日本人のカテゴリに入れられないために日本人野球選手カテゴリを付与せざるを得なくなり、日本人野球選手が大きく膨れ上がり、1000近くの記事がぶら下がることになるので、もし作成が仮に正当化されるのならばせいぜいサブカテゴリをぶら下げる程度にして欲しい。 けふこえて 2006年1月3日 (火) 09:06 (UTC)
Category:帰化日本人の政治家はどうも将来的に発展もしなさそうな気がします。現在3項目が該当しているけど、、、--代言人 2006年1月3日 (火) 15:36 (UTC)
「帰化日本人の○○○カテゴリ…」というカテゴリの問題と、民族的出自なりを記述すること自体の問題を、混同しないように願います。出自を明らかにすべきでない人の出自が記される、あるいはゴシップに基づいて誤った出自が記されるといった懸念は、カテゴリの問題ではなくWikipediaにおける出自の記述一般に関する問題です。そういう観点からこのカテゴリ全廃を主張するのであれば、まず民族的出自の記述自体を完全に禁じるルールを採用して、既にある人物の項目における出自に関する記述を全て削除する決定をするのが先です(無論、私はそのようなルールにも反対します)。Hermeneus (talk) 2006年1月3日 (火) 16:08 (UTC)
出自といいましても、国籍と民族的ルーツが一致するような、出生地国主義のアメリカ合衆国で活動する人物なら分類は簡単です。しかし、日本の場合はそれとは事情が違い、分類自体の困難さが存在することをあなたのノートで既に指摘しております。ゆきちさん、Nekosukiさんらも含めて問題点を指摘したことに対し「混同」、あるいは「帰化日本人等であることをあたかも恥ずべき属性であるかのように」などと取るのは筋違いでしょう。
どうしてそれほどまでに存続に拘泥されるのでしょうか?記述自体はrevertなりで対処できますが、ただでさえ土井たか子や和田アキ子などでの問題が当該記事で沸騰した上に、カテゴリまでが付与されるととなるとそのカテゴリのノートやこういった場での労力が余計に増えるばかりです。
そして、代言人氏や自分の指摘したような問題はあなたにとってどうでも良いことなのでしょうか。
Category:帰化日本人の野球選手も、正直言って潜在的に当てはまる人物はいるものの、これもまた将来的発展性には疑問符がつきます。また、Category:野球選手があなたの作られたCategory:日本の野球選手に移行するとなると1月3日に記述したような問題が発生するということを改めて指摘しておきます。 けふこえて 2006年1月4日 (水) 08:19 (UTC)
- 貴方は「問題」を指摘してるのではなく、単に「色々やっかいな問題が出そうだし面倒だから削除しとけ」と言ってるだけでしょう。問題があるのであれば、それが具体的に如何なる問題であるかを吟味し、妥当な解決策を探るのが筋というものです。とりあえずカテゴリを削除しときさえすれば何とかなるとでも思ってるのでしょうか。帰化日本人の出自を記述することの妥当性の話をしているのです。貴方の「労力が余計に増える」などという馬鹿馬鹿しい「問題」など知ったことではありません。Hermeneus (talk) 2006年1月4日 (水) 09:30 (UTC)
「具体的に如何なる問題であるか」については、各人が述べております。これについてHermeneus氏がどう思っておられるかをお聞きしたい。上述からは自分が与太を述べているというように取っておられることしか理解できません。
- 風評に基づいたいい加減な記述の恐れ
- 国籍・出自の情報入手の困難さ
- 2に伴うカテゴリの発展性
特に3などは代言人氏と自分が指摘した事項なのですが、どう考えられておられるのか分からないのでもう一度お願いいたします けふこえて 2006年1月4日 (水) 09:39 (UTC)
本件とは直接関係ない話ですが、「安全側に立つ」という方針はウィキメディア財団の方針にはありませんし、Wikipedia日本語版の方針にも趣旨にもありません。念のため付記しておきます。ただ、そうすべきだと主張している利用者がいるという事実は否定しません。Modeha 2006年1月4日 (水) 14:56 (UTC)
- Modeha氏の主張は「合意さえあれば安全も危険も関係ない」となるのかな。しかしこの件に合意は得られてないっすねぇw。俺はHermeneus氏が作ったというカテゴリは「きわどいかもしれないけど比較的妥当」だと思う。が、一番初めにある「政治家」とか「芸能人」は非常に危険だと思う。トラブルの元になる事を承知であえてぶち立てた悪意のIPユーザって匂いがする。そしてHermeneus氏の行動が、この悪意のユーザにとって自分に都合の良い様に利用されてるって構図じゃないかな? ここらへんがけふこえて氏とちょっと温度が違う訳で、俺としてはHermeneus氏には、正しいと信じている行動であっても悪用される確立が高い、そういう際どいエリアスレスレの所を触ってるんだぞ、という自覚を持って頂いて、事後のフォローに積極的に関わって頂けたら充分なんじゃないかな、と思う。危険を怖がってばかりじゃ何もできないが、だからといってヤリ逃げも無責任だしね。そこらへんのバランスじゃないかな。Hermeneus氏だって自分の立てたカテゴリを直接悪用されたら、きっと気分悪いだろうし修正編集もしたくなるんじゃないのかな。と言うわけで一番問題なのはHermeneus氏以外のヤツが、おそらくフォローなど何にも考慮せずにぶち立てた可能性のあるカテゴリの方だと思う。「政治家」も「芸能人」も記事数少ないし問題を起こす可能性については他の類名カテゴリより圧倒的に危険だと思う。勿論、けふこえて氏のいう部分についての相談も、必要な話だとは思っているけど、ややこしさと危険度で2段階に分かれる話だと思うよ。-219.121.237.237 2006年1月4日 (水) 15:45 (UTC)
「問題がある」と言いながら、誰もその「問題」を具体的に指摘している人がいないように思われます。この問題は一般にもタブーのように扱われ正面から議論されることも少ないというのもあるのでしょう。本来なら「問題がある」ことを理由に削除を申請されている方のほうから具体的にそれを記すのが筋ですが、書こうとする人が誰もいないようなので私から整理させてもらいます。
まず最初に断っておきますが、私はこの問題はカテゴリだけの問題であるとは思いません。出自を明らかにすべきでない人の出自が記される、あるいはゴシップに基づいて誤った出自が記されるといった懸念は、カテゴリの問題ではなくWikipediaにおける出自の記述一般に関する問題です。ですので、以下ではカテゴリに限定した話ではなくWikipediaにおける出自の記述一般の問題として書かせてもらいます。
次に、「風評に基づいたいい加減な記述」だの「国籍・出自の情報入手の困難さ」などが「問題」の本質であるとも思われません。誤った情報やソースの不明な情報が加筆される可能性はWikipediaにおけるあらゆる記述に関しても言えることであり、帰化日本人の出自の記述についてのみ強調すべき故はありません。単に誤った情報であれば編集で対処すれば済むことです。大阪府出身であるところを京都府出身と誤って書かれて目くじら立てる人はいませんし、アフリカ系であるところをヒスパニックと書かれて訴訟を起こす人もいません。こういう「問題」は一般的な執筆のガイドライン「出典を明記する」に準じれば済むことです。
それでは、帰化日本人の出自を記述することに特に大きな問題があるというのであれば、それは何なのか。帰化日本人の出自の記述のみを特に控えるべきだとするのであれば、その理由は何なのか。端的に言って、これが問題になるのは主に在日コリアンから帰化した日本人の場合のみでしょう。同時に在日コリアンについても出自を書くことが暫し問題にされます。何故かと言えば、在日コリアンには、日本社会における差別を避けるために通名を名乗るなどして出自を隠してきた人々が多数いたという歴史的背景があるからです。
私はこの理由以外に帰化日本人(および在日コリアン)の人物の出自を記述すべきでないとする根拠を知りません。また、この理由が帰化日本人の人物の出自記述を一律禁止するほど強いものであるとも思いません。なぜなら民族的アイデンティティを堂々と主張して生活している人も多数いるからです。そして、(元)在日コリアンの出自を公開することが、あるいは在日コリアンではない人を在日であると誤って書いてしまうことが、如何なる法にふれるのかも私は知りません。いずれにしろ、こうした問題を一つ一つ詳細に検証せずに、ただ厄介な問題そうだから消しとけ、という乱暴な主張には反対します。
とりあえずの対処としては、主要メディアや自著などで出自が公開されている人に関してのみ出自を記述するようにすれば良いでしょう。Hermeneus (talk) 2006年1月4日 (水) 23:19 (UTC)
大きなケアレスミスなのですが、「記述」ではなくて「分類」でした。別にソースの確かな記述になら誰も文句は言いませぬ。問題は、相当な量の風評の多さに伴う吟味・メンテナンスに「事後のフォローに積極的に関わって頂け」るかどうかなんですよね。わざわざ本質の話まで手間取らせてしまって申し訳ないです。 (「訴訟」は「公開していないものを公開された」といった内容になるだろうし「如何なる法にふれるのかなんて知らん」だとどうも「ヤリ逃げ」の感じもしなくないから怖いのですが。)
で、自分としては、あなたの作られたCategory:日本の野球選手にCategory:野球選手の記事がそっくりそのまま移ってWikipedia:カテゴリの方針の上限を優に超える1200ものの記事がぶら下がって不適切な(しかもルーツは分かっても「帰化」か「在日」かが分からずとりあえずそこに分類されざるを得ない選手がたくさん存在する)ことになるだろうから問題なので、あなたの作られたCategory:各球団の野球選手を消してCategory:世界各国の球団の野球選手にし、Category:日本の球団の野球選手をそのまま「日本の野球選手」の下に置かせてもらえないだろうかということをお願いしたいのです。 けふこえて 2006年1月5日 (木) 01:19 (UTC)
- 国籍別スポーツ選手カテゴリ一般に関わる問題は、この帰化日本人の出自記述問題とは別途に議論するほうが良いと思います。ちなみに国籍別選手カテゴリ一はサッカーやボクシングなど他のスポーツ競技にもありますし、英語版Wikipediaにも同様なカテゴリは存在します。英語版の場合、登録数が膨大になるであろう「アメリカ合衆国出身の野球選手」カテゴリはありませんが、一方で「アメリカ合衆国出身のバスケットボール選手」カテゴリは存在します。私はカテゴリの登録数が少なすぎるとか多すぎるといったことは必ずしもそのカテゴリの存在意義を否定するものではないと思いますが、そうした問題も含めて帰化日本人の問題とは別に議論するのが妥当でしょう。Hermeneus (talk) 2006年1月5日 (木) 01:49 (UTC)
公開された情報かどうかという問題であれば、帰化の許可は官報で告示されているはず(記憶違いor変更済みならすみません…)だからとくに問題はないと思いますけど、それ以前に「帰化で日本人になった人」と「誕生時に自動的に日本国籍となった人」と(「二重国籍状態から日本国籍を選択した人」というのもありますね…)で、日本国民としての権利・義務に違いはないでしょう? それを(本人が望まない形で)書き立てることは、明らかに人権侵害です。戦前の「新平民」問題と同じじゃないですか? 同様に、「○○出身の××」(「○○」には国、地域、地方自治体、学校、企業等が入る)というカテゴライズ(一覧記事を含む…)も、本人が積極的に公開している場合以外は問題ありだと思います。そもそも「出身」って何なの?という疑問を差し置いても。--Mametaro 2006年1月5日 (木) 02:14 (UTC)
- 外国籍は別に賤民のような被差別階級ではありません。Hermeneus (talk) 2006年1月5日 (木) 02:19 (UTC)
- 被差別階級であるかどうかは関係ありません。公益性のない個人の情報を本人が望まない形で書き立てることが人権侵害だと言っているのです。(そういえば、日本の個人情報保護法とWikipediaとの関係はどうなんでしょう。)--Mametaro 2006年1月5日 (木) 02:42 (UTC)
- 「公益性のない個人情報一般の記述=人権侵害」の話は他所でやってください。Hermeneus (talk) 2006年1月5日 (木) 02:48 (UTC)移動時に漏れたようなのでWikipedia:井戸端の履歴より復旧--Mametaro 2006年1月5日 (木) 03:02 (UTC)
- 「帰化日本人であること=公益性のない個人情報」であり、本人が望まない形で書き立てることは人権侵害であるから、この種のカテゴリは百科事典であるWikipediaにはふさわしくない、と言っているのです。--Mametaro 2006年1月5日 (木) 03:02 (UTC)
- 出身地や出身校の記述まで「人権侵害」だとするような大風呂敷な議論にまで広げられてしまっては、もはや返答しようもありません。現在そのようなルールはWikipediaに存在しませんので、そういう観点から当該カテゴリの削除を主張するのであれば、まず「出身地などの公益性のない個人情報一般の記述=人権侵害=削除」というルールを提唱して、それが採用されてからこっちに来てください。Hermeneus (talk) 2006年1月5日 (木) 03:14 (UTC)
- Wikipedia:削除の方針のケースB-2をよく読んでください。--Mametaro 2006年1月5日 (木) 03:21 (UTC)
- 貴方のおっしゃられているようなことはどこにも見受けられません。Hermeneus (talk) 2006年1月5日 (木) 03:25 (UTC)
- 『法令とは関係なく日本語版Wikipediaは個人のプライバシーを尊重する方針を採っています。』国籍(帰化歴)、学歴、居住歴等、いずれもプライバシーに属する内容です。さらに具体的には『下記に、ウィキペディア日本語版で伝統的に削除されている例を挙げます。(中略)スポーツ選手・研究者・作家などの記事内で、その活動に多大な影響を与えたとは考えられない逮捕歴、裁判歴、個人的情報など。』「活動に多大な影響を与えた」かどうかは個々の記事によって判断すべきですが、すくなくとも網羅的なカテゴリーとしてはふさわしくありません。--Mametaro 2006年1月5日 (木) 03:43 (UTC)
- 「ケースB-2」で取り上げられているのは芸能人が非公開にしている本名や逮捕歴、裁判歴に関する情報です。これを拡大解釈して出身地や出身校の記述まで一律に削除するのが是とされたケースなど私は知りませんし、それがWikipediaにおける慣例であるとも思いません。Hermeneus (talk) 2006年1月5日 (木) 03:52 (UTC)
- 「その活動に多大な影響を与えたとは考えられない個人的情報」すべてが対象になり得ます。文字ではっきりと書かれているものを否定しないでください。あなたがどう思おうが、Wikipedia:削除の方針は『ウィキペディアの公式な方針』です。--Mametaro 2006年1月5日 (木) 04:08 (UTC)
- それを出身地や出身校の記述まで十把一絡げに人権侵害情報ゆえ削除すべしとするものである、などとコンテキストを無視した拡大解釈する人は貴方以外に知りませんし、貴方の斯様な解釈がWikipediaの公式なものであるとも思えません。Hermeneus (talk) 2006年1月5日 (木) 04:22 (UTC)
- 「それを出身地や出身校の記述まで十把一絡げに人権侵害情報ゆえ削除すべしとするものである」などと言った覚えはありませんが…。そういう微妙なプライバシー問題を含みうるカテゴリはカテゴリとしてふさわしくないと言っているだけ。まあ、ここは削除依頼に対する投票所ではありませんから、あくまでも意見ですけどね。--Mametaro 2006年1月5日 (木) 04:53 (UTC)
- いつの間にか「人権侵害」「公益性」の問題から「プライバシーの尊重」の問題にすり替わっているようですが、Wikipedia:削除の方針は当然プライバシー尊重の観点から記載するべきでない情報の例を挙げているだけであって、本人が公開している、あるいは第三者のメディアなどに公開することを許可している情報一般のことまで言うものではありません。後者の場合は「その活動に多大な影響を与えたとは考えられ」なかろうと「公益性」が無かろうと関係ありません(人物の項目などは詳しく書いていけば伝記的な内容になるわけで、その大半は「公益性」など無いし「その活動に多大な影響を与え」るものでもありません)。「プライバシーの尊重」が問題であるのなら、何であれその情報が公開されているかどうかが問題なのであって、このページで扱っている問題とは直接には関係ありません。Hermeneus (talk) 2006年1月5日 (木) 04:57 (UTC)
人権侵害の問題はまったく別だと思います。本人が公表しているなら、問題はないでしょう。そうではなくて、問題なのは、カテゴライズから発する集団レッテル張りです。少なくとも、今回作成されたカテゴリには、何も有用性が感じられません。何のために作ったのか、感情的になりやすい話題に火を注ぐ目的しか感じられません。そういう点で、僕は危惧しています。要するに、今回のカテゴリ作成それ自体に悪意というか、嫌がらせの感じを受けています。ゆきち 2006年1月5日 (木) 03:31 (UTC)
- (1)具合的に私がいかなる「悪意」「嫌がらせ」の意図を持って当該カテゴリを作成したのか、そして(2)私が斯様な「悪意」を持っているだろうと貴方が推論した根拠の提示を願います。Hermeneus (talk) 2006年1月5日 (木) 03:38 (UTC)
僕は「あなた」とは言ってない。「今回」と言っています。Hermeneusさんの目的は既に確認しています。ゆきち 2006年1月5日 (木) 04:00 (UTC)
韓国語版にもCategory:在日コリアンの人物に対応するko:재일 한국인의 일람があるが、誰をリストに載せるかをめぐって日本語版と同様問題になっています。(日本語版でよく削除依頼が出る人物も入っています。私が消しましたが記録が残っています。)--H.L.LEE 2006年1月6日 (金) 01:49 (UTC)
区切り
[編集]Hermeneusさんが悪意でこのカテゴリーを設けたわけでないことは理解します。しかし、
> 私はこの理由以外に帰化日本人(および在日コリアン)の人物の出自を記述すべきでないとする根拠を知りません。また、この理由が帰化日本人の人物の出自記述を一律禁止するほど強いものであるとも思いません。なぜなら民族的アイデンティティを堂々と主張して生活している人も多数いるからです。
1. 在日コリアンのなかでも民族的アイデンティティを「堂々と主張して」生活することを選択しない人もいます。在日であっても日本名を名乗る人の選択を無視するものになってはいませんか? 自らのアイデンティティをどこに求めるかはその人の選択権に属する問題であって、ほかの誰か(Hermeneusさんであれikedat76であれ、他の誰であれ)が勝手に決めてよいことなのでしょうか? 疑問を覚えます。まして、「名乗らないこと」の選択には、上記引用部の前段にあるとおりコリアンに対する差別が存在する以上、この種の情報の露出はネガティヴなレッテリングとして作用する可能性が常に付きまといます。2チャンネルくんだりならともかく、Wikipediaがそのような場であってほしくありません。
2. 現在の法令の元では日本国籍取得(敢えて「帰化」とは言わない)に際して、日本語名を取得しなければならないとする方針が採られています。すなわち、日本国への法的帰属=日本民族への帰属、でなければならない、とする価値観が実質的に表明されているわけです。言い換えれば、相も変わらず「日本単一民族」的な価値観が公的な法的方針として採られているわけで、こうした価値観に基づく「帰化」者のリストが作られること自体がPOV的に微妙な問題を含みはしないでしょうか? --ikedat76 2006年1月26日 (木) 12:54 (UTC)
- 1. 在日コリアンが民族的出自を秘匿する具体的な理由、そしてその理由がWikipediaにおける民族的出自の記載を一切禁じるのにも正当かつ十分な根拠たりえることを示してください。
- 2. 「外国人」や「帰化日本人」といった概念が日本社会で特殊な意義を持つのは、日本の人口が99%以上単一民族で占められているからに過ぎません。日本が移民を大量に受け入れ少数民族人口が大きくなりアメリカのような多民族国家になれば個別の民族毎に「…系日本人」というカテゴリになるだけのことです。「日本単一民族的な価値観」などは関係ありません。だいたい民族的アイデンティティの多様性を無視することの方がよっぽど全体主義寄りです。Hermeneus (user / talk) 2006年1月26日 (木) 13:38 (UTC)
- 既述の通り、差別が存在するという事実のゆえです。繰り返しますが、このカテゴリを設定するにあたって、Hermeneusさんが悪意を持っていると考えているとは考えていません。このページに意見を書き込んでいる方々もそう考えているでしょう(勝手な推測ですが)。しかし、そうでない人々、この種の情報を中傷誹謗や貶めのネタとして用いる人がいるということが問題であると申し上げています(他の方も指摘しておられるとおりです)。そして、そうした利用の源泉にWikipediaを落としてしまうことを、コミュニティのメンバーも望まないだろう、ということも。それに、求められているのは「一切禁じる」ことではありません。そうしたセンシティヴな情報を、本人からの開示の意思に関わらず露出するのは、望ましくないということを他の方も仰っておられるはずです。
- 質問の趣旨が伝わらなかったかもしれませんが、「民族的アイデンティティの多様性を無視する」こと事態を問題だと考えることについては私も同意見です。そのうえで、(1)帰化という語の、東洋の帝国において君主の威に感服して臣下に加わるということを意味するという歴史的語源を考えると、近代社会においては国籍とはある国家への法的帰属以上のことを意味しないにもかかわらず、かかる語が維持されているというのは、(控えめに言って)問題ゼロと言い切れないということは指摘したいと思います。(2)((1)の問題をさておくとしても)現在の日本国籍取得の制度上、民族的多様性を尊重する仕組みになっておらず、さらに差別の存在のゆえに民族的出自を隠すことにむしろ「メリット」がある場合すらあるという点からすれば、「帰化」という概念は「民族的アイデンティティの多様性を無視する」ことの一環をむしろなしているでしょう。それはHermeneusにとっても望ましくないように思えますが、いかがでしょう。
- こちらは質問です。「日本の人口が99%以上単一民族で占められている」とありますがこの統計の典拠は何でしょうか。
- けふこえてさんもお書きになっていますが、国籍(法的な資格・帰属)と民族的ルーツの関係は複雑です。求められているのも、民族的ルーツを一律に書かないことでも一律に書くことでもないこと、また問題なのは一般論ではなく「帰化」コリアンを多数含んだ帰化日本人というカテゴリについてだということをご理解ください。--ikedat76 2006年1月26日 (木) 15:31 (UTC)
1, 2. ここで行われている議論は、在日コリアン等の出自に関する情報をWikipediaの記事に記載すること(および関連カテゴリ作成)の是非、斯様な情報記載をWikipedia:削除の方針で削除対象にすべきかについてです。在日コリアン等の出自に関する情報を記載することに「問題」があるとikedat76さんがおっしゃられるのであれば、(1)それが具体的にいかなる問題であり、(2)具体的にいかなる対処が妥当であるのかを述べてください。「差別が存在する」だけでははなはだ意味不明です。
3. CIA World Fact Bookにあります:Ethnic groups: Japanese 99%, others 1% (Korean 511,262, Chinese 244,241, Brazilian 182,232, Filipino 89,851, other 237,914) Hermeneus (user / talk) 2006年1月26日 (木) 15:59 (UTC)
※前回の書き込みで一部さん付けが抜けていました。お詫びします。 出典の件は了解しました。 (2)具体的にいかなる対処が妥当であるのか:削除妥当と考えます。 (1)それが具体的にいかなる問題であり:述べることは全て述べましたし、他の方の意見は他の方の記述をお読みください。私が前回の書き込みで行ったのは、Hermeneusさんの主張が、「帰化日本人」なるカテゴリを作らない理由にもなるということを示すことです。Hermeneusさんの2006年1月2日(月)19:48 (UTC)付けの書き込みを引用すれば、「帰化日本人等であることをあたかも恥ずべき属性であるかのように一括して忌諱すること」は確かにおかしいですが、だからといって「第三者のパターナリスティックな配慮から十把一絡げに」露出することもおかしいのではないでしょうか。--ikedat76 2006年1月26日 (木) 17:01 (UTC)
- Ikedat76さんがこれまでに述べた分だけでは具体的な問題が全く見えません。民族的出自を知られることで今日の日本社会に住む在日コリアンの人々が具体的にいかなる差別を受け、その差別により一体どれだけの害を被るんですか? 在日コリアンだと知られると右翼団体の構成員が夜中にやってきてリンチされて一家皆殺しにでもされるんですか? 在日コリアンだと知られるとレストランで接客を拒否されるんですか? 今日の日本社会において斯様な差別事件がどれだけ頻発に起こり、どれくらいの数の在日コリアンが斯様な差別の被害に遭ってると訴えているんですか? Wikipediaで民族的出自に関する情報を書かれることにより彼らが斯様な害を被るリスクがどれだけ上昇するんですか? それによりWikipediaに法的責任が問われ訴えられる可能性はどれだけあるんですか? 数十年前に比べれば日本社会における民族差別はかなり減っていると私は思いますが、それでも未だに差別事件多発しており民族的出自に関する情報を規制せざるを得ない段階であると貴方が言うのであれば、この先いつまで斯様な民族差別が日本社会に残ると思いますか? あるいは民族差別は永遠に日本社会から消えないから永遠に民族的出自の記載も規制されるべきだとお考えですか? Hermeneus (user / talk) 2006年1月26日 (木) 17:14 (UTC)
- 他の方の論点も出来るだけまとめれば(1)過去の来歴からして、この種の出自情報はトラブル源であり、コミュニティの負担や発展阻害(編集保護、編集合戦etc.)になる(2)これを前例として原則と認めると、過剰なカテゴリの膨張を招く(けふこえてさんが1月3日および5日付で指摘)(3)Wikipediaの公式の方針(Wikipedia:削除の方針)に違背する懸念(Mametaroさん)(4)特定の文脈においてセンシティヴである情報を不用意に公開することへの懸念(Mametaroさんほか)(5)(4)の様な情報の公開の可否を第3者が勝手に判断すること(ikedat76、しかしこの論点はHermeneusさん自身も指摘されていることです)。わたしは(3)から(5)の観点に立ってコメントしています。
- 個人的意見に基づく論争に踏み込む事を避けるためにも、(5)の点については撤回しても構いません(政治哲学・政治思想的にも複雑な問題ですし)。差別があるかないか(多いか少ないか)も同様の理由で避けるべきかもしれません(ただ、この論点を導入されたのはHermeneusさんご自身だとも指摘させてください)。たしかに、ここでしているのがWikipediaの運営に関する議論ですから。ですが、まさにそうである限りにおいて、(1)から(4)は、まさにWikipediaコミュニティにとって充分に具体的に問題ではないでしょうか。--ikedat76 2006年1月26日 (木) 18:15 (UTC)
(1)Wikipediaにおける編集合戦を理由に情報記載を禁じることができるのなら、南京大虐殺や慰安婦など日本の近代史関係の事物他、論争の絶えないこの世のありとあらゆる諸問題について何も書けなくなってしまいます。そんな馬鹿な話はありません。(2)「過剰なカテゴリの膨張」だのといった濫用の可能性を理由とした情報統制が是とされるのであれば、Wikipedia自体からして幾らでも濫用される危険があるわけで、Wikipediaの存在意義を根底から否定するようなものです。これも1同様に無意味な批判です。濫用の問題は個々のケースを吟味して一つ一つ適切に対処していけば済むことです。(3、4)Mametaro氏の指摘されている公益性だのといった点がこの在日の出自記載問題においては全て的外れであることは上で述べた通りです。(5)「十把一絡げに露出」などありません。そもそもWikipediaは万人が自由に閲覧・編集できるよう一般に公開されている百科事典であり、情報を加筆して内容を拡充していくのが大前提です。その前提の上で、Wikipedia:削除の方針などにより不適切な情報を規制し、残りの問題の無い部分を全て公開しているのです。まず情報を秘匿して保存するのが大前提で、Wikipedia:公開の方針により部分的に情報を公開しているのではありません。基本は「露出」であって「隠蔽」ではありません。
在日コリアンの出自記載が問題になるのは、民族差別の理由以外の何物でもありません。この本質的な問題を「寝た子は起こすな」的な考えからか避けて、「編集合戦」だの「カテゴリ濫用」だのといった二次的な問題にすり替えて批判するのは詭弁以外の何物でもないと私は思います。「風評に基づいたいい加減な記述」だのといった危険性もWikipediaにおける他のあらゆる記述に関しても言えることであり、在日の出自に限ったことではありません。こういう「問題」は一般的な執筆ガイドラインに準じれば済むことであり、単に誤った情報であれば編集で対処すれば済むことです。こうして一般論に包摂して在日の出自記載を間接的に排除しようとしてもうまく行くわけがありませんし、本質的な問題の解決には到底なりえません。また逆に「差別」と一言口にしさえすれば魔法の呪文であるかのように何でも正当化すると考えている人も、差別について具体的に論じようとすると尻込みしてしまうこと暫しで、これも結局は差別問題について深く考えたことも無いのに前者と同じく「寝た子は起こすな」的な考えから言ってるだけなので論外です。Hermeneus (user / talk) 2006年1月26日 (木) 20:16 (UTC)
- 「寝た子を起こすな」は一般的には被差別者の言論に差別の責任を転嫁する論理の筈ですが、暴露の正当化の論理に使われるとは驚きです。総論ではikedat76氏に同意します。ただ、日本国籍を取得するのは消極的な法的差別の回避が主であり、個人に依るが国籍取得により民族的アイデンティティがなくなったかの様な分類はおかしいと思います。その上でそれを公開するか否かは個人の自己情報の管理権の問題であって他人が論じることでない、と思います。johncapistrano 2006年1月27日 (金) 09:00 (UTC)
- 通名を使用したり民族的出自を秘匿するというのは、そうすることで差別をある程度避けることができるという日本社会におけるアジア系少数民族および被差別部落出身者に特殊な事情ゆえに他なりません。外貌が明らかに異なるアフリカ系アメリカ人などにはそのようなことは不可能です。しかし、なまじ民族的出自を秘匿することで差別を避けることが容易であるが故に、民族的出自を秘匿せざるをえない元凶であるところの差別社会そのものと正面から対峙して問題を根本から解決しようとはしなくなる。アフリカ系アメリカ人のように「XXX is beautiful」と訴え民族の自尊心と差別待遇の是正を声高に主張するのではなく、民族的出自をひた隠しひっそり生活し続け差別が自然消滅するのを待つ、というのは私から見れば「寝た子は起こすな」的な方法論です。どっちの方法論が有効であるかはともかくも。
- いずれにしろ、犯罪歴や学歴など他の差別のネタになるような情報が沢山ある中で、民族的出自の記載のみ十把一絡げに禁止すべきとする十分かつ正当な理由は無いと私は思います。上でも述べた通り、「編集合戦」「過剰なカテゴリの膨張」「風評に基づいたいい加減な記述」他は、いずれも民族的出自の記載に限った問題ではありませんし、そうした問題が生じるのであれば個々のケースを吟味して個別に対処していけば済むことです。Hermeneus (user / talk) 2006年1月27日 (金) 09:53 (UTC)
- 手短に。
- 民族的出自の記載のみ十把一絡げに禁止:十把一絡げの「禁止」も「公開」も求められていません。十把一絡げに公開するかしないかを、なぜ一介のウィキペディアンが勝手に決めて良いのか(ikedat76)、またそうしたことをするのは“プライバシー尊重の方針”に照らして疑問であるし、個別記事でも情報として価値があるかどうかは個別ケースによる(Mametaroさん)から、ともかくもカテゴリとしてふさわしくないと皆さんは言っておられます。
- (指摘されたような問題は)いずれも民族的出自の記載に限った問題ではありません:その通りです。
- そうした問題が生じるのであれば個々のケースを吟味して個別に対処していけば済む:だからこそ、今こうして、この「帰化日本人」なるカテゴリという個別ケースに個別に対応している、そうではありませんか?
- 差別反対にコミットするのも、差別について独自の考えを展開なさるのも結構ですし、重要なことですが、少なくともここ・ウィキペディアは何でないかを考えれば、適切な場所ではありません。そうした事柄への影響をWikipediaに期待するのも筋違いでしょう。Wikipediaは事典(を作るコミュニティ)以上でも以下でもありません。--ikedat76 2006年1月27日 (金) 13:40 (UTC)
- 個々の人物記事のケースにおいて「帰化日本人の人物」「在日コリアンの人物」等のカテゴリに登録するのが妥当であるか検証することをせず、これらのカテゴリを丸ごと廃止するようなことを「十把一絡げに禁止」と言うのです。
- カテゴリがあろうと無かろうと記事本体に色々書く荒らしはいますし、記事本体に誤った情報を加筆する代わりに誤ったカテゴリを付加したところで行為の性質自体は何も変わりません。悪い行為であれば、如何様な形態であれ、個別に取り締まればすむことです。カテゴリがあろうとも在日認定荒らしなどが殊更助長されるとは私は思いませんし、カテゴリなどの一般的機能の濫用の危険性を言い出したらWikipedia自体からして悪用される可能性が大いにありWikipedia自体の存在意義まで否定されかねないとは既に述べました。
- 貴方が「帰化日本人」等のカテゴリ全面廃止に固執し、記事本体に民族的出自を記述することについては良しとするのであれば、その根拠を具体的に示してください。カテゴリと記事本体の記述とを比較して、いったいどれだけの違いがあるんですか? カテゴリが全面禁止にされなければならないほど深刻な問題を抱えているのに、同内容の情報を記事本体に書くことは許可するのは、いったいどんな理由からですか?Hermeneus (user / talk) 2006年1月27日 (金) 14:23 (UTC)
「帰化日本人」なる語に「新平民」同等の意味しか感じないのは私だけでしょうか? [1]では逆の意味で使われていますが、Hermeneus氏の使う「帰化日本人」なる語は本来の民族性も日本人としても認めない語でしかないように見えます(Hermeneus氏の在日コリアンの編集等)。民族性を認める気があれば在日コリアンなどのカテゴリと別に作成する必要はないでしょう(アイデンティティは人夫々か知れないが)。「帰化日本人」の記事名を「日本国籍取得者」に変えて官報以外で自ら公表している人物のみを記載することにするのであればまだいいですが、放置しながら第三者的に「寝た子は起こすな」は間違いと書き乍ら「なまじ云々」はふざけているようにしか見えません。気持ちは判らなくもないが立ち場も場も弁えない書込みにみえます。johncapistrano 2006年1月27日 (金) 14:55 (UTC)
- 帰化した日本人だから「帰化日本人」としただけであり他意はありませんし、他にどう呼ぼうと私は一向に構いません。「帰化日本人」というのは「日本の外国人」「お雇い外国人」同様、日本社会において帰化したこと、(元)外国籍であることが特筆に値する属性であるから作成しただけのことです。外国人や帰化人といった属性は、例えば大量の移民から成り立っているアメリカ社会のようなコンテキストでは、大きな意義も持ちません。個々の民族性に着目するのであれば「…系日本人」のカテゴリを作成すればよいことであり、別に外国人や帰化人といった用語を使用することが民族性を否定するわけではありません(無論、日本の場合、在日コリアン・中国人以外の少数民族系日本人は単独のカテゴリを作成できるほど顕著な存在ではありません)。Hermeneus (user / talk) 2006年1月27日 (金) 15:24 (UTC)
- カテゴリなどの一般的機能の濫用の危険性:いいえ。この特定のカテゴリの危険性について問題にしています。
- 記事本体に民族的出自を記述することについては良しとする:いいえ。個別記事でも情報として価値があるかどうかは個別ケースによる(Mametaroさん)と申し上げました。
- お尋ねの件についてはすでに答えを申し上げたものばかりです。また、上2点は(少なくとも)私は主張していません。それでも敢えて再度お答えすると、このカテゴリを削除する理由については、“出自がセンシティヴな情報である特定の文脈が存在するとき、その公開の可否の決定は本人にのみ帰するべきだから”、そしてこれがWikipediaの公的方針である「プライヴァシーの尊重」から演繹されるであろうから、です。
- それに対し、Hermeneusさんは、それは「逃げ」で「差別」「思考停止」と仰るのかもしれませんが、これは、johncapistranoさんの指摘どおり、被差別者に差別の責任を課するものと思われます。ただ、それは、(かつての“黒人問題は白人問題だ”ではありませんが)差別という問題の全体的配置を見失わせるものではないでしょうか。Hermeneusさんがこの連関でどういうポジションに立たれているのか存じませんが、“寝た子を起こせ”と仰るのであれば、やはり再びウィキペディアは何でないかお考えください、としか申し上げ様がありません —— Wikipediaは演説会場でも独自の意見の発表の場でもありません。--ikedat76 2006年1月27日 (金) 16:03 (UTC)
- 全く答えになっていません。貴方は(1)帰化日本人カテゴリは全廃せよと言い、その一方で(2)記事本体に民族的出自を書く分には個別に判断して許可される場合もある、と言ってるのでしょう? であるなら、カテゴリと記事本体への記述の扱いが違うのは何故なのか、この2つの違いはいったい何なのか、と聞いているのです。Hermeneus (user / talk) 2006年1月27日 (金) 16:11 (UTC)
- 第1に、私が反対しているのは、帰化日本人カテゴリを通じて、“出自がセンシティヴな情報である特定の文脈が存在するとき、その公開の可否の決定は本人にのみ帰するべき”であるにもかかわらず、それと逆の方向性へ事態が進むこと、そしてそれがWikipediaの基本方針の尊重に違背するものだと考えるからです。第2に、ここで私たちはWikipediaの話(それ以外の何でもなく)をしているのですが、当該カテゴリはWikipediaの成長性に寄与しないと考えるからです(けふこえてさんや代言人さんの指摘にあるように)。--ikedat76 2006年1月27日 (金) 17:00 (UTC)
- 「第1」はカテゴリに限定された問題ではありませんので全く的外れです。結局あなたがこのカテゴリに反対するのは「第2」の「Wikipediaの成長性に寄与しない」という理由だけになります。であれば、このカテゴリが如何に「Wikipediaの成長性に寄与しない」ものなのか、私が主張するこのカテゴリの意義が如何に誤っているかを、具体的に述べてください。Hermeneus (user / talk) 2006年1月27日 (金) 17:24 (UTC)
- 第1に、私が反対しているのは、帰化日本人カテゴリを通じて、“出自がセンシティヴな情報である特定の文脈が存在するとき、その公開の可否の決定は本人にのみ帰するべき”であるにもかかわらず、それと逆の方向性へ事態が進むこと、そしてそれがWikipediaの基本方針の尊重に違背するものだと考えるからです。第2に、ここで私たちはWikipediaの話(それ以外の何でもなく)をしているのですが、当該カテゴリはWikipediaの成長性に寄与しないと考えるからです(けふこえてさんや代言人さんの指摘にあるように)。--ikedat76 2006年1月27日 (金) 17:00 (UTC)
とりあえず「帰化日本人」なる記事を日本国籍取得者に移動します。johncapistrano 2006年1月27日 (金) 17:04 (UTC)
区切り2
[編集]横レス失礼。Hermeneus殿、有名人の帰化日本人たる情報を消したがっている連中は結局本人の意向とも関係がない様子。情報のソースはハッキリしており本人が否定していない状態で在日である情報を記載する事に問題はない。安全側にどうこうと言うにはまず帰化日本人を賎民階級として見ているという前提がなければならない。日本国民になったからには法の下の平等が保障されているというのに、帰化日本人が不名誉な事と捉えるというのならそれは(日本国民としても)恥ずべき事だと断言しておく。何が言いたいかと言うと、つまり帰化日本人カテゴリは消去すべきでないという方を支持したい。利用者:Sionnach/sig2006年2月4日 (土) 02:37 (UTC)
- 論点ずらし。このカテゴリの有用性についての議論と、差別論・差別撤廃方法論とは、いっさい関係がない。実際に、Hermeneus氏も「暴露であるという非難は寝た子を起こすな論であり知的怠慢である」という内容のことを主張したものの、主要論点でないことは明白だから途中で引っ込めて、再びカテゴリの有用性に話を絞っている。
- 朝鮮系の出自を書くのがタブー視される(されていた?)のは、良い悪いは別にして(それ自体は悪いことだと思うけれども)日本社会の現状を反映しているにすぎない。出自が暴露されないのは、暴露が差別被害の拡大につながるような社会状況が改善されていないとみなす者による判断だ(少なくともタテマエは)。辞典作成者や発行元が何かしらの判断を下すときに現実の諸条件に拘束されるのは当たり前だ。これについてケシカラン、知的怠慢だとおっしゃる方には、お一人で知的営為を繰り広げていてくださいということになる。ここがWikipediaだからというだけではなく、運動論・方法論は目的を共有している同志の間でやるものだから、どこの馬の骨ともわからない((C)Hermeneus氏)匿名寄稿家が口を挟めることではない。いや、それでも、論評するのも口を挟むのも自由だが、そのせいで論点が拡散するかずらされるかしているのだということだけは確認しておきたい。Sionnachさん宛なので「丁寧語」にならないよう心がけましたが、書いてて苦しいです。次からはやめます。Iosif 2006年2月5日 (日) 19:15 (UTC)
- 「再びカテゴリの有用性に話を絞った」のは私ではなくてikedat76氏です。上の他の方々同様、「記事本体に民族的出自を書く分には個別に判断して許可される場合もある」と譲歩した時点でもう「差別」ネタは使えません。もし差別を理由に当カテゴリ廃止を主張するのであれば、一切の民族的出自の記載を禁じて然るべきとなる。しかし、そこまで強く主張する人はいない。だから「カテゴリの成長性」だのといった話になってしまう。民族的出自の記載を全面的に禁じろとまで強弁する人はまだ出てきていません。Iosifさんはそう主張されるのですか?Hermeneus (user / talk) 2006年2月5日 (日) 20:38 (UTC)
- 明日お返事するつもりです。しゃかりきに返信を書いたのですが誤って上書きで消してしまい、超ショックで眠ります。ソースの無駄遣いをお詫びしつつ、他の項目であれこれしていながら返信が遅れるのを不誠実と思われませんよう、ご挨拶のみ。Iosif 2006年2月6日 (月) 17:34 (UTC)
- 待ってもらうほどのもんでもありませんけどね。Iosif 2006年2月6日 (月) 18:01 (UTC)
- 「再びカテゴリの有用性に話を絞った」のは私ではなくてikedat76氏です。上の他の方々同様、「記事本体に民族的出自を書く分には個別に判断して許可される場合もある」と譲歩した時点でもう「差別」ネタは使えません。もし差別を理由に当カテゴリ廃止を主張するのであれば、一切の民族的出自の記載を禁じて然るべきとなる。しかし、そこまで強く主張する人はいない。だから「カテゴリの成長性」だのといった話になってしまう。民族的出自の記載を全面的に禁じろとまで強弁する人はまだ出てきていません。Iosifさんはそう主張されるのですか?Hermeneus (user / talk) 2006年2月5日 (日) 20:38 (UTC)
以下・Iosif記:カテゴリの有用性については(もちろん存廃についても)、私にはろくな見識がありません。ご質問への回答とともに感想は述べますが、カテゴリをどう扱うかについては、恥ずかしながら、私なんかは出る幕じゃないです。Wikipediaにおけるカテゴリの意義・用いられ方等々、理解できていない部分が多いからです。だいたいカテゴリと項目との違いをよくわかっていないことに、お返事を書きながら気付いたりしていますから。ただ、関係ない話が混じった(と私が思った)ことを指摘する権利はあるだろうと思いました。/実際、カテゴリの整備という(たぶん大変な)作業をやってらっしゃる方ならば簡単に廃止と言われればそうとう不愉快だろうということは理解…できてるかどうかわかりませんが、理解したいと思っています。だから、存廃について意見を求められるのはきついというか、自信がないのでビビりながら書いています。以上、前置きと言い訳でした。
お尋ねについて:もちろん民族的出自の記載を全面的に禁止しろなどとは主張しません。それ以前に元々、民族的出自の記載を全面的に禁じろなどと主張する人がココで出てきたとも認識していませんし、今後も出てくるとは思えないし、仮にそういう人がいたとしたら一体何をぬかしておるのか私はまったく理解できません。議題は最初からカテゴリの有用性についてだったと思って読んでいます。その議論に「差別撤廃に何が利するか」についての個々人のご高説がどさくさまぎれに入り込んでいる(今後も引き込んでしまう)ことに違和感を表明しているのみです。これと、「現実に現代日本には民族差別があってコレコレこういったおそれがどうのこうの」と言及するのとはまた別だと思っています。
私は、記事の個々個別に判断するしかないのが現状であろうと思っています。カテゴリの存廃については、上述のとおり、結論を出せていません。
ただしカテゴリの有用性については、「有用性」を判断する要素に「暴露による差別助長のおそれアリやナシや」という点も含まれると認識しています。ですから「「記事本体に民族的出自を書く分には個別に判断して許可される場合もある」と譲歩した時点でもう「差別」ネタは使えません」(Hermeneusさん)というのは、これはもうまったく理解できません。単に私の頭が悪いと言われればそれまでですが(詳しく説明されたらわかるのかもしれませんが)、現時点では、どうしてそういう話になるのかいっこうに理解できない。「譲歩した時点で『差別』ネタは使えない」とはどういう意味なんでしょう? そもそも「『差別』ネタ」とは一体何を指しておっしゃっているんでしょう? 失礼ながら、「差別に触れそうな話題は一律厳禁だ、プチブルどもの表現の自由なんか死ね」とでも主張する(実在しない)仮想敵をHermeneusさんがイメージしているかのように見えます。もちろん、実在しないのだから、そんなものをイメージなさっているはずがないのですが、現時点では上述・仮想的と廃止論者のどっちを弾劾しているのかよくわかりません。というより、わからなくなる瞬間があった(だから「帰化日本人を賎民階級として見ている(中略)恥ずべき事だ」という話が出てくる)。
「だったら存続支持じゃないか」とおっしゃるかもしれませんが、そうではありません。ぐるぐると同じ話に戻すしかありません。「譲歩した時点で『差別』ネタは使えない」という主張が理解できないからです。これについて「私の頭が悪いだけ」と書きましたが、その前提には、こういう事柄(運営論議にも近い)で、例えば頭のキレル人が鋭い筆致でディベート式にズバズバ論破するというのは危険な事態だと思っているというのがあります。
中傷誘発説について:私は、カテゴリがガセネタで膨れ上がるのを懸念する声にも共感します。このへんはHermeneusさんと認識が違います。カテゴリと諸項目の記事を混同していたのを認めますが、例えば、項目:日本国籍取得者項目などはひどいものです。スポーツ選手、政治家などは本人も公表している情報に基づいていますが、芸能人については確認しようのないものがざっくり3分の2くらいでした(昨日かなり改善されましたが、どう転ぶかはわからない)。で、カテゴリもこのようになる可能性を指摘されたのですよね? この認識は間違いないですよね?
しかも、カテゴリに示される一覧って、見た目が、項目一つ一つの記事よりも、権威ありげなんですよねー…。悪戯されるのは記事と同じかもしれませんが、少なくとも私には、どうも見たときのインパクトが違ってみえる。なぜかはよくわかりません。事実上「一覧表」として表示されるからかもしれません。ただ、こういうしょうもないところが意外に大事なポイントではないかという気がしています。例えばこういうところから「やばいんじゃないかなー」という感覚を覚えることを非論理的と言っても仕方ないんじゃないでしょうか。
話を戻しますと、「帰化日本人カテゴリにおいても、当然、項目日本国籍取得者のように愉快犯が……具体的には中傷の意図をもって(おそらく2ちゃんねるあたりから流れてきて)気に入らない人間を「帰化した」だの「赤く染まってるから在日だ」だのと分類する方々が今後も続出すると思います。[2]←こういうところで、アカウント・ユーザーがWikipediaでの書き方を指南しているのを見たら(他にもいろんなサイトがあるんでしょうが)、私だって悪戯をしに行こうかとか1.5秒ほど考えちゃいます。政治家の一覧もこういった中傷目的に分類する対象になりやすい。新井将敬に対して石原慎太郎陣営が「北朝鮮から帰化」とやったようなことが起きやすい。政治家は余計にヤバイと思います。相手は芸能人並みに人気商売ですから、いったんWikipediaを問題視したら全力で向かってくるのではないかと恐れます。
そんなわけで、差別的中傷目的の悪意の書き込みに対して「個別に編集で対応すればいい」とHermeneusさんがおっしゃることについて、それはそれで説得力があると思う反面、「単に「色々やっかいな問題が出そうだし面倒だから削除しとけ」と言ってるだけでしょう」「「労力が余計に増える」などという馬鹿馬鹿しい「問題」など知ったことではありません」(Hermeneusさん)というおっしゃりようには共感できません。「面倒だから」というのは立派な理由なんじゃないでしょうか。これに軽蔑を表明なさるなら……いや、表明だけなら自由ですが、軽蔑表明と論破でもって「カテゴリ廃止論」を排することができる場合というのは、Hermeneusさん個人が中傷狩りに、かなりのていど責任を負える場合なのではないかと思います。当然そのときには「朝鮮系だと知られることは恥ずかしいことであり、自分の生業の帰趨を決める事態であり、お前らに『誇りを持て』などと説教されるいわれもない、何が何でも名誉毀損だ、法廷に出て来い」と怒る人も実在することを認識し、特定版削除を行うべく丹念にチェックするしかなくなると思います(もちろん、これは「有名人の公表していない本名は特定版削除」というのがWikipediaの基本姿勢だという“解釈”が前提ですが)。もちろん、私もふくめて多くの人がそれに協力すると思いますが。言われなくてもHermeneusさんがかなり責任を感じて編集なさっているとも思っていますが。
そんなこんなで、当カテゴリは差別的中傷目的の悪戯を誘発するものであるという認識に1票。しかし「誘発可能性と存廃論には関係がない」という主張に対しては迷うものがあるので白票。「誘発するから廃止するというのであれば関連する項目からも出自の記述を排するべきだ」という点には、実際にそうすべき項目もあると思っているので個別に吟味するしかないだろうと思っています。長文たいへん失礼しました。ここまで読んでくれてありがとうございました。 --Iosif 2006年2月7日 (火) 08:38 (UTC)
- まず「カテゴリ」についてですが、(1)帰化日本人(/在日カテゴリ)は全廃せよと主張し、その一方で(2)記事本体に民族的出自を書く分には個別に判断して許可される場合もあると主張するのであれば、カテゴリと記事本体記述の扱いがかくも違う理由、その本質的で決定的な差異を具体的に示してください。私は基本的にこの2つに差は無いと考えます。前者が引き起こすであろう問題は後者にも共通すると考えます。特に差別問題に関しては、それが何であれ、大きな差があるとは考えません。だから「差別ネタは使えません」と申したのです。貴方がこれに対して異議を唱えるのであれば、「XXXは在日コリアンである」と本文中に書くことよりも「カテゴリ:在日コリアン」と記事最後に表示することのほうがより差別的である理由なり、本文記載なら無いがカテゴリだと引き起こしかねない深刻な差別問題の危険性なりについて、具体的に示してください。私は、差別を理由にカテゴリを廃止するのであれば同じ理由から本文記載も廃止するべきとなるのが道理であると考えますから、後者のみ廃止し前者のみ存続せよという意見は矛盾していると考えます。
- 一方、カテゴリは「面倒」「成長性に寄与しない」「権威ありげ」といった理由は、差別に直接関わる問題ではありません。カテゴリのみを廃止せよと主張すれば、結局、こうした話にならざるをえなくなる。私は、上にあげられているこの類いの理由は全て、本文記載のみ許容しカテゴリは廃止するというような差別的処置を根拠づけるほどに十分なものではないと考えます。正直「面倒だから」「権威ありげ」などに至っては「立派な理由」どころか難癖にしか思えません。
- 次に「差別」についてですが、差別を理由に当該カテゴリの廃止を主張されるのであれば、具体的にその「差別」の問題がいかなるものであるのか示した上で論じてください。魔法の呪文かなにかのように「差別」と一言口にすれば何でも正当化されるわけではありません。Wikipediaに民族的出自を記載されることで、今日の日本社会に住む在日コリアンの人々が具体的にいかなる差別を受け、その差別により一体どれだけの害を被るのか? 在日コリアンだと知られると右翼団体の構成員が夜中にやってきてリンチされ燃える十字架に張り付けられ一家皆殺しにでもされるのか? 在日コリアンだと知られるとレストランで接客・入店を拒否されるのか? 今日の日本社会において斯様なヘイトクライムがどれだけ頻繁に起こり、どれくらいの数の在日コリアンが斯様な差別の被害に遭ってると訴えているのか? Wikipediaで民族的出自に関する情報を書かれることにより彼らが斯様な害を被るリスクがどれだけ上昇するのか? それによりWikipediaに法的責任が問われ訴えられる可能性はどれだけあるのか? 数十年前に比べれば日本社会における民族差別はかなり減っていると私は思いますが、それでも未だに差別事件が多発しており、民族的出自に関する情報を規制をせざるを得ない段階であると貴方が言うのであれば、この先いつまで斯様な民族差別が日本社会に残ると考えるのか? あるいは民族差別は永遠に日本社会から消えないから永遠に民族的出自の記載も規制されるべきだと考えるのか?
- 私自身は無論、今日の日本社会が依然そこまで差別の酷い社会であるとは考えていません。ですので、犯罪歴や学歴など他のプライバシー侵害、差別ネタに繋がるような情報が沢山ある中で、民族的出自の記載のみまるで腫れ物に触るかのように扱い、この記載のみを十把一絡げに禁止すべきとする必要は無いと思います。上でも述べた通り、「編集合戦」「風評に基づいたいい加減な記述」他は、いずれも民族的出自の記載に限った問題ではありませんし、そうした問題が生じるのであれば個々のケースを吟味して個別に適切に対処していけば済むことです。差別やプライバシー侵害の微小な可能性にまで過剰に敏感になればWikipediaには何も書けないということになりかねず、Wikipedia自体の存在意義まで否定されかねないとは既に述べました。ものには程度というものがあります。民族的出自の記載は他のプライバシーに関わる情報一般と同じ扱いで十分であり、主要メディアや自著などで出自が公開されている人に関してのみ出自を記述するようにすれば何も問題はないと、民族的出自記載を禁止する必要などないと、私は考えます。Hermeneus (user / talk) 2006年2月7日 (火) 10:28 (UTC)
Iosifという人よ、儂が思うに将来荒れるから削除しろなどと仰せならば、将来精巣ガンが起こるから睾丸を切除せよというのと変わらんよ。「めんどくさいから消しとけ」などという考え方は別に在日のみに使える事でもあるまい。在日を差別する人間がいるから在日のカテゴリを潰そうとお考えならばおぬしも同様に在日を差別している事となる。月並みな言葉だが「差別と区別は異なる」ものと認識なされよ。利用者:Sionnach/sig2006年2月7日 (火) 11:38 (UTC)